第5話 無双の剣スキル


 その男は街道沿いにある大きな岩の隣で黒刀を抱えるようにして眠っていた。


 鬼子姫キシキの見立て通り、この街道は森の中にあり、木々に囲まれているために魔法を行使するには他への配慮をしなくてはならない上に見通しも悪い。


 万が一、森の中に隠れられてしまった場合は苦戦も必至だろう。


 既に時刻でいうと正子を過ぎているために辺りは真っ暗闇で、手にもった淡い提灯の明かりだけが彼女の精神を落ち着かせていた。


 道中、魔物に遭遇せずに来れたのは幸運だった。


 そのお陰で目当ての転生者ヤカにばれずに発見できたからだ。


 転生者ヤカとの戦いは当然だが相手の能力によって対策、有効術が決まる。


 分析魔法アナライズを使って、相手の能力を事前に調査しなければチートスキルのない鬼子姫に勝ち目はない。


 しかし彼女が魔法を使うよりも早く、男が目を開けた。


 微かな音や明かりに反応したわけでもない。近づく者の気配を感じ取る第六感ともとれる超感覚がその者には備わっていた。


「女か……道に迷ったわけではないようだが」


 呟く男の左手は不気味にも刀の柄と一体化してしまっている。


 そして立ち上がった際に発せられた揺らめく瘴気によって生じた悪寒が鬼子姫の顔をこわばらせる。


 その転生者ヤカの持っている黒刀は恐らく魔剣だと彼女は察した。魔剣のような呪われた武器に魅入られてしまい武器と肉体が一体化してしまう者を何度か鬼子姫は見てきたことがある。


 そのどれしもが自我を乗っ取られ、能力に加えて強靭な身体を有していた。


 攻撃させたらまずいと女神の肉体からなる魔力の素が活性化していく。


 能力は分からないが相手の武器は刀。リーチの差では魔法のエキスパートである鬼子姫が圧倒的に勝っている。


 相手が整う前に勝負をつけるしかないとなかばやけ気味に彼女は覚悟を決めた。


「御託は用いません。その生命、あるべき場所に還りなさい」


 鬼子姫の右手に魔力が集中すると、世界の魔法則と繋がった証である魔方陣が展開し、極大術展開の準備が整う。


全天滅光アスターストーム!!」


 言葉とともに放たれた女神最大の雷術は必殺の意志を持って男に襲い掛かった。


 撃った衝撃で森全体が揺れ、鬼子姫も反動で後ずさる。


 男の背後の大岩をも覆いつくすほどの光束はもはや避けられるものではない。


「他愛なし」


 ゆらりと男はその黒刀を鬼子姫の術に向かって、振るった。


 魔法と呼ぶとはいえ、魔力を現実の物質に変換させているだけのもの。その熱量をたかが刀一本で防げるものではない。


「なっ!」


 ひゅっと風が鋼鉄に裂かれる音がしたかと思った時、鬼子姫からは驚きの声が漏れた。


 刀が振り払われた瞬間、触れるもの全てを消滅させるほどのエネルギーを持つ魔法が忽然と姿を消したからだ。


 そして男は刀に至るまで傷一つなく柳のように立っている。


「我に断てぬものなし」


 そういって黒刀を鬼子姫に向ける。


 鬼子姫は咄嗟に炎弾ファイアバレットの魔法を地面にばら撒いて砂煙をあげさせる。


 そして街道沿いの一際大きい木の後ろに隠れた。


 あの男の刀に触れた魔法は霧散した。自然法則をまるごと覆すような行いは技でもなくスキルに由来するものだろう。


 そして鬼子姫にはそれが『一ツの太刀』というスキルであることを理解していた。


『一ツの太刀』というスキルはあらゆる状況において剣撃を最善の一手とする能力である。


 先の魔法が跡形もなく消えたのも襲いかかる障害という概念そのものを絶っていたからであった。


 能力が分かればあとは対策するだけだがそうは思っても頭が冷静さを取り戻してくれない。


 いまも先ほどの光景を思い返して唇を噛んでいたところだ。


(何が断てぬものなし……ですか! どこ生まれですか! それにワタシさまの魔法を……! 貴方がゴミみたいに振り払った魔法にワタシさまが何年かけたと思ってるのですか! そっちはスキルでなんでもできるからいいですけどこっちはねえ!)


