第2話 最初のヤカ
アリエの説得も効果をなさず、襲いかかって来そうだと察した光佑は自分から村の外に出ることにしたのだ。
「しかしのどかだ」
青い空に草木の揺れる平原は日本のものと何ら変わりはない。
「そんな遠くを見つめて、もうホームシックですか?」
とんがり帽子を被った青髪の女神である
「鬼子姫さまは今までどこに」
「村の方たちから情報収集をしてたんです」
「追い出されなかったの?」
門前払いに近かった光佑への対応を考えると疑問が生まれるのは仕方ないことだ。
鬼子姫は静かに帽子をとるとそこには髪色と同じ青色の獣耳が頭に生えていた。
「十秒しか持ちませんけどね。でも一回認識をひっくり返せば自然と信じてくれる、そういうものですよ」
「便利だなあ」
説明通り、すぐに鬼子姫の獣の耳は消滅する。
そして女神は何か決意をするように深呼吸をすると光佑と向き合い、口を開いた。
「この村には駆除対象がいるようです」
「そのことなんだけどさ。その駆除の対象のヤカって奴は人間なんだよね? 鬼子姫さまは人類を絶滅しようなんて考えてる?」
光佑は抱いていた疑問を鬼子姫にぶつけた。もし本当に人間を殺さなければならないのならとてもじゃないが了承できないと。
「厳密にはこの世界に人間という種族は存在しません。この世界にいる人間は全て異なる世界からやってきました。呼ばれたと言った方がよろしいかもしれませんね」
「それで邪魔になっちゃったと」
「はい。この世界にとって彼らは不要な存在です。可哀想ですが私たちが狩らなければ──」
可哀想という鬼子姫の表情はロボットのように無機質であった。
「一つ言っておくけど、俺にはできない。同じ人間を殺すなんて」
光佑はヤカがどういう存在か黙っていた鬼子姫への不信感も含めて一つの宣言をした。
前の世界では普通に生を謳歌していた。家族や友人、会社の同僚など生きていれば自ずと自分以外の人たちと関わることになる。
そんな普通の世界で生きていた光佑に神さまの頼みとはいえ殺人を犯すことなどありえない。
「それはこの世界の者たちを見捨てるということですか? この村は今でも
「そりゃ助けるよ。でも村の人たちだって無力じゃない。だから積極的に殺しにいかなくたって」
「スペックの問題ですよ。ネズミが熊に勝てますか? あなたが動かなければ多くの者が死ぬ」
「じゃあ尚更勝てないよ。スライムにも勝てない俺じゃね」
「いいえ。光佑さんには特別な力があります。
熱っぽく光佑を語る鬼子姫の瞳は本人の心を見ていない。
だからか彼女に少しの反感を持ち、それは言葉に変わった。
「あのさ、もう一つ聞いていいかな?」
「どうぞ」
「その駆除対象ってのに俺は含まれてるのかな」
「────」
沈黙の時が光佑に答えを教えてくれた。
「イエスっていうことか。困ったね」
光佑は立ち上がり、鬼子姫に目も向けずその場を去ろうとする。
「光佑さん!」
「ついて来ないで。きたら多分キミのこと嫌いになると思うから」
光佑の言葉を真に受けたのか鬼子姫は追ってくることはなかった。
*
歩き回る内にいつの間にか
その場所は石塔が所狭しと立ち、神聖な雰囲気を感じさせるためか墓と気づくことにそう時間はかからなかった。
墓は古いものよりも、最近になって建てられたような新しいものが多い。
その中で一人見知った顔を光佑は見かける。
まだあどけなさの残る少女、アリエが墓の前で手を合わせていた。
「また一人で出歩いてると魔物に襲われちゃうぞー」
光佑は親しげに話しかけたがアリエはびくりと身体を震わせるとそのまま硬直した。
「大丈夫、何もしないって」
といいつつも指先をアリエの前に掲げて、ぱっと何もないところから花を出現させた。
「すごい!」
大学在籍時に飲み会を盛り上げるために練習した簡単なパームマジックだがアリエの緊張を解すには効果的だった。
光佑はかがんでアリエと目線を合わせ、尋ねた。
「何してるの?」
「お母さんの身体が少し良くなったからその報告に」
「誰にかな?」
「お父さん」
少女が祈る墓はまだ立てられてそう時間は経っていないようだった。
「そうか、きみのお父さん……」
