第4話 女神さまの魔法授業

 

 桐生光佑きりゅうこうすけ鬼子姫きしきは羽虫の鳴き声が響き渡る森の中をゆっくりと歩いている。


 村を救ってくれたお礼として金貨を差し出されたが鬼子姫は断り、代わりに他の転生者ヤカの情報を求めた。


 今はその情報の中にあった森の中で悪さをしている転生者ヤカを目指して二人で向かっている所だった。


 出発の時間が遅かったこともあってか既に日も落ちかけ、緑々しい森林を赤く染めている。


「……すっかり遅くなっちゃいましたね」


「だって鬼子姫さまがトイレ休憩ばっか挟むからさー そんなにトイレ行きたいならもう一泊すればよかったのに」


「トイレトイレ言わないで下さい! 光佑さんの国の人は空気を読むのが長所じゃないのですか!」


「それは人によるというか。それでお腹の調子は良くなったの? これ村の人からもらった胃腸薬」


「うぅ優しさが沁みます……。昨日よりかは多少良くなりました。もう絶対魔物の生食はしませんっ」


「それならいいけど宿着く前にお腹痛くなったらその辺の草むらとかで──」


「し・ま・せ・ん・か・らッ!!」


 鬼子姫はプリプリと怒って先に言ってしまい、光佑は苦笑した。


 人一人を殺したと思えないほどに彼女の表情は豊かだ。


 光佑はずっとこれからのことを考えていた。


 このまま鬼子姫との旅を続けていけばまた自分と同じ転生者ヤカと戦うことになるだろう。


 そうなったらこの前みたいに光佑は戦えるのか。


 きっと無理だろうと思う。


 誰かを殺すための戦いなんて普通に生きてきた自分には無理だと。


 そもそも鬼子姫という神が本当に正しい行いをしてるとはどうにも信じられない。


(二人旅もここまでかな……)


 光佑がどう別れるか考えていると鬼子姫は夕食にしようと手頃な岩場に腰掛けた。


 たしかにすっかり日が暮れ、空腹のせいか腹がぐーぐーと鳴っている。


「食料を買っておいて正解でしたね。女神お手製スープでも作りましょうか」


 どさどさと野菜や食料を取り出して草茎で織ったシートの上に並べる。


 それらを光佑はナイフで手頃な大きさに切っていく。


「ああこれじゃ火がいるか。ちょっと手頃な石でも探してくるよ」


「その必要はありませんよ」


「えっマッチでも持ってるとか?」


「もうっ現代っ子はダメですね。ここがどういう世界かその目でご覧になってください」


 鬼子姫が指をパチンと鳴らす。


 すると瞬く間にボワっと火が上がった。


 火の気も何もないところに現れた魔法による炎は光佑のいた世界ではありえないものだ。


 せっかく異世界に来たのだから魔法の一つくらいは使ってみたいと彼は羨ましがった。


「……すごいな。俺も使えたりするのかな」


「うーん。今の光佑さんは魔力値が低いので上級魔法は難しいでしょうが、基本魔法くらいなら覚えられるでしょう」


「ほんと! あっでもこんなことしてる暇ないか」


 光佑は転生者を殺すためだけに鬼子姫に召喚されている。


 彼女ほどの魔法でさえ通じるかもわからないのに自分が魔法を覚えたところで役に立つ訳がない。


 だから光佑は鬼子姫にそんな無駄なことをしてる時間はないと怒られると思った。


 しかし返答は「構いません! 是非やってみましょう」と即答だった。


「そういわれるとは思わなかったよ。てっきり怒られるのかと」


「だって光佑さんは魔法のある世界って初めてでしょう? わくわくしませんかこういうの──」


 まるで同じ趣味を持った仲間を見つけた時のようにニコニコと鬼子姫は喜んでる。


 そんな表情を見ていたら光佑は自然に魔法の訓練を受け入れていた。


 ちなみに期待していた女神特製スープは野菜を煮込みすぎてドロドロのぐずぐずという代物だった。


 鬼子姫はあまり料理が上手くないのかもしれない。


 機会があれば今度は自分が料理を振る舞おうと決意した光佑をよそに魔法の授業が始まる。


「そうですね、光佑さんにはその前に少し魔法のことについてお話ししましょうか」


 そういって鬼子姫は中指と人差し指を重ね、「パラメータオープン!」と唱える。


 すると空間に半透明の石板のようなものが現れ、文字が次々と浮き出た。


 石板の上部には鬼子姫という名前が書かれ、上からステータス、スキル名、魔法名とびっしりと書かれている。


「これはワタシさまの性能を女神の力で可視化したものです」


「へえ、女神さまって体重五十六キロかあ、意外と重いんだな」


「ちょっと待って! そんな数値ないはずです! ……ありませんよね?」


 慌てて自身のパラメータを確認する鬼子姫。


「まったくもう……それはワタシさまの習得している魔法の数です。話を戻しますが少し前までこの世界でいう魔法とは魔力をエネルギーの塊としてそのまま相手にぶつけるくらいのものでした 」


