第15話 彼の噂、伝説の人 5
「すごい、ぴったりだ。腕を曲げてもきつくない」
ジョージさんが仮縫いのため仕上がった服を羽織った。
前回、デザインを描いていくつか候補を絞った。そして生地を選び、デザインした服をさらに際立たせる作りとなっていった。
服のフォルムは美しく、しなやかであるが力強い印象をもたせている。
ジョージさんは痩せた印象があったが、服をきると肩は意外と角張っていて体格がいいことが分った。
「あなた、素敵」
うっとりと夫を見つめているのは、カレンだ。
仮縫いの段階で完成形に近い出来をもってきた。細かい修正は加えているものの、この短い期間に最高の作品としての服を仕上げてくる。
まさに職人として、そして芸術の域にある服を作り出すアルーニ氏の力量を感じされた仕事ぶりであった。
「気になるところはありますか?」
アルーニ氏はジョージさんに声をかけた。
今日のアルーニ氏も素敵な装いだ。
暖かい季節に近づいていて、明るい色を取り入れた服。女性が好むパステルの色合いを着こなしているアルーニ氏。
「いや、ぴったりすぎて怖いくらいだよ」
ジョージさんはおどけて見せた。ジョージさんとカレンさんは服に感動をしている様子だった。
アルーニ氏は今一人で服の製作をしているという。デザイナーだけではなく、生地を採寸するパターン。そして仮縫い。縫製に関しても天才的な才能をもっていると噂に聞く。
ソフィアは縫製には自信があるが、それ以外の作業はまだまだ勉強がたりない。アルーニ氏の仕事ひとつひとつが発見の連続である。
「余裕がある作りになっていますので、多少の変化があっても着られないということはありませんよ」
「でも食べ過ぎには気をつけないとね」
カレンさんは笑ってジョージさんを見つめた。ジョージさんとカレンさんは仲がいい。
仕事も一緒で、普段も一緒。ずっと一緒にいて嫌になることがないのだろうか。ふとソフィアは思った。
ソフィアは、誰かと添い遂げるというイメージをもてないでいた。好きな人であっても、何年も何十年も一緒にいる。そんなことが自分にはできるのだろうかと。
「そうだね、食事のあと少し運動をしなくてはならないね」
「あら、わたしも一緒にお散歩しようかしら」
「いいね。デートにこの服を着ていこうか」
仲のいい二人の会話を聞きながら、アルーニ氏の後片付けを手伝った。ソフィアはオスカーと婚約していたが、デートなどしたことがなかった。
一緒にでかけたことがあったかもしれないが、必要に迫られて一緒に出かけたことがあるだけ。こうやって仲良くデートのプランをたてたこともない。
ソフィアとオスカーは形式だけの婚約だったとつくづく思い知らされる。アルーニ氏は話し合いが足りないといったが、何を話し合えばいいのだろう。
話し合いたいことも思い浮かばない。
「さて、わたしはこれにて失礼します。ソフィア、また送るよ」
「え……」
アルーニ氏が帰宅するためコートを羽織った。
ソフィアは一緒に帰宅するか問われたが、少し戸惑った。また馬車にはオスカーがいるのではないかと警戒した。
先日言い争いのようなことがあって、顔を合わせるのも気まずい。だが、カレンさんたちには理由は話せないし断る口実もとっさに浮かばなかった。
*****
「君たちは、いつもあんな風なのかい?」
助かった。結局アルーニ氏と同じ馬車に乗ることになったが、迎えにきた馬車にはオスカーはいなかった。ソフィアとアルーニ氏は馬車のなかで初めてふたりきりになった。
もし昔のソフィアだったら、服のことをたくさん聞きたくてわくわくしたかもしれない。
だが、今は違う。
オスカーと旧知の仲であるアルーニ氏。ふたりになれば、彼との関係を聞かれるのはわかりきっていた。
「あんな風……、もしかしたら初めてかもしれません」
「いつもは仲がいいのかい?」
「いえ、あんなにしゃべったことです。口げんかもしたことがないです。オスカーはいつもわたしの話は聞いても、自分の意見を言ったこともなくて。それに二人になることもほとんどなかったです。あっても、本当に幼いときで」
「おどろいた!婚約して短い期間ではなかったのだろう?」
「ええ、生まれたときには決まっていた約束ごとだったと思います。でも正式に婚約したのは12才のときです。あれから6年たちました」
「まったく困った坊やだ」