 心の中で好きなだけ剣士の転生者ヤカへの文句を吐く。そして文句の対象は次第に桐生光佑きりゅうこうすけへと移っていく。


(……イライラしすぎですかね。でもこれも光佑さんがいないからですよ。せっかく、せぇ〜〜っかく! ワタシさま直々に魔法を使いこなせるまでレクチャーして差し上げようと思ったのに。あんな別れ方ないです! あんな……)


 鬼子姫は提灯さえもなくなった暗闇の中で魔法を初めて使った光佑の姿を思い浮かべた。


 無邪気に喜ぶ少年の姿を。


(……でも当たり前ですよね)


 彼は今までふつうの世界で暮らしてきた人間でそもそも鬼子姫に従う義理などなく、ましてや同族を殺害する手伝いなんて受け入れられるはずもない。


 前回はたまたま守る対象があったから協力してくれただけでそれでも彼は良くやってくれた。


「仲良くやって行きたかったんですけどね……」


 それでもこの使命は果たさなければならない。肉体が消滅しても魂が燃え尽きようとその前にと鬼子姫は覚悟を決め、剣士と向き合う。


 空間把握の能力が優れているのか、剣士はこの暗闇の中で真っすぐに鬼子姫のもとへと向かって来ていた。


 このままでは十と経たない内に間合いを詰められ、凶刃に倒れることとなるだろう。


 彼女は浮遊魔法を使って、木々を超えて剣士を見下ろせる位置まで浮いた。


「自然を荒らすのは少々心が痛みますが…」


 すでに位置的優位は鬼子姫に傾いている。この場所から魔法を掃射すればいくらチートスキルといえども手傷の一つくらいは負うことだろう。


投擲雷ゲボルガ!」


 呪文とともに出された魔力の大玉を鬼子姫が前方に放り投げた。


 大玉はそのまま空中をふわふわと雲のごとく漂っている。


「一が駄目なら百ならばどうでしょうか」


 そして剣士を探知すると、剣士に向けて夥しい数の矢が大玉から発射された。


 大岩であろうとも貫通する魔力で編まれた矢は次々と木々を貫き、地面に深々と刺さっていく。


 剣士は本能で危険を察知したのか矢に貫かれる前に背後に跳ぶと、片膝をついて腕と同化したままの刀を鞘に戻した。


 一息で十メートルも跳ぶ身体能力は大したものだと鬼子姫は感心したがそれきり男の動きは止まってしまった。


「刀を納めたということは降伏なのでしょうか。ワタシさまはそんな甘い女神では──」


「空に逃げこむとは間抜けめ」


 剣士が静かに黒刀を抜き放った。


 鬼子姫との距離は銃弾でもなければ届かない距離だ。この世界には剣身から魔力を放つ魔法が存在するがそれならば鬼子姫は魔力の流れから予測できる。


 あの剣士の行為に意味があるとは思えないと鬼子姫は次の攻撃の体勢に入った。


 その時である──。


 ボンッと突如として大玉が割れ、魔力が体外に放出された衝撃で彼女を弾き飛ばした。


「きゃあっ!」


 鬼子姫は空中で風車のように回転するも、再度浮遊魔法をかけて体勢を立て直す。


 身体を揺さぶられたことによる強烈な吐き気に襲われながらもいま行われた攻撃を分析する。


 鬼子姫の魔法は遠く離れた剣士が抜刀したと同時に両断されていた。


(空にまで攻撃が届いた……!?)