「それってどのくらいの威力の?」


「ええと、一般的な人が行使した場合、成人男性のパンチ一発分くらいの威力はあるかと思います。基本的には女性の方が魔力が強い傾向にあるので護身用としての価値くらいはあったと記憶していますね」


 たしかに肉体で代用できる程度のものならば、武具を使った方が有効で護身用程度の扱いになるのも納得だろうと光佑は思う。


「しかし魔力の扱いに特化した転生者ヤカが出現したことで魔法の扱いは大きく変わりました。その転生者ヤカは魔力を火や風などに代替する法則を次々と編み出し、体系化させていきました。それから世界の人々は自身の才能にあった魔法を選択し、習得することが可能になったのです」


「それはいいことなのかな」


「どうでしょう? そのおかげでワタシさまはこうして戦えていますが個人が力を持つとそれだけ出来ることは増えますからね。功罪相半ばするといったところでしょうか」


 それ自体は光佑の世界と一緒だ。仮に自分の世界で魔法が使えるようになったとしてそれで世の中が良くなるかと言われたら半々だろう。


 生活を便利にすることは出来ても魔法による犯罪は無くすことは出来ないはずだと彼は思った。


 鬼子姫は自身のパラメータの魔法名が記載されている欄をとんとんと指さした。


 ずらっと五十六個もの魔法名が記載されていて、その全てが漢字二から四文字にカタカナで英名のような読み仮名が振られている。


「これがワタシさまの使える魔法の一覧です。光佑さんにもいくつか使えるものもあるでしょう」


「魔法を使うにはどうしたらいいの? なんか呪文とかあるでしょ」


「別にながーい呪文ですとか前口上は必要ありません、その魔法を発動できる才と力があればその呪文の名前を呟くだけで発動できます」


「でも法則なら最低でも呪文とか必要なんじゃないの? 技名だけでいいって」


「それはこの魔法を生み出した転生者ヤカがそう書き換えたからでしょうね」


「書き換えたって何を?」


 いくら規格外のスキルを持っていたって流石に術者その者を遠くから補助できるとは光佑には思えない。


「世界の摂理をです。木から林檎が落ちるように言葉一つで魔法は放つことができるようこの転生者ヤカは調整したんでしょうね」


「は…………」


 スケールがあまりにも大きすぎて光佑は言葉が出なかった。そんなことまで転生者ヤカの力は可能なのかと光佑は思う。


「そうですね……光佑さんには『球火ファイアフォックス』の魔法なんかいいんじゃないでしょうか」


「なんかあんまりかっこよくないなあ。個人的にはこの『神火御柱セルクラッシュ』みたいな強そうなのがいいかなあ」


「その魔法は相当魔法の練習をして、魔力値をあげないと使えませんよ。言い忘れてましたが漢字二文字の魔法が初級魔法、三文字が中級、四文字が上級だと覚えておいてください。とにかく初級呪文じゃないと光佑さんは魔法を撃てませんからね」