「うん、お父さんは私を庇って村に入ってきた魔物に襲われたの」
そのショックで母親の体調も悪化してしまったとアリエは自嘲気味に言った。
「全部私のせいなんだ。私が代わりになればよかったのに」
「アリエは死んだ後はさ。どこに行くと思う?」
「どこにもいかないよ。私たちは死んだその日の夜に死神さまに身体を返して消えて無くなっちゃうんだ。だからお父さんも今まで死んだ人たちもみんなもういないんだ」
「……俺の国ではね。死んだとしても心だけは消えずに天に昇っていくって考え方があるんだ」
「空に昇ってどこに行くの?」
「このお空の上にはさ、天国っていう辛いことや苦しいことがない楽園があるんだよ。そこからアリエやみんなの様子を見ることができるんだ」
「じゃあもしかしたらお父さんも」
「きっと見守ってくれてるよ」
「……おとぎ話みたいで信じられないけど。でも死んだ後にそんな世界に行けるとしたら、なんて素敵な話なんだろう」
「死んだ後に異世界で生き返るなんてこともあるし、意外と死んだ後何もないってことはないんじゃないかと俺は思うんだ」
「その言い方なんかまるで生き返ったことあるみたい」
「そうだよ、実は一回死んでるんだ」
光佑が両手の甲を前に下げてお化けのポーズを取るとアリエはなにそれとくすくす笑う。
その時、村からカンカンと警鐘を鳴らす音が聞こえ、アリエがそれに大きく反応した。
「怖いお兄ちゃんがまた魔物を連れてきたんだ……お母さんが危ない!」
アリエは光佑を置いて、村へと一目散に走っていく。
「光佑さん」
追いかけようとして走り出した光佑の足が止まる。
いつの間にか
鬼子姫はアリエの父の墓に花を一輪置くと光佑に向き直った。
「村が
アリエのような幼い子供に辛い思いをさせないためにと光佑は鬼子姫の言葉に賛同した。
「ああ、誰も傷つけさせない。俺も同じ気持ちだ」
*
村の中は魔物の襲撃によって混乱の様相を呈していた。
魔物の吐く火によって家屋は焼かれ、逃げ惑う人々がまた一人と魔物の餌食になっていく。
剣を手に戦う者もいたが魔物の数が多く、防戦一方が現状だ。
彼女の魔法は的確に魔物を捉え、致命的なダメージを与えている。
人間離れした能力を持っている女神をみると、この魔物の群れの前で自分は何が出来るのかを考えてしまう。
そんな
「光佑さんは村の方たちの保護をお願いします」
「鬼子姫さまは?」
「私は
「?」
何か先ほどから鬼子姫の言動にどことなく歯切れの悪いものを光佑は感じていた。
しかしこの先で二手に別れることを決めた彼女は意を決した様子で口を開いた。
「ワタシさまのこと嫌いになりましたか……?」
「え?」
「隠れてあとをつけてしまったんのでその」
それで光佑のついてきたら嫌いになるという言葉を鬼子姫は気にしてしまったのだとわかった。
照れているのか不安なのか、彼女は肌を赤く高揚させ右手を左の腕に当てている。
それがどうにも可笑しくて声を上げて笑ってしまった。
「なんで笑うのですか!」
「いや結構細かいことを気にするんだなと思って、神さまだからもっとどっしり構えてるのかと」
その言葉を聞いて鬼子姫は目を丸くして一瞬固まったがすぐに平静を取り戻す。
「──確かに少し女神っぽくなかったかもですね」
そう言うと鬼子姫はコホンとひとつ咳払いをし、力強く命令した。
「いまだこの村の人々は魔物の脅威に晒されています。操られた魔物によって死ぬはずのない者が死ぬ、これは決して許されることではありません。魔物を排除し、一人でも多くの命を救いなさい。それが二度目の生を受けた貴方の使命なのです!」
抱いていた不安は消え、代わりに村の人たちを救うという強い意志が光佑の中に炎のように渦巻いていた。
鬼子姫と別れ、走る光佑だが背後から彼女の叫ぶ声が聞こえる。
「光佑さん!」
「なにー!」
「御武運をっ!」
どこまでも神さまらしくない鬼子姫に光佑は苦笑した。
光佑は魔物の注意を引き、村人を逃がす。
それを繰り返し、自分の出来る限りの力で村人たちを救っていく。
その中でこの世界に降り立って最初に言葉を交わした少女。アリエの言葉が聞こえて、簡素な造りの家屋へと入った。