「困った経験もないです。心に引っかかる出来事もないです。ただ婚約していただけだと思います。今思えば……」
「全然伝わってなかったのか」
呆れたようにアルーニ氏は呟いた。アルーニ氏の言い方だと、何か伝えたかったとでもいうのだろうか。
ソフィアは困惑してしまう。彼の言うとおり、仮に話し合うことがあったとする。さらにオスカーの言うとおり、好意があったとする。
でも―――――、ソフィアは考えてしまう。
なぜ、いまさらなのかと。もっと時間があったはず。オスカーはいきなり婚約破棄されたように思ったかも知れない。だが、ソフィアにはそう決心させる時間があった。
「オスカーは不器用だし、口下手なところもある」
「そうかもしれません。というか、そうなのだと最近知りました」
仕事ができると噂には聞くから、交渉ごとはうまいのだろう。でも本心を伝え、ソフィアと向き合おうとはしていなかった。
「でもオスカー様を責めてはいません。わたしも口下手ですし。わたしもオスカー様と話し合いを持とうとはしませんでした。責任はわたしにもありますわ」
「ソフィアは聞き分けがいい子だな、もっとわがまま言って良いだろうに」
「今は好きなことをしていますから。もうわたしのことは忘れてオスカー様自身も好きなことをしていいと思っています」
「ひとつだけ君に伝えたいことがあるんだ」
ソフィアはアルーニ氏に視線を向けた。アルーニ氏は困ったように肩をすくめる。
「オスカーの至らなさが大いにあると思っている。だけれど、君を思っているのは本当だ。前に着ていた服を覚えている?オスカーはサイズ違いのダサいかっこうをしていた。あれはわたしが作った服なのだよ。彼に昔頼まれたんだ。目立たないためのかっこうを考えてくれって」
「オスカー様の服って……前からアルーニ様が作ったものなのですか?」
「ああ、彼のおかげでわたしは店を成功できたと言っても過言ではない。わたしがスランプに陥っていたときに、彼の励ましで救われたんだ。彼の言葉が胸に響いたんだね」
「そうなのですか。なぜ、目立たない服装を?」
「君にお願いされたからって聞いているよ。幼いころの約束だね」
「約束?」
ソフィアは思い出せなかった。幼いころはよくオスカーと遊んだ。オスカーの両親は仲がよくない。オスカーはよくソフィアの家にきて、まるで血の繋がった姉弟のように過ごしたものだ。
オスカーの母親は、体調を崩してはオスカーに当たっていたことがある。母親に理不尽に投げられる言葉。おびえを抱えていた幼いオスカーの傍にいたのは、ソフィアだった。
だが、オスカーの母親も辛い立場であったと理解できる。
身分違いの結婚が、オスカーの母親を追い詰めた。オスカーの母親も男爵家。いわばソフィアとオスカーの母親は重なるところがあるのだ。
オスカーの母親の美貌をお金で買ったと言われた侯爵は、結婚後も女性関係が派手だった。
今もオスカーの父親は複数の愛人がいると言われている。
「君がオスカーの生きる意味になったと聞いたよ。命を助けたことがあるって」
「そんな、大きなことはしていないです」
「だが、現に君の約束をずっと守っていた。君のものでいると、ソフィアが目立ちたくないというから自分も地味で目立たないようにと」
「そんな子どものころのこと……」
「新しい道を歩き始めて君には、余計なお世話だと思う。だがオスカーの言葉をもう一度だけ聞いてほしい。あの子は、中身は子どものままのところがある。君の支えが必要だと思う」
「………」
ソフィアは押し黙ることしかできなかった。急にこんなことを言われても、頭がついてこない。もう公式に婚約破棄は受理された。ソフィアはもう貴族ではない。平民と貴族との恋はありえない。ソフィアも望んではいない。もう何もかも遅い。
「ごめんなさい……」
ソフィアは絞り出すように謝罪の言葉を口にした。アルーニ氏の言葉を聞いても、何もすることはできない。
ただアルーニ氏は、オスカーの気持ちを考えてくれる。幼なじみとして、そしてかつての婚約者をこんなにも思ってくれる人。その人の気持ちを受け取ることができない。
しばらくして馬車をおりたソフィア。
胸の奥がざわざわする。もう終わった出来事であるのに、なぜ心が乱れるのか。ソフィアは自分でもよくわからなかった。
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