「なんかこれを作った人結構大雑把なんだね」


「それワタシさまも思いました。この世界の人には馴染みない文字なんでこれでも神秘性は保たれるんでしょうけど……」


 光佑は鬼子姫の言う通りに『球火ファイアフォックス』の魔法を使うことにした。


 右手を掲げ、女神に危険がない範囲まで距離をとる。


 これは光佑が二十数年生きて初めて行う魔法の行使。


 夢に見たゲームの登場人物さながらの行為に胸が高揚した。


 呪文の代わりとしての魔法名をゆっくりと噛み締めるように紡ぐ。


球火ファイアフォックス!」


 ポンと光佑の手のひらから出たのはハンドボールほどの大きさの白黄色の火の玉。


 それはふよふよとシャボン玉のように漂ったあと、木の幹に当たった。


 弾けるように閃光が溢れ、二人の視力を奪う。


 しばらくたって視力が回復したあと、魔法の痕跡を見たが魔法が直撃したにもかかわらずその樹木は燃えることもなく、傷もついていなかった。


 あまりの威力のなさに鬼子姫は言葉を失った。


「…………」


「まー最初はこんなものですよ! ここから鍛えて威力やコントロールを上げていくのが基本なんですから」


「おおおお!!!! で、でたあああ!! 鬼子姫さまいまのみたみた!? いや~なんていうか初めて異世界来てよかったと思ったよ!」


「……杞憂だったようですね。そうでした、貴方は優しい人だから」


「なんかいった?」


「いいえ、あなたを選んでよかったと思いまして。さあ休憩もここまでに先を急ぎましょうか。もう少しで村に着くと思いますので」



 鬼子姫きしきの言葉通り半キロほど歩くと村に着くことができた。


 その村は最初の村よりも大きかった。鬼子姫曰くこの村は大きな街道の境にあり、交易の際に街道の拠点として利用される宿場町のような役割があるのだとか。


 最初の村でのこともあって桐生光佑きりゅうこうすけは頭をすっぽりと隠すことができるローブを着ているために騒ぎにはなっていない。


 村の中でも一際大きい宿に鬼子姫と光佑は入り、部屋を一室借りる。


「今日はここに泊まるんだ」


「夜に襲撃するのは危険ですからね。この先の森は見通しが悪く、ワタシさまの魔法が届く前に間合いに入られてしまう恐れがあります。加えて野生の魔物に襲われる危険性もあるので昼に戦うのが賢明かと」


「それにしてもいいの? ここ結構高そうだけど」


「何を言いますか。このワタシさまに相応しい宿をチョイスしただけのことです」


「それならいいけど」


 光佑がお金を払っているわけではないのでそういわれたらとやかく言う権利はない。


「まだ時間はありますし、好きに出歩いて大丈夫ですよ。今ならまだ酒場とかもやってると思いますので」


 思えば最初の村では襲撃のごたごたもあってかあまり村の中をまわることは出来なかった。


「なるほど、それじゃお言葉に甘えて。鬼子姫さまは出ないの?」


「ワタシさまは部屋でゆっくりしています。ナンパとか嫌いなんですよね」


 出かける前からナンパされる心配とか流石に女神は違うなと光佑は思った。


「そうそう、手出してください」


「?」


 言われるままに光佑は手を差し出す。鬼子姫はその手にそっと手をかぶせて小さい小袋を置いた。


 中を開けると数枚の銀貨とその何倍もの銅貨が入っている。


「これくらいあればこの辺なら余裕で飲み食いできると思いますので」


「おお! ありがとう! 何もしてないのに良くしてくれて」


 内心ひもみたいだなと思いつつも有難くポケットの中に小袋を入れる。


「別にお礼をいう必要はありません。これからも協力してもらう仲間なのですから!」


 にこりと笑う鬼子姫の表情に光佑はちくりと刺さるものを感じたが笑い返し、宿を後にした。


 淡い街明かりで照らされた薄闇は光佑の心の中のもやもやのようでせっかく異世界の村を見て回っているというのに気が晴れない。


 とりあえず手近な酒場に入るとビールを注文した。


 鬼子姫のおかげかはわからないが異世界の人と会話が可能なようにメニューの文字も読めることができる。


 狐耳の女店主に出されたビールは元の世界の物よりも苦みが強かったが今の光佑には調度よい味だ。


「あんた余所者だろ? なのにそんな浮かない顔して追いはぎにでもあったのかい?」


 光佑の顔を見るなり、女店主が声をかけてきた。


 一瞬、正体が人間とばれたかとひやりとしたがローブを着ているためにばれてはいないようだ。


「いや元気元気、鬼のような上司も残業前提のノルマもないし。それにこの村はいい所だよ。何より命の危険もないみたいだし」


「……あんたの言ってることはよくわからないけど、この村がいいっていうのは表面だけよ。もうここに先はないよ」


「それはどうして?」


「この村の先にはヤカがいる。そんな噂が広まれば、こんな村に来る人なんていやしない」


 村を歩いている者やこの店に光佑以外の客がいないわけは夜が遅いからだと思っていたが理由は異なるようだ。


「アイツは腕の立つ者に目がなくてさ、村の男たちのほとんどが殺されるか逃げてしまったよ。あんたも命が惜しいならこの先の街道に行くのは辞めときな。あの道を通って生きて帰ってこれた者は誰一人としていないんだから」