 魔剣による真空刃の類かはたまたスキルによる力か、答えはどうあれ鬼子姫が剣士の間合いにいるのは自明である。


「我に遠いも近いもない……」


「それなら、やられる前に最速の一手で──!」


 鬼子姫は習得している魔法の中でもとりわけ速い刃風ウィンドカッターという風の刃を発生させる魔法を使用した。


 浮遊魔法によって剣士の頭上に接近しながら何度も魔法を唱える。


 蜘蛛の網のように幾重にも折り重ねられた鎌風にもはや逃げ場はない。


 剣士がもう一度、黒刀を振りぬく。


 交差する風の刃と黒き刃。


 鬼子姫は刃がぶつかる最中、目の前に巨大な刀身が通り抜けたような錯覚を覚えた。


 そしてぱっと赤い飛沫が舞った。


「少し……浅かったか」


 剣士の袖口が千切れて、風に運ばれていく。


「……ぐっ、こんなことが」


 対して鬼子姫の肩口から鮮血がぽたぽたと垂れている。剣士は鬼子姫の魔法ごと彼女を斬っていた。


 急速に低下する体温。平衡感覚を失った鬼子姫の身体は落下していく。


 木の枝に揉まれながら、地面に落ちた鬼子姫はダメージの大きさからか蹲る。


 ざあと目の前で足音が響く。あの剣士が刀を振りかぶり、鬼子姫の首を斬り落とす姿が脳裏に浮かんだ。


 ぎゅっと目を瞑るも肩にぽんと置かれた手に思わず顔をあげた。


「はあ……はあ、やっと着いたよ」


 そこにはここまで探しに来たせいか、全身が汗でびっしょりの桐生光佑が立っていた。


「光佑さん、どうして……」


 鬼子姫は驚いた。あの村で一方的に光佑に怒った上に、何も言わずに転生者ヤカとの戦いに赴いた。


 正直、見放されてもおかしくはないと鬼子姫は思う。


「どうしてってそれはこっちが聞きたいよ。鬼子姫さま泊まるお金なかったんでしょ」


 相も変わらず光佑は能天気だった。彼は鬼子姫を抱きかかえ、大木のそばに横たわらせる。


「なぜそれを……」


「お金ないならあんなにお金渡さなくてもよかったのに。女神さまの見栄っ張り」


「うっ……」


「それにお金ないなら部屋に戻ってくればよかったのに。女神さまの意地っぱり」


「う、うう……」


「それより大丈夫? ひどい怪我だ」


「いまの光佑さんの心無い言葉のせいで悪化しました」


「ええ……」


 鬼子姫は『治癒魔法ヒーリング』を使い、剣士に負わされた傷を回復させる。

 

 しかし鬼子姫の使える魔法では完全回復とはいかずいいとこ応急処置程度のものだ。


「これで少しはマシになりました。ワタシさまが心配でここまで来てくれたんですか?」


「まあね。流石にほっとけないよ」


 鬼子姫は光佑を直視できなくなり、顔をそらす。


「……でも転生者と殺し合うのは嫌なんでしょう?」


「だから殺さない。けど懲らしめる程度なら俺にもできるかもしれないよ」


「そんな暢気なことを……! っく……」


 思わず立ち上がった鬼子姫だが痛みに耐えられず膝をつく。


「まだ動かない方がいいよ。動けるようになったら村の方に逃げて」


「……待ってください。あの転生者が振るう剣は全てが間合いのうちに入ります。距離を詰めて戦って下さい。光佑さんのスキルによる耐性なら、ある程度はダメージも軽減できるはずです」