アリエは魔物から母を庇うようにして立っていた。母親の意識はないが、外傷は負っていないようだ。
彼女たちを襲おうとしている魔物はワームの一種だった。
人間大の大きさをしたその魔虫の口内には輪を描くようにびっしりと鋭い牙が生えており、呑み込んだものを瞬く間に磨り潰してしまうことだろう。
光佑は道中で拾った手のひらほどの大きさの石をワームに投げつけ、気を引いた。
「お兄ちゃん!」
「キミは強い子だね。お母さんを連れて安全なところに逃げて」
「でもお兄ちゃんが……」
少女の心配の通り、この大きさの魔物は光佑にはどうすることもできない。
それでも──。
「アリエはこの村に来た俺たちを庇ってくれたでしょ。村の人たちに怒られても諦めずに。それを見てかっこいいなって思ってさ。自分が辛い思いをしても誰かのために頑張る。そういう人のために俺は戦いたいんだ」
「わかった……お兄ちゃんありがとう。また色んなことを教えてね!」
光佑の言葉がどのくらい伝わったかは分からないがアリエが出るまで光佑がこの場所を梃子でも動かないことは理解したようでアリエは礼をいうと、母親を背負って去っていった。
「こっちだ! こっち!」
光佑はいまにも飛びかかりそうなワームを家の中にあった棒きれで牽制しつつ、逃げる機を図る。
魔虫は光佑に向けて半透明の糸を吐き出す。
糸を避けること自体は容易であったがワームは逃げ場を塞ぐように糸を吐いており、気づいた時には遅かった。
足元に張り巡らされている糸は粘着性のものであり、完全に身動きがとれない状況になってしまった。
ワームが待ってましたと言わんばかりに飛びかかる。
「くっ!」
そして駄目だと思った瞬間、衝撃が光佑の身体を覆い尽くした。
その後すぐに気がついた彼はアリエの家が何らかの攻撃を受けて吹き飛んだのだと知った。
腕を持ち上げると手に付着していた黄緑色した粘着質の液体が糸を引く。
それはワームのもので、すぐ近くで柱に潰されている姿が確認できた。
どうやら倒壊した家の下敷きとなったようだ。
光佑の方はというと倒壊した瓦礫の隙間に運よく収まったために無事だった。
「ふう、助かった」
瓦礫をどかし外へと出ると、光佑は被害の中心にある物体をみて、背筋に冷たいものが走った。
「何だあれ……」
星を飲み込むブラックホールの如き、黒い影が村を呑み込んでいた。
*
村を壊滅させるまでの強い敵意。
その様を見届けられる場所にいるのは自明だったからだ。
年は高校生くらい。服装は青みがかった鎧を着用している。
その瞳は憎悪に濡れていて、村人たちへの容赦はない。
「高みの見物ですか。随分といい身分ですね」
浮遊魔法で
「なんだお前は?」
「異世界の人間がこの世界の者たちに危害を加えるのを止めるためにやってきた、いわば警察みたいなものですよ」
「この村の連中はな転生者であるこの雅人さまを余所者と邪険に扱ったんだよ。こうなってもしょうがねえと思わねえかな」
「それでこの村を滅ぼそうと? あなたの世界では大量殺人って重罪ですよね」
「命の価値は等価じゃない。それくらいはわかんだろ」
太々しい男の発言に鬼子姫の瞳が刃のようにギラリと鋭くなる。
「──そうですね。そして貴方の命がこの村の者よりも高いとは限らない」
「ああ、お前俺と似たような匂いを感じるぜ。そうか……お前が
二人の間で交わされる視線は殺意となって双方に突き刺さった。
「魔獣使い
「ハハハっ、……できるもんならやってみやがれ!」
阿久津の号令とともに周辺の森に生息する鳥の群れが鬼子姫に敵意をもって襲いかかる。
「
魔法によって動きを封じられた鳥達は鬼子姫に爪を突き立てる前にばたばたと地に落ちていく。
そして中指と人差し指を合わせ、阿久津に向けた。
「
鬼子姫の指から発射された無数の炎の弾丸が阿久津へと降り注ぎ、破裂音とともに黒煙に包まれた。
炎魔法の一つである『
しかし黒煙が晴れ、鬼子姫は唇を噛んだ。阿久津はまったくの無傷だったからだ。
答え合わせをするかのように鎧の胸の部分に目玉が浮かび上がり、女神を睨みつける。
(まさか、この鎧も魔物なの!)