「忠告どうも。でも今は神に仕える身だからその神さま次第だけどね」


「その恰好なりで聖職者?」


 いまの光佑の格好はこの世界の一般的な冒険者ものと変わりはない。


 目立たないように鬼子姫が最初の村から見繕ってくれたものだ。


「違うよ、なんとなく言うことを聞いてるだけなんだ」


「信仰してないって言っても言うこと聞いてるんじゃ一緒じゃない?」


「うーん、そういうんじゃないと思うんだけどなあ」


 光佑はそういって鬼子姫のことを考えるも正解と思える答えは出てこなかった。


「まあほどほどにね。死んじまったら元も子もないんだから」


 確かにと光佑は苦笑する。


 しばらくの間、酒場の姉さんと楽しく過ごし、部屋に戻ってくると鬼子姫がベッドの上で険しい表情をしながら手のひらを発光させている姿が見えた。


 尋ねると魔法の練習をしていると言った。


「おかえりなさい。少しは楽しめました?」


「うん、結構息抜きできたよ」


「それはよかったです。この先の街道にいる転生者ヤカは剣の達人らしいですからね。なんでもその道を通る人に問答無用で勝負を挑んで殺害しているのだとか」


 酒場の姉さんが言っていたことを思い返すにその転生者ヤカのせいでこの街に人が少ないのかもしれない。


 それでもその転生者ヤカと戦いになるのだとしても殺し合い以外の道があるはずだと光佑は思いたかった。


「今回は説得できればいいんだけどね」


「説得なんて要りませんよ。彼らには死んでもらうほかに道はありません」


「でも彼らも俺と同じ人間なんだし、説得する手はずもあるかも」


「だからダメですって。この世界にとって彼らはただの邪魔もの、不要物なんです。慈悲も情けも必要ありません」


「そう言われても俺には彼らに危害を加えるのが正しいなんて思えない。君のこと何も知らないし」


「……つまり光佑さんは私が信用できないとそう言いたいんですね? いいですよ、信用できなくても。貴方はただワタシさまに力を貸してくれさえすればよいのです。そうすれば光佑さんもいずれ理解してくれるはずです。ワタシさまの行いは正しいのだと」