「わかった。行ってくる」


「でもなるべく避けてください。万が一でも光佑さんに死なれたら夢に見ますから」


 鬼子姫は苦笑して走り出す光佑を見つめながら祈るように目を閉じた。


 *


 桐生光佑きりゅうこうすけが剣士の転生者ヤカを探すまでにそう時間はかからなかった。


 剣士は隠れるそぶりすら見せず、じっと光佑を待つように立っている。


「あんたか、ここを通せんぼしてるっていうのは」


「先の女は期待はずれだった。お前は……多少マシであればいいが」


 そういって剣士は刀を光佑に向けて構える。


 対話する気は更々なく、光佑は諦めたように後戻りしたい気持ちを抑え、剣士の下へと歩みを進める。


 暗闇に溶け込む黒き刃はさながら死神の鎌のようで徒手空拳の光佑には恐怖の対象でしかない。


 それでも立ち向かう気が湧くのは後ろに鬼子姫がいるからだ。自分でもよくわからない衝動を抱えている。


 あんな別れ方をした後でも目的が人間を殺害することだとしても何故だか鬼子姫きしきを見捨てる気にはなれなかった。


 剣士がまるで眼前にいる敵を真っ二つにするように刀を振るう。


 ぞくりと悪寒が走る。巨大な剣が身体を通り抜けようとしている感覚だ。


 咄嗟に足を踏み込み、左に光佑は跳んだ。そのまま地面を転がるが即座に体勢を立て直して剣士に向き合う。


 彼がさっきまで立っていた地面は地割れでもあったかのように亀裂が入っている。


 もしあのまま進んでいたら、死んでいたかもしれないと光佑はごくりと生唾を飲み込む。


 しかし剣士は手を緩ませることはなく、刀を振るってくる。


 一太刀ごとに地面が割け、空気が刃のように通り抜けるが持ち前の身体能力を生かして紙一重で躱しつつ距離を詰めた。


 そして手を伸ばせば届くほどの距離まで追い詰めた刹那、剣士の胴を両断するようにして振るわれた斬撃がついに光佑の脇腹に直撃した。


「グ、ァぁ……!」


 衝撃で吹き飛ばされそうになる身体。


 それを何とか踏ん張って堪え、剣士の襟を掴む。


 そして一本背負いの要領で投げ飛ばした。


 特攻能力のおかげか転生者ヤカの身体は羽毛のように軽く、かなりの勢いで跳ねていった。

 

 痛みを感じて傷口を見ると、赤い染みが服に広がっていた。


 脇腹を抑えながら、光佑は剣士を見る。


 あの勢いで木々をなぎ倒しながら吹き飛んだのだ、骨の数本は折れてもおかしくはないと思っていたが男は平然としていた。


 刀を静かに眺めていることからも自身の剣技で光佑が死ななかったことのほうがよほど納得できていないようだ。


「鋼鉄でさえも断つ剣技を受けて立っていられるとは……お前は何者だ?」


「さあね……! そこんとこは俺もよくわかってないんだ」


「まあいい。斬ってしまえば同じことだ」


 剣士が横薙ぎに剣を振るおうとする。このまま状態では光佑は剣士に近づく前に力尽きることになると頭では理解していたがどうすることもできない。


刃風ウィンドカッター!」


 突如として声が聞こえ、空から風の刃が木々や蔦を裂いて剣士の下へと襲いかかる。剣士はそれを両断し、光佑の前に降り立った魔法の主である鬼子姫をみた。


「鬼子姫さま! 身体は大丈夫なの!?」


「かろうじてですが……でもいまはそんなことよりも聞いてください。光佑さんはまだスキルの全てを引き出してはいません。光佑さんの想いに応じてあんなチートにも負けない力がきっと身につくはずです」


「想い……?」


 気合を入れなおしてみるが身体に変化はない。


 正直、光佑にはスキルの実感自体があまりないために鬼子姫の言葉は確証を得なかった。


「フッ……舐められたことだ」


 剣士は鬼子姫の言葉を挑発と受け取り、黒刀を彼女に向ける。


「あなたはこれでも食らってなさい。刃風ウィンドカッター!」


 鬼子姫が放った一陣の風の刃は剣士の頭上に逸れ、剣士に枝葉や木に巻きついている蔦などを降らせただけであった。


 剣士は気にも留めず鬼子姫の下へ悠然と歩く。


「余程消耗しているようだ。まともに当てることもできないとは……」


「それはどうですかね」


 鬼子姫の言葉の後、剣士は足を止めた。


「これは……何だッ!」


 黒刀を地面に突き刺し、もたれかかるようにして膝をついた剣士の額には珠のような汗が噴き出ている。


「油断しましたね。この辺に生えている植物には毒を持つものもあるんですよ」


 そんなようなことを言っていたなと光佑は鬼子姫の言葉を思い出す。大型の魔物でも耐えられないくらいの強い毒なのだとか。それが本当ならばあの剣士はもう身動きがとれないだろう。