「無駄だ。こいつは並の魔法じゃ傷すらつかねえんだ」
この世界に訪れる転生者の多くは何十年も研鑽を積んだ冒険者や王都直属の騎士団を赤子扱いにできるほどのチートスキルを手に入れている。
阿久津雅人も例外ではなく『魔心掌握』というスキルを持っていた。
一般の魔獣使いは魔物を一体使役することが限界であるが阿久津という男はいくらでも魔物を使役できる上に、魔物の上限すらない。
その気になれば大地を揺らし、一息で街を消すことができるドラゴンでさえも操ることができるだろう。
鬼子姫の肌が空気を裂く気配を感じとる。
空にふわふわと浮いている彼女めがけ、何らかの生命体が迫っていた。
取り乱すこともなく、先ほどと同じ炎弾の呪文を唱え、接近してくる物体に掃射する。
しかし超高速で空を駆ける物体を捉えることは至難である。
繰り出した火の球は当たることはなく空に溶けていき、それは鬼子姫の右腕を掠め、阿久津の隣に降り立った。
その魔物を見て目を見張った。
マグマのごとき輝きを放つ赤羽に黒水晶のように深く沈んだ色をしている瞳。
──魔物の名前は怪鳥ヴァドス。
ヴァドスは体内に熱機関を内包しており、そこからの生成エネルギーを利用して、超加速を可能とする魔物である。
さながらジェット機といった様子で獲物を捉える際には瞬間的に音速を超える速度を持つという。
鬼子姫が魔法でヴァドスを多少なりともずらしていなかった場合、その強靱な鉤爪によって頭をもぎ取られていたことだろう。
(魔王が滅びた今ここまで強力な魔物、そうはいないはずだけど……)
「あの生意気な女を食ってやれ」
阿久津の指示によってヴァドスは標的を鬼子姫に見据えた。
彼女は距離をとりながら、炎弾の魔法を唱える。
怪鳥はそれを自身の羽を撃ち出して叩き落す。
空中を縦横無尽に駆け巡りながら攻撃し合うドッグファイトは次第に熾烈さを増していく。
「
鬼子姫の身体から発した無数の炎の鎖がヴァドスを包むもその速度を前に簡単に振りぬかれる。
「俺の魔物に勝てるわけねえんだ」
「それは……どうですかね」
鬼子姫はがむしゃらにヴァドスから逃げ回っているわけではなく、一つの考えがあった。
その考えに阿久津が気付いた頃には女神は彼の背後でヴァドスを迎え撃つ形となっていた。
「俺を盾にしようと無駄だ。コイツは絶対に俺を傷つけないように命令してある」
最高速度にまで迫っていたヴァドスは阿久津を傷つけないようにローリング。
その後、側面から鬼子姫に向けて急加速した。
無防備な彼女の首元に怪鳥の湾曲した鋭い爪が迫る。
しかし鬼子姫は口元に笑みを浮かべていた。
そして次の瞬間、怪鳥の体内は空気を入れすぎた風船のようにボンと破裂した。
「な、何だとッ……!」
「多くの……魔物使いの弱点は使役する魔物の限界を知らないということです。スキルで言うことを聞かせてるだけですからね」
怪鳥ヴァドスはエネルギーを生成する際に体内が膨張するために通常は臀部にある排熱機関によって熱を放出している。
だが生物である以上それにも限界があり、鬼子姫の炎魔法で高温状態を保ったまま阿久津の命令通り急加速を繰り返した結果破裂してしまったのだ。
しかし彼女自身も至近距離で衝撃を受けたために身体の節々から煙が上がっている。
『
「お前。イカれてるな」
「それはどうも」
ここまでやって阿久津にはかすり傷程度のダメージすら与えられていない。
(やっぱり、
「あーうっとおしい女だ。とっておきを出してやるか」
「とっておき……?」
阿久津が指をパチンと鳴らす。
まず最初に地面が揺れた。
それから地面を割いて闇のように黒い泥が湧き出でると建物も何もかもを呑み込んでいく。
辺りの建物を根こそぎ平らげた後、それは鬼子姫に破滅を与えるかのごとく現れた。
それは汚泥をぶちまけたかのように真っ黒な巨人だった。
ぎょろりと赤色に光る一つ目が開くとそれが合図のように全身から細長い針のような触手がうねうねと周囲を伺うように蠢めいた。
鬼子姫がぴりぴりと感じてる悪寒を何倍にも膨がらせる。
巨人から出でる肉の腐ったような匂いが辺りに充満し、思わず鼻を手で覆う。
「一体……この生物はなんなのですか」
