望遠鏡と星空
明けた、手術当日。
朝一で入院、手術前の検査が終わったのが、今日の昼頃だ。
「まあ手術と言ってもそんなに大げさなものじゃないし、緊張しないでね」
いつもの僕の担当医が、いつもの笑顔でそういった。先生が今日の僕の手術も担当するそうだ。
今日は母親も同席しているので、初めましてとか、どうかよろしくおねがいしますとか、ペコペコと頭を下げる母親に、それに負けず劣らずペコペコと頭を下げながら、どうもどうもとか、任せて下さいとか言ってる先生は、少しいつもと印象が違った。
「これから手術室に入ってもらって、多分16:00頃には手術も終わると思うよ。 麻酔が覚めて、起きた頃にはキミの眼は完全に自立することになる」
僕に向き直ると、いつもの調子の先生が僕に説明を続ける。
「まずこの場で麻酔かけちゃうから。麻酔中は、むやみに動いたり、起き上がったりしないでね。自分では効いてないつもりでも、下半身は効いてて、転んで怪我するとかあるみたいだから」
説明を続けながら、マスクを被せられる。少しして甘い匂いが、意識に靄をかける。
「まあゆっくり眠って、明日の朝にでもその喜びを噛み締めてね」
返事をしようとしたその刹那、意識がフッとホワイトアウトした。
次の瞬間、ハッとして目が覚める。
目がさめたのに視界は真っ暗だ。目元を触ると、包帯が巻かれていることがわかる。
「あ、起きたんだ」
不意に母親の声が聞こえる。
おそらく母親が同じ病室で付き添ってくれているのだろう。
「手術終わった…んだよね? 今何時?」
「さっき12時を回ったところかな。あ、夜ね」
なるほど。体感的には一瞬だったのに。麻酔すごい。いわゆる眠るとは全く違う感覚だった。
それにしても、包帯が邪魔だ……
見えているはずなのに、なにも見えないというのは何度味わっても気分の良いものではない。隣にいるらしい母親すら、本物かどうか怪しいものだ。などとくだらないことを考える。
「目が覚めたみたいだね。意外と早く目が覚めたね」
不意に、先生の声が聞こえる。急に出てくるなよ……びっくりするわ。
なんとなく声がする方に顔を向ける。
「とりあえず目はもう大丈夫なはずだから、包帯外してしまおうか。よろしく頼むよ」
横にいるらしい誰かに指示を出したかと思うと、僕の頭が何者かによって優しく支えられ、ややドキリとする。
包帯の金具が外され、ゆっくりと包帯とその下のガーゼが外され、目元が外気に晒されて少し涼やかだ。
ゆっくりと目を開くと、病室の電気は消えているようで、相変わらずの暗闇が広がる。目のピントがだんだんと合っていき、先ほど意識を飛ばした病室の壁が暗闇の中にうっすらと浮かんでいる。
そして目に飛び込んできたのは、僕の包帯を外したであろう、男の看護士だ。
女性であれよぉ……
「変に明るい時間に起きるよりも、目には優しいから、ちょうどいいかもね。どうだい調子は?」
正直暗いし、元から見えていたので、どうといわれても難しい。あと男の看護師とか、センス無いわ。調子なんかいいわけないぞ!
「とりあえず、変わりなく見えていますね……まあ前と変わらないんで治ったという自覚はないですけど」
じゃあ少しずつ慣らして行こうと、徐々に電気を付けていく。
少し眩しさを感じるものの、手術というよりは、単純に暗がりから明るみに出たときの感覚と変わりはない。
なんとなく肩透かしを食らったような反応をしていると、先生がいつもの笑顔で頷く。
「ということで、手術成功おめでとう。早速だけど、何か見たいものはあるかい?」
協力できないこともあるけどと付け加えて微笑んだ。そうか、ついに自分の目で色々なものを見れるのか。
でも僕が見たかったものは、もう見えないことはわかっている。
「そうだ、ほら。お父さんの望遠鏡出してきたよ? 星でも見たら?」
なんと準備のいい母親だろう。
そう、近頃の僕は天体観測が趣味ということになってるのだ。
実際そういうわけではないのだが、まあ、せっかくだしね。
「いいじゃないか天体観測。普段は危ないからしてないけど、特別に屋上を開放するよ」
どうやら先生が協力できる範疇でもあるようだし。
「じゃあそれでお願いします」
屋上の扉を開くと、厳しい寒さが階段の踊場を通り抜ける。
母親が抱えてきた幾つもの防寒着をしこたま着させられている僕でも芯から震えが来る寒さだ。
折れかけた心を奮い立たせ、扉から屋上に出て、夜空を見上げる。
暫くの間、ある種自分の力では見ていなかった星空を。
とある何かの偶然で、別の意味合いを持っていた星空を。
終わりの見えない真っ暗な暗闇に、目眩を覚えるような程、無数の星が瞬き、流れ落ちた。
「今日は星が綺麗ね」
「……でもほとんどがデブリだよ」
「そうね。でも綺麗じゃない」
「うん」
そう。
完治したことによって、手に入れたもの。
完治したことによって、失ったもの。
様々な要素が重なっているためなのだろうか。
その本当はゴミだらけの星空は、気が遠くなるほど、儚く、美しかった。
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