FileNo.1 ブラック-07




 いつの間にか、僕も眠っていたらしい。肩を揺すられて起きると、酷い圧迫感があった。その正体を、僕は目を開けてすぐに思い知る。




「雷瑚さん」




「思ってた以上に早いな」




 開いた車のドアに手を掛けて、彼女は一言、そう告げた。その言葉に、どこか安堵した自分も居た。それはつまり、彼女らが紛れも無い『本物』である、ということの証明でもあるのだから。




「歩けそうか?」




 やってみます、と僕は答えた。正直に白状すると、この時、妙に冷静に回答できた自分を、僕は褒めてやりたい。




 『壁』は今や、僕の体にぴったりとくっついていた。眠る前は間違いなく、僕から一メートルの距離を保っていた筈の『壁』。ここに至るまでの接近速度を考えると、この状態に至るには、まだ数日の猶予が在った筈だ。




 なのに、まるでキャッチャーミットのように、『壁』は僕の胴体にぴたりと貼りついている。




「お二人は」




「何だ?」




「見えるんですか? 僕の『壁』が」




「いや、見えん。ただ、呪いの匂いがきつくなったのは分かる」




 何とか車の中から這い出た僕に、除霊師はそう告げた。




「ま、モノは考えようだ。この場に近づくにつれ呪力が強まったってことは、翻すと、あたしらの想定が正しかったっつーことでもある」




「俺の想定だ」




「細けーよ、ボス。気にしすぎはハゲの元だぞ」




「俺はハゲん」




 見事なスキンヘッドを擁する『ボス』に対し、「既にハゲてるんじゃ」と突っ込むだけの余裕は流石に無かった。ボス、と呼ばれるその男性は、次に「さっさと行くぞ」と告げ、車をロックしてから歩き出す。そこで、ようやく気付いた。砂利だらけの、駐車場と呼ぶにはあまりにもお粗末なその場所からは、朝陽の下、脈々と続く山々と、遥か先へと続く深い森が、遠くまで見下ろせることに。




「あの、ここは……」




「言ったろ? お前ん家から二時間以上車を走らせたド田舎にある炭鉱跡だ。……あーほら見ろ、電波一本も立ってねえや。これじゃイベント周回も出来やしねえ。さっさと終わらせねーとな、こんな仕事」




 自身のスマートフォンを見て悪態をつくと、彼女はそう言って一つ息を吐いた。吐いた息が仄かに白く霞む。山の上の駐車場……だけど、と僕は思う。炭鉱というと、山の側面に横穴を掘っていくイメージがあるが、ここはどう見ても禿山の頂上に近い。とすると、ここから山道を下っていくのだろうか。




「よし、行くぞ」




 ぽんぽんと肩を叩く雷瑚さんに促され、僕は彼女の後ろを、何とか足を動かしてついていった。何せ体に『壁』がぴたりと貼りついているので、太腿がまともに上がらないのだ。自然、僕は剣道のすり足のような要領で進むしかなく、ずずっ、ずずっ、と、酷く不格好な音が早朝の山に響く。




「お前、『ノスフェラトゥ』っていう映画、知ってるか?」




 必死に歩く僕に対して、ふと、雷瑚さんはそんなことを言った。思わず尋ね返す僕に、彼女はすらすらと言葉を続ける。すたすたと、僕のことなどお構いなしに、砂利だらけの山を歩きながら。




「古いドラキュラ映画さ。ドラキュラ、分かるだろ? 女の血を吸うドスケベ野郎。で、十字架と聖水に弱い」




「はぁ。あの……」




「あの映画でドラキュラを倒すのはな、エクソシストでも超能力者でもねーんだ。極々普通のねーちゃんが、敵の弱点を知って、一策を講じて、ドラキュラをおびき出し、倒す。ま、綺麗さっぱりハッピーエンド、ってわけにゃあいかねーのが世知辛いところだが、それはまぁいい。大事なのは二つだ」




「二つ、ですか?」




 僕は雷瑚さんについていこうと、必死に足を動かす。足元に目を移して、少しでも多く前へ進もうとする。




「ああ、二つ。まず、不死身に近い化け物だろうと、エサを目の前にチラつかせれば隙を見せる。『ノスフェラトゥ』で、ねーちゃんが自分の体をエサに、ドラキュラをおびき寄せたみたいにな」