この生命体が何なのかは分からないが阿久津の能力から魔物であることは確かなようだ。
神様である鬼子姫が把握していない魔物というのはつまるところ──。
「こいつは特別製だ。この世界とは異なる世界の魔神でね、転移してきたところを操って
「この世界の生物ですらないものを使役できるなんて。ほんと、チートもいいとこですね」
未知数の魔物を前に鬼子姫は吐き捨てるように悪態をつくことしか出来なかったが、その態度を見て阿久津はおもちゃ遊びつくしたと思っていたゲームにまだ隠しルートが存在したかのような喜びの表情を浮かべた。
「ククっ……余裕そうだな。お前の後ろを見てもその態度が持つかな」
後ろに気配を感じて鬼子姫が振り向くとそこには魔物の血に塗れた剣や斧を持った村人たちがかけよって来るのが見えた。
「なんだこの魔物は!」
「こいつが俺たちの村を!」
「俺の魔物たちを使ってな。ここに来るように誘導させてみたんだ」
村人たちは怒りに身を任せ、魔神に攻撃しようとしている。
それは鬼子姫には自殺行為に見えた。
「来ては駄目っ!」
しかし鬼子姫の声は届くことはなく、魔神の全身から伸びた触手が一瞬にして村人たちを貫いた。
村人たちは自身に起こったことを理解する間も無くバラバラにされ、地面に散らばる。
「っ……! このっ!」
それを見た鬼子姫は激昂して魔法を放つ。
撃ち出した雷の槍は触手を焼いて、魔神を射程圏内に捉える。
だが雷の魔法は魔神に届くことはなく、その場から跡形もなくかき消えた。
(そんな! もう魔力が……)
「残念。あんだけ魔法をうってりゃ流石にガス欠だよなあ」
阿久津は鼻で笑い、魔神に鬼子姫を捕まえろと指示を出した。
抵抗できるはずもなく彼女の四肢は触手によって拘束され、空中で身動きのできない体制にさせられた。
「く、うう……」
身体に跡が残るほどにきつく締め上げられて鬼子姫は苦悶の声をあげる。
阿久津はそれを見て満足そうにすると自分の目の前まで彼女を引き寄せた。
「お前、なかなかいい顔をしていたし、洗脳用の魔物を使って奴隷として飼うのもいいかもな」
阿久津の言葉に返すこともなく鬼子姫は俯いていた。
それを観念したと捉えたのか男は高笑いする。
ようやく笑い声が収まった時、やっと阿久津はその音に気づいた。
ぐちゃりぐちゃり──。
それは肉をすり潰したような不快な音だった。
思わず阿久津は鬼子姫の髪を引っ張り無理矢理顔を見張る。
彼女は一心不乱に触手を食べていた。
口元から赤い魔物の体液が垂れ、服を汚していることも気にせず、噛み千切り、呑み込んだ。
「……まずい。けど流石にとっておきなだけありますね。こんな触手にすら高純度の魔力が宿ってる」
「な……! お前、正気か!」
どこの世界から来たのかも分からない未知の生物を躊躇いもなく食すなど普通はありえない。
常人では衛生面を考える前に嫌悪感で吐き出してしまうことになるだろう。
しかし鬼子姫は触手を糧とした。
ヤカを倒すための手段として絶対の覚悟を持って。
阿久津が気づいたときには、既に鬼子姫は起死回生の一撃を放っていた。
女神の持ちうる中でも有数の必殺となる呪文を。
「
鬼子姫の手のひらから必滅の粒子がすべてを焼き尽くすように躍り出る。
そして天からの裁きとも思うべき光は魔神の半身をも消し飛ばした。
咄嗟に退いた阿久津も無傷ではなく、焼かれた左の顔面を手で押さえている。
呻きながら男は叫ぶ。
「やれッ! その女を八つ裂きにしろ!」
阿久津の号令で巨人が鬼子姫にゆっくりと近づく。
彼女の魔法で失ったはずの半身は何事もなかったかのように既に再生していた。
「もう復活したというの……!」
そして人の身体など容易く両断するほどの切れ味を誇る無数の触手が鬼子姫に襲い掛かる。
動きを見切って避けるがあまりにも手数が違いすぎた。
(駄目──! 捌ききれない!!)
一瞬の隙をついて触手が首を撥ねようと迫り──。
「どうやら、間に合ったみたいだ」
触手は空を切り、鬼子姫は誰かに抱きかかえられているような奇妙な浮遊感に覆われた。
そして彼女が見上げると自身が呼び出した青年、
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