 そして鬼子姫は光佑の手を取ると一目散に剣士の下から逃げ出した。


 街道を引き返す道中、二人の間にはほとんど会話がなかった。


 剣士との戦いで緊張していたこともあるが握る手は温かく何だか照れ臭かったのだ。


 村が見えてくるころにはもう空に太陽が昇り始めていた。


「こ……ここまで来れば大丈夫でしょうか」


「そうだね……」


 二人は走ってきたこともあって肩で息をするほどに体力を消耗していた。


「でもどうしてさっき魔法を使わなかったのさ。鬼子姫さまにとって絶好の機会だったでしょ」


「ワタシさまの治癒魔法は自分しか治せないので流石にそんな傷を負った光佑さんの前で迂闊な行動はとれませんよ。その……ワタシさまの責任もありますし」


「じゃあこれからアイツをどうするか一緒に考える? あ、殺しは駄目だよ」


「善処します。だから光佑さんもワタシさまが転生者ヤカを葬るのを了承して下さいね」


「それ善処してなくない?」


 結局こうなるのかと光佑が頭を悩ませていた時のことだった。


 ひやりと嫌な予感が光佑の全身をかけめぐり──。


 気づけば光佑は鬼子姫を押し倒していた。


「な、なにをするんですか。突然」


 鬼子姫はそう言って寄りかかる光佑の背後を見て絶句する。


 街道を覆うようにして生えていた樹木の全ては幹を残して伐採されていたからだ。 

 