 結局のところ、鬼子姫は光佑に対して都合の悪いことは説明しない。最初に会った時からずっと。


 脳裏に首だけになった阿久津という転生者ヤカの姿を思い浮かべる。


 このまま鬼子姫と旅を続けていけば、いつか光佑は取り返しのつかないことをしてしまう。


 そんな予感が光佑の胸の内を茨の棘のようにチクチクと苦しめていた。


「もう引き延ばしにするのもよくないよね」


 だからこれは光佑にとって当然の選択だった。


「ねえ鬼子姫さま」


「なんですか? 改まって」


「悪いけど俺はここでキミと別れることにきめたから」


「え……い…いきなりどうしてですか?」


「単純にもうキミと旅を続けるのは限界だと思ったんだ。少なくとも人を殺すのはね」


「ワタシさまはそこまでは求めてはいません! この前みたいに──」


「そのこの前みたいなのが嫌なんだ。あの時はがむしゃらだったけど」


「でも光佑さんが戦わないと大勢の方の命が」


「……あのさ。そういう言い方は卑怯だよ」


「ッ……! もし戦わないというのなら貴方は生かしておけません」


「ちょっ!」


 鬼子姫が手を掲げるのみて光佑は咄嗟に鬼子姫の手首を掴んだ。


「放しなさい……!」


「そっちこそ、魔法を撃つのは禁止!」


「貴方にそんな権限ないでしょう!」


 ベッドの上で揉みあいになる二人。光佑も鬼子姫の魔法に当たったらただではすまないことがわかっているために必死である。


 それから小一時間の間の格闘の末に女神はぜえぜえと息を切らしながら折れた。


「……行けばいいじゃないですか、どこへなりとも」


 鬼子姫は光佑の掴んでいた手を振り払うと、拗ねたようにベッドの上で寝返りをうった。


 どこへなりと言われても彼に行く所などない。


 それにもらったお金の残りでは宿を借りることもできないだろう。


 光佑としても今日の夜分の寝床くらいは確保したい所だった。


「あのせめて今日くらいベッドで寝たいなーなんて……」


 光佑の暢気ともとれる発言を聞いた鬼子姫はすぐさまベッドから起き上がる。


 その際に思いっきり光佑の顎に頭をぶつけたが鬼子姫は相当イラついているようで悶絶する彼を無視し、荷物を背負う。


「いいです、隣の部屋借りますから!」


 そう言って鬼子姫はバタンと大きな音をたてて扉を閉めて、行ってしまった。


 一人残された光佑は自分から断りの言葉をかけた手前、追いかけることもできずただベッドに横たわるのだった。



 そして鬼子姫キシキはというと──。


「あの……もう一室借りたいのですが」


 鬼子姫は宿の受付にもう一部屋借りれるかどうかを尋ねていた。


 元々鬼子姫たち以外の客は来ていなかったために快く了承してくれた。


「何かトラブルでもありました?」


「え?」


「いえ何か随分と疲れていらっしゃるので」


「さ、さっきまですこし運動をしてまして……あはは」


 何も考えず受付まで来たが少し髪型など整えてきてからくればよかったと鬼子姫は後悔した。


 それでも髪型くらいなら許容範囲内。


 しかし桐生光佑きりゅうこうすけに対して他が見えなくなるくらい自分はひどく怒っていたと自覚している。


 さっきまで彼に対して自分は鬼のような表情をしていたのかもしれないと思ったら無性に恥ずかしくなってきてしまう。


 さっさと部屋にいこうと宿代を払うための路銀を取り出す。


 そしてそこで鬼子姫は気づいてしまった。


「た、足りない……」



「はあー……眠れない」


 桐生光佑きりゅうこうすけはベットの上で額に手をかざしながらそう呟いた。


 鬼子姫キシキとの喧嘩の後、眠ろうと目を瞑っているのだが中々寝付けなかった。


 枕が変わると眠れないというし、世界すら変わったいま眠れないのは当然なのかもしれないと光佑は起き上がった。


 そして少し外の風を浴びようと外に出る。


 その際に隣の部屋の扉が目に入った。


 謝ろうかと思いノックするも鬼子姫は出てこない。


 流石に鬼子姫はもう寝ているのかもしれないと光佑は思った。


 部屋には時計という物がないので時間はわからないが夜遅いことだけは確かだ。


 そして外に出ると真夜中の村は相変わらず誰もおらず、落ち着いている。


 とぼとぼと歩く光佑の行き先は一つ。あの酒場だ。あの姉さんと話せば少しは気が落ち着くかもしれない。


 空いていることを祈って光佑は店に入る。


 最初に来たときと同じように狐耳の女店主が出迎えてくれた。


「なんか眠れなくてさ、お金もあんまりないんだけど話し相手になってくれないかなと思って……迷惑かな?」


「そう思って開けといたよ。初めての街とか村に来て、緊張して眠れないって奴結構見るからねえ」


「よかったよ。いや最初にここに来て」


 狐耳の姉さんはクスリと笑い、光佑にお酒を出してくれた。


「こいつを飲めばじきに身体があったまって眠くなるよ」


「ありがとう」


 一口飲むとじわりと甘味が口の中に広がり、光佑を満足感で満たした。


 お湯で割った蒸留酒に蜂蜜を加えたものらしく、飲み終える頃には光佑は身体の芯までポカポカと温まっていた。


「早く寝た方がいい。夜に起きてるってだけでも縁起が悪いからね」


「そうするよ。まあ別にやらなきゃいけないこともないんだけどさ」


 光佑の言葉を聞いて狐耳の姉さんは思いきったように切り出した。


「あんた、ここで暮らしていかない? 今はほかに若い奴もいないしさ。みんな歓迎してくれるはず」


 それは一人身の光佑にとって願ってもないことだ。


 だが自分の中に気づかない鬼子姫への未練があるのか素直に頷くことが出来なかった。


「部外者なのが気になるのならあたしの旦那になるっていう手もあるし」


「いや……そこまでしてもらうのは悪いっていうか」


「いいんだよ、どんな奴もすぐ死んじまうし。今もね、こんな夜更けにあの街道に向かった人がいて、注意したんだけど構わず行ってしまってね……」


 その言葉を聞いた時、光佑は何か嫌な予感がした。


「えっと……その人はどんな感じだった?」


「ええと、でかい帽子ですっぽり顔を隠していてね。でも隙間から青い髪が見えたね。この辺じゃあ珍しいと思うが……おい! ちょっと!」


 光佑はいてもたってもいられなくなり、立ち上がる。悪い予感が当たらないようにと。


「ごめん、いかないと」


「その子知り合いかい? でもあんたみたいな弱そうなのが今街道に行ったら死んじまうよ!」


「そうかもね。でもなんかほっとけないんだ」


 光佑はお酒の礼を言って店を出ていく。


 宿の受付に尋ねると鬼子姫はお金がなくて宿を借りれなかったことがわかった。


 部屋にも戻っておらず、彼女は酒屋の姉さんが言った通り危険も顧みず転生者ヤカと戦いに街道の先へと向かったのだろう。


「ああ、もう! 馬鹿なのかなあの神さまは!」


 全速力で鬼子姫の後を追う。


 頭上の星々は光佑の世界で見たものよりも明るく、道行を照らしているようで追いかける足にも力が入ったのだった。

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