第14話 彼の噂、伝説の人 4
「…………」
ソフィアは張り付いた笑みを浮かべていた。
馬車の中には、尊敬するアルーニ氏。そして元・婚約者であるオスカー。久しぶりにみたオスカーは、とてつもなくかっこよくなっていた。
やはり街でみた人はオスカーだったようだ。
短くなった後ろ髪はすっきりと、そして前髪は緩く後ろに流してある。もともと甘いマスクであったが、それに加えてこの服装。金髪に青い瞳は上品で、どこかの王族の風格さえある。
本に出てくる王子様のようだ。着ている服も、アルーニ氏がオスカーのことを考えた一級品のもの。
手には届かない、もう遠い人に感じた。
「ソフィア、びっくりした?今の雇い人が、どうしても勉強熱心なお嬢さんに会ってみたいというからね。どうした?オスカー……機嫌が悪いようだが」
「そうですか?気のせいだと思いますが……」
オスカーは珍しくツンとした言い方をした。その様子から、アルーニ氏とオスカーは気を許した仲なのだとうかがい知れる。
こんなに気を許せる人がオスカーにはいたのか。まさかあのアルーニ氏と懇意な関係だったなんて。ソフィアは、二重に驚いた。
「やあ、ソフィア。久しぶり、元気そうでよかったよ」
「ええ、オスカー様こそ。お仕事もうまくいっているとうかがいました」
不機嫌なオーラを隠そうともしないオスカーであったが、にこりと笑みを浮かべてソフィアに挨拶をした。
触らぬ神にたたりなし。
ソフィアは他人行儀に挨拶をかわした。アルーニ氏にオスカーの関係を知られているか分らなかったが、今は他人であるオスカー。距離をとるのがいいだろう。
「俺とは一緒に馬車に乗るのも嫌がっているのに。初めて会った男性と、一緒の馬車に乗るなんて。ソフィアはよっぽどアルーニが気に入ったのだな」
「え……?どういうこと?」
こんな皮肉めいたことをオスカーが言うなんて珍しい。もともと物事に執着がなさそうだったし、どんなことがあっても温和な態度を崩さないオスカー。
だが今、その面影はなかった。
「いやあ、オスカーがそんな態度をとるなんてね。レディが驚いてしまっている。嫌われてしまうよ」
「いつも不機嫌にさせてしまっているよ。ソフィアはアルーニがいいのだろう。この年齢不詳の男が」
「年齢不詳ね。君が小さい頃から知っているからね、あの頃はかわいかったものだ」
どうやら幼いころから親交があるような二人。アルーニは見た目の印象で、青年くらいにしか思えない。
だが、口調や仕草からどうもフレーベル叔父さんくらいの年齢にも見えるのだ。つまり、ソフィアの父親たちと同年代。
結構な年齢なのかもしれない。
「ソフィア、この男の服は確かにいいものだ。もし俺の傍にいれば、アルーニの服が着られるぞ。君の好きな服のことも勉強できる。魅力的な誘いじゃないか?」
「オスカー様……、まだそんなこと言っているの?」
ソフィアは困惑した。貴族のオスカーが平民を口説いているのだから。まして懇意にしている人物の目の前で。
「君が俺のいうことをまったく聞いてくれないのはわかった。何もしなければ、きっと君は自分の世界をどんどん広げていくのだろうな。俺の存在など忘れてしまう。だったら、俺が君の世界に入っていくしかないじゃないか」
「オスカーは、とても立派な姿だと思うわ。みんな噂しているもの。お仕事もうまくいっているのでしょう?わたしなんて傍にいなくても全然平気じゃない」
「君がそんなこというなんて!とんだ皮肉にしか思えない。例え周りがいいという格好をしたとしても、君が振り向いてくれなければ意味がない」
オスカーは語気を強めて言いつのった。また話は平行線になりそうだ。どうすればいいのかとソフィアは考えあぐねた。
「はいはい、オスカーそこまで。女性を困らせるものではないよ」
言い争いになりそうだったオスカーとソフィアの仲を割ったのはアルーニだった。
「ごめんなさい、アルーニさん」
初対面に近い人に恥ずかしいところを見せてしまったと落ち込むソフィア。
オスカーはぶすっと不機嫌な姿勢は崩さなかった。こんな感情をむき出しにするオスカーを見るのは、幼いころぶりである。