 二人の周囲だけではなく地平の彼方までの全ての木々を一撃で葬り去る所業は流石といわざるべきか。


 そして今まで遮られていた視界が見渡せるようになり、剣士が悠々とこちらに歩いてくるのが見えた。


 光佑に逃げようと背を叩いた鬼子姫は自身の手についた赤い血を見て、軽い悲鳴をあげる。


 女神を庇ったせいか彼は深手を負っていた。


「鬼子姫さま……逃げて……」


 鬼子姫は光佑の言葉を無視して庇うように前に立ち、剣士と相対する。


「よく追いつきましたね」


「毒そのものを斬ったからだ。まったく無駄な小細工をよくもしてくれたものだ」


「この人はただワタシさまの命令でここにいるだけです。お願いです、彼だけは見逃してください」


 剣士は足元に散らばる枝の中の一本を拾うと、鬼子姫の足元へ放り投げた。


「こいつを使って戦え。一本でも取れたらそこの男といわずお前も見逃してやろう」


「……わかりました」


 苦虫を噛み潰したような表情で鬼子姫は自身の武器として足元の枝を拾う。


 枝の長さは鬼子姫の肘から先程度の長さほどだ。勿論、なんの加護もない枝で刀の一撃を受けきれるはずもない。


 これは自分の力を誇示したいがための転生者のお遊びなのだ。こうやって多くの人間を殺めてきたのだろう。


 武具の差は余りにも大きいが光佑から見る鬼子姫はまだ諦めてはいなかった。


 鬼子姫は枝を両の手で持ち、真っ直ぐに剣士を見つめる。平青眼の構えだ。


 剣士は恐らく自分から仕掛けてこないとわかっていたのか彼女は一歩踏み込み、自身の持っていた枝を剣士に向けて真っ直ぐに打ち下ろした。


 男はその一撃の振り下ろしに合わせるようにして両腕を斬りとばす要領で抜き打ちをした。


 だが鬼子姫は剣勢を意図的に止め、ひらりと返して胴を打ち込んだ。


 それは目にも留まらぬ早業だった。


 剣士の一撃は鬼子姫の髪を数本持っていった程度で男の腹には枝が当てられている。


 勝負ありだった。


 当の剣士も声一つ出さず、固まっている。そして場の空気を鬼子姫の一言が溶かした。


「い、いっぽんです」


「一本、いま一本と言ったのか……?」


 緊張感からか肩で息をする鬼子姫を見ながら剣士は剣を持つ手を震わせている。


 そして剣士は無防備な彼女に対して折りたたんだ足を伸ばすようにして蹴り飛ばした。


「きゃあっ……!」


「 お前みたいな小娘にィ! 我が負けるはずがない!」


 剣士は激昂し刀を掲げると力任せに振り下ろす。眼前には尻餅をついて体勢を崩した鬼子姫がいる。


「やめろっ!」


 光佑の叫び声が虚しく響くがだれも耳を貸すものはいなかった。


 咄嗟に小枝で庇うも爪楊枝を折るように容易く二つに折られ、そして剣士の一刀を肩先に受けた鬼子姫は噴水のような飛沫をあげ、仰向けに倒れ伏した。


 剣士は鬼子姫を足蹴にし、嘲った。


「他人を斬り捨てるとその分、自分がひとつ高見に立った気がするのはなぜだろうな」


「その足をどけろ……!」


「いや分かってはいるのだ……今まで幾度となく積み重ねた屍の上に我は立っているのだからな」


 剣士は鬼子姫の傷口を容赦なく踏みしめた。


 かひゅうと悲鳴にもならない吐息交じりの掠れた声が鬼子姫の口から漏れる。


「この娘もいまその一つとなる」


「おまえ……!」


(光佑は私の味方でいてくれるよね)


 その時ふと昔の記憶を思い出した。


 光佑には昔、遠藤茉莉佳えんどうまりかという好きな人がいた。同年代の幼馴染であり、高校までは一緒に登校するほどに仲が良かった。


 いつも明るく笑顔を絶やさない女の子で光佑はその笑顔に弱かった。


 想いを伝える前に別々の大学に入ったこともあって二人の距離は離れていき、社会人になってからはもうずっと会っていなかった。


 日々の仕事に追われ、心身共に疲れていた頃に読んだ新聞の一面は決して忘れないだろう。


 光佑の大事な人は知れず、命を落としていた。


 一家心中だった。光佑はそのニュースを見るまで仲の幼馴染の父親が病に倒れたことも生活苦から大学を辞めて働いていたことも知らなかった。


 自分がその場にいたら何ができたのかもしれないと考えるがただ助けられなかった自分に後悔と怒りを与えるだけだった。


 もうこんな後悔をしないように誰かのために動かなければとあの時何度も唱えるように誓いをたてた。


 しかし光佑はまた繰り返している。目の前に横たわる鬼子姫はもう息をしてるのかさえ定かではない。


 何度やり直しても卓越したスキルを持っていても自分では何も為せない。そんな無力な自分に怒りがこみ上げてくる。


 そしてガチリと鍵が開いたような音を聞いた。あるべきところにおさまった、そんな感覚が光佑を支配する。


(これはもしかして鬼子姫さまの言ってた……)


 宣言するようにその言葉を口にする。


赫刃合装かくじんがっそう


 背中の痛みは消え、身体は一本の線のごとく。


 光佑の右手が蒸気に晒されたように熱を帯び、思わず中空に腕を差し出すと一本の赤熱化した剣のようなものが形成され、握られた。


 刀身は二尺程度で緩やかに反ったいわゆる曲刀だが幅広で大型のナイフのようでもあった。


 それを見て剣士はすぐに剣を構えて突進してきた。


 有り余るほどの殺気に脂汗が滲んだが光佑も引くわけにはいかないとありったけの気合の声をあげて相対した。


 そして剣戟の際に剣士の肩を切り裂いた。呻く男は涎を垂らしながら光佑を睨みつける。


「お前ェェ!」


 自身の一撃があの剣士に通用したと光佑は驚いた。


 あの剣を手にしてから明確に変化があった。


(わかる。あの男の血液の流れ、筋肉の動きが!)