「はぁ」




「ホラ、もうちょっとだ頑張れ。標高百二十メートルの空気はうまいぞ。多分」


 どうやら、現在地の標高は百二十メートルらしい。空気の味がうまいかどうかなどは分からない。そんなことより――僕は気になって仕方が無かった。前方、足を止めた『ボス』の体躯――こうして見ると下っ腹はぼんと突き出ていて、彼はなかなかにふくよかな体型をされている――の向こうは、異様なほどに開けている。このまま進んでも――そう考えた僕の考えは正しく、やがて僕も雷瑚さんも、『ボス』の隣――即ち、切り立った崖の際に立つことになった。足元は相変わらず『壁』のせいで見えないが、異様に強く、そして冷たく吹く風が、僕の耳朶を叩き続けた。




「この崖の下に、炭鉱跡に入る横穴がある。立ち入り禁止だけどな」




「崖下までは約百二十メートル」




「ボス、それさっきあたしが言った」




「俺のアイデアだぞ」




「逐一細けえな、下っ腹だけじゃなくて心もデカくなれよ」




「えっと、ここで何を――」




 揉め始めた二人の会話に恐る恐る割って入ると、雷瑚さんは一つ、ポンと僕の肩を叩いた。それから、ニッと笑って、僕の質問に応えず、続ける。




「さっきの話の続きだ。もう一つ。『ノスフェラトゥ』から学ぶべきことは、もう一つある。分かるか?」




 分かるか、と言われても――そう答えようとした、次の瞬間だった。僕は。




「化け物を倒すには、命を懸ける覚悟が要る」




 とん、と、背中を押された。




 結果。




 僕は崖から、真っ逆さまに落ちた。彼らの言葉によれば、崖下までは百二十メートル以上。考えずとも分かる。




 僕は死ぬ。




 ここで死ぬ。潰れて死ぬのだ。熟れた柿が地に落ちて潰れるように。人間としての形など残りもしないだろう。ああ、だけど、この死に方は予想していなかった。僕が死ぬ時は、『壁』に圧し潰されるものだと思っていたから。




 圧し潰されて――。








『お前多分、一族全体で呪われてる』








 ――僕の先祖は、一体何をしたのだろう。




 真っ逆さまに宙を往きながら、重力に体を引っ張られながら、大声で悲鳴を上げながら。僕は圧縮された時の中で、そんなことを想った。今更にも程がある疑問だ。だけど、せめて――そう、恐らくは一秒にも満たぬ時の中で、僕がそんなことを考えた瞬間。




 まさにその瞬間だった。




 僕は体を掴まれた。




 僕は目を見開いた。




 宙を落ちる僕の体。それを挟む真っ黒な『壁』。そこから。




 無数の手が、手が、手が伸びて、僕の足を、腕を、指を、頭を、掴んでいたから。




 それらは『壁』と同じ色をしていた。真っ黒で、酷く嫌な色。いや、黒、というより、泥や煤のような何かで酷く汚れている、と言うべきか。無数の手は悉く氷のように冷たく、蠢き、ひしめき、競い合いながら、獣のように破壊的な力で僕の体を締め付ける。引き絞る。ぶちぶちという音がした。僕は悟った。僕は潰れて死ぬのではない。千切られて――。




「たっ」




 ――引き千切られて殺されるのだ!




「たすけ」




「そりゃまぁ、『自分で殺したい』って思うよな」




 ――不意に、風の中、笑い声が耳に届いた。




「最後の標的が、よりによって自分の目の前で死にかけてんだからよ」




 僕は見た。




 地獄のような痛みの中で。




 無数の憎悪に体を千切られる最中で。




 宙で。




 落ちる僕の直上で。




「見えたぜ、不視身野郎」




 彼女――雷瑚と名乗った除霊師が、笑い、大きく腕を振り被る様を。








『――不死身に近い化け物だろうと、エサを目の前にチラつかせれば隙を見せる――』








「人を呪わば――覚悟は出来てるな?」




 彼女は不敵に笑っていた。百二十メートルの高さから落下しながら、そう笑った。僕は混乱していた。どうしてこの人も落ちてる? 僕を突き落とした後、自分も飛び出した? どうして? そんなことをしたら、自分まで――。








『化け物を倒すには、命を懸ける覚悟が要る』








「ま、出来てなかろうと――!」




 朝陽が輝いた。それに呼応するように、雷瑚さんの振り上げた腕の先、掌が、紫色に煌めく。途端、僕に蠢く無数の手が、何かを察知したかのように動きを止めた。直後。




 それらは彼女を『敵』と見做したかのように、一斉に彼女へと向かった。




 だが。




「これで――!」




 それは少しばかり、遅かった。




「往生しろ!!」




 彼女は叫んだ。そして、雄叫びと共に、その紫光輝く右腕を強く振り下ろした。




 閃光が、宙で弾けた。僕の体躯を覆う無数の手の源、漆黒、呪怨を、全て塗り潰すように。




 天地がひっくり返ったような衝撃が、僕の体躯を貫いた。






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