オスカーと遊んだ幼い頃。あのころは、屈託なく笑い、ソフィアのあとをくっついてきた可愛らしいオスカー。
今は背も大きくなってしまって、凜々しくなって、あの頃の姿はもうない。
「いや、ソフィアも困惑するだろう?婚約破棄した相手が、いつまでも付きまとうのだから」
「付きまとっているわけでは、ないです……たぶん。ねえ、オスカー様?」
平民相手につきまとっているなんて醜聞がでてしまうと、オスカーにとってマイナスでしかないだろう。
ソフィアは首を振って否定した。
だがアルーニ氏は事情をある程度知っている様子で、ソフィアの言葉には半信半疑の様子だ。
「結婚したい相手に、好意を伝えているだけだ」
オスカーがさらっと重大発言を告げた。ソフィアはその唐突な言葉に反応できなかった。
目を丸くしたまま、オスカーの顔を見て固まってしまう。
「はははは、ソフィアには寝耳に水って感じだね。でもおかしな話だ。婚約は破棄したのだろう?なんで彼女の手を離してしまったのかい?好きならもっと早く結婚してしまえばよかったんだ」
「それは……無理強いしたくなかった。ソフィアにちゃんと好かれたかったから」
「おお、純情ボーイだね。相変わらず」
ソフィアはアルーニ氏とオスカーの会話を聞いていた。知らないことが多すぎた。
ソフィアはあくまでオスカーとは政略結婚だけでつながっている相手と思っていたから。
どんなにオスカーが足繁く尋ねてきたとしても、信じられなかった。婚約破棄前の態度が淡白過ぎたのだ。
「じゃあ、オスカーはソフィアに好きと伝えないと。この様子じゃ、レディには君の気持ちはまるで伝わってないよ。貴族の気まぐれ、未練……スマートじゃないな」
「気まぐれでもない。未練……でもない。最初から俺にはソフィアしかいない。君だから婚約したし、結婚だってするつもりだ。だから君を助けたい」
ソフィアは告白を聞いていた。だが、最後の言葉に我に返った。『助けたい』という言葉。ソフィアにはその言葉が引っかかった。
「わたし、助けてなんて一言も頼んでいないです。だから、結婚なんてしたくなかった……貴族と結婚したくなかった」
ソフィアは強ばった顔で語気を強めた。その様子にソフィアの地雷を踏んだと感じたアルーニ。
オスカーにはこれ以上口を挟むなと目配せをする。
「貴族と結婚すれば、生活は安定するでしょう。女性の結婚は、結局男性の経済力で決まってしまうのですもの。だからわたしは夫の帰りを待って、夫次第で人生が決まってしまうのが嫌なの。豪華な篭に囲まれたまま、わたしは人生を終わらせたくない」
「俺はそんなつもりは……」
「オスカー、君はソフィアと話し合いをするべきだったね。彼女の意見は貴族の女性が思っていることだよ。だけれど、実際は難しい。自由なようで自由がないのが貴族だから」
「自由がないのは、俺だって同じだ。だからこそ、君といたいんだ」
だがオスカーの言葉はソフィアには届かなかった。真剣な眼差しでオスカーを睨むように見つめるソフィア。
彼女の意志はかたい。今は冷静に話し合うことは難しそうだと判断したアルーニは、馬車をとめるように指示した。
「さあ、ソフィアお家についたよ。今日はゆっくり休みなさい。カレンさんから声がかかれば、来るといい」
「アルーニ様ありがとうございます。……オスカー様も、ありがとう」
ソフィアは座席から立ち上がり、それぞれにお礼を述べた。そしてオスカーの表情は見ずに馬車から降りていった。オスカーと話してもいつも話は平行線だ。いつからオスカーとはこんなにかみ合わなくなってきたのだろう。
男女を意識する前。ただ子どもとして、友人として遊んだ頃はこんな難しいことは考えなくてすんだ。
ただ一緒にいることが楽しく、オスカーの笑顔がソフィアには魅力的だった。
子ども心に初恋だったかもしれない。だが好きなだけじゃ、一緒にはいられない。
ソフィアは家に到着すると、そのまま居間のソファに座り込んだ。
ひどく疲れた1日だった。
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