 光佑には周囲の物体の熱を正確に測ることが可能になっており剣士の次の行動を予測できるレベルに身体の動きを把握することができた。


 剣士が背後に飛び、突きの連打を繰り出す。間合いは離れているがあの剣士に距離は関係ない。


 光佑はあらかじめ予測した攻撃に合わせ剣を振るってそれを防ぎ、同時に剣士への間合いを詰める。


 時間にして数秒の時、されどもスキルのせいか驚異的な脚力を身につけた光佑は気づけば剣士の背後を取っていた。


 そして無防備な男の脇腹を剣の峰で打ち払う。


 木々を何本もなぎ倒しながら、やっとの思いで止まった剣士は今度こそすぐには立ち上がれないダメージを受けていた。


「やめた方がいい。これ以上戦えばそっちの身がもたない」


 傷を負った状態で無理をしたせいか剣士の出血量は意識を失ってもおかしくないほどだ。


「剣で我の上をいくなどという愚かさ。その報いは受けてもらう」


 腰を深く落として剣士は黒刀を構えた。


「やめろっ!」


 剣士が何をしようとしているのかいまの光佑には明確に理解できた。


 最初に対峙した時とは比べ物にならないほどの邪気がこの地一帯か、もしくは世界の全てを覆っている。


 鬼子姫は当然のこと、村の人々までもがあの刀の餌食になるかもしれない。


 だから必死だった。理屈も何もない。


 身体から湧き出る全能感に支配されたいまの光佑にできないことはない。


「うあああああ──!!」


 剣士の刀よりも早く力の限りに振るった斬撃の軌跡はすべてを斬り裂く刃と化して、男に襲いかかった。


 燃えるような烈火のごとき飛ぶ斬撃は剣士の腹部を貫通した。


 胴から両断され、崩れ落ちる剣士。断末魔の叫びをあげる間もない、致命の一撃だった。


 剣をその場に落とし、すでに物言わぬ亡骸となった剣士をみる。


 この結果は女神の望んだものだ。さぞ女神は喜ぶだろうなと光佑は思った。


 しかし理由などうあれ、自分は人を──。


 どうしようもなく手が震える。後戻りのできない恐怖が光佑を苛めていた。


 その時「大丈夫です」と声がした。両手を温かく包む手のひら。


 見上げるとボロボロの鬼子姫がそこにはいた。鬼子姫は立っているのが不思議な傷のまま、申し訳なさそうに光佑に向き合う。


「ごめんなさい、貴方に背負わせるつもりなどなかったのに」


 手のひらはどんどんと冷たくなっていく。


 そして光佑が声をあげた時、ぷつりと糸が切れたように鬼子姫はその場に倒れた。


 咄嗟に彼女を支えたが流れる出血の量が手遅れだと伝えているようで彼を絶望感で満たした。


「あの転生者ヤカを圧倒か。中々やるじゃないか」


「!」


 声がした。


 気づけば四方八方に視線。おびただしい数の魔物に取り囲まれている。


 咄嗟に落ちている剣を手繰り寄せるが鬼子姫は光佑の力は転生者にしか及ばないものと説明していた。


 最初の街で魔物に特攻能力が通用したのはあくまでも転生者の手が入っていたからであって彼の素の力はスライム一体に手こずるほどだ。


 とんと光佑の目の前に蝙蝠のごとく黒い羽を生やした少女が舞い降りる。


 黒を基調としたドレスに身を包み、裾を翻して着地する様はどこかの国の貴族の娘がダンスの誘いを申し出る、そんな印象を受けた。


 中学生くらいかそれよりも低く見えるほどに幼く可憐な少女はそれでいてひと睨みで光佑の動きを硬直させるほどの威圧感を持ちあわせている。


「そんなに畏まることはない。なにせ君の方が強いからな」


 クスクスと笑う少女。隣にはいつの間にか彼女を庇うようにして一人の剣士が立ち、口をはさむ。


「笑っている場合じゃないよね。自称よわよわ魔王さま」


「魔王だって……!」


 目の前の少女の正体に光佑は今の絶体絶命の状況を忘れるほどに驚いた。


「そう。私の名は魔王グリムベイル。魔王を継いだ者さ」





 河野貴文(剣士の転生者)、死亡。

 ────残る転生者八十六人。

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