第29歩 大雨の降る夜に

「こいつは、クーさんに教わった洞窟で雨宿りするしかないな」


 四島のゲートをくぐって早々に、ザックの顔と声に疲れの色が浮かぶ。


「そうね。そうなると、一週間では帰れないかも」

「ニコルの言った通り、途中で食材補充して正解だったね」


 ここに辿り着くまで道のりで、予想以上の時間が掛かってしまい。

 既に三日目の昼過ぎとなっていた。


 それに、この雨では……。 昼過ぎとは思えない仄暗さが、僕たちを包む。

 新界探索は、得てして予定通りには進まないものだ。


 僕たちは木々にマーカーを付けながら、地図に書き込まれたポイントの中で最も近場の洞窟へと移動した。


 大雨の降る森林地帯。

 そして、油断しているとすぐに襲って来るであろう、魔物と夕闇。


 それは、森林地帯の初心者が探索するには、あまりに過酷すぎる環境。


 戦闘を極力回避する為に細心の注意を払って移動したこともあり、僕たちが洞窟へと到着したのは周囲が暗くなる直前だった。


 幸い、入口から最深部まで三十メートル程度、内部が湾曲して入口から奥の見えない洞窟内には他のシードル新界開拓者も魔物もいなかったことで、この洞窟で雨宿り兼野営を行うこととなった。




 夜になっても雨はまだやむ気配をみせない。


 僕たちは交代で歩哨ほしょうを担当。

 一人が洞窟の入口付近で見張りを行い、他の二人が食事や仮眠を取るようにしていた。


 僕が二回目の見張り役を行っていたちょうど真夜中頃の時間帯。


「様子はどう?寒くない?」

「ああ、ニコル。ありがとう。今のところ問題ないよ」


 ニコルが洞窟の入口へと顔を出した。


「まだ、交代の時間にはちょっと早いんじゃない?」

「なんだか、早く目が覚めちゃって」


 そう言うニコルに「そっか」と相槌を打つ。


 そんな僕に、


「いいじゃない。おはなししましょ」


 と、ニコルは僕の隣に座り、温かいコーヒーを渡してくれた。


「ソラ。この前の訓練中に見たっていう夢の話。覚えてる?」


 ニコルとのおしゃべりを始めて四半刻か半刻か。

 正確な時間はわからないけど、たぶんそのくらいの時間おしゃべりをした後、ニコルが僕に訊いてきた。


「うん。フェレと仲良くしてたってやつだよね。状況が状況じゃなきゃ楽しい夢だったんだけど」

「ソラも、新界の魔物とも仲良くなれると本気で思う?」

「え?」


 思いもよらぬニコルの言葉と表情での質問に、僕は訊き返すでもなく言葉を発して固まってしまった。


「ソラ言ってたじゃない。バーダントベアとかバーダントパードとも仲良くなれる気がしてきたって」

「ああ。うん」


 僕の声を最後に静まり返る二人。


 大雨と風と水滴の滴る音だけが場を埋めていく。


 そんな空気の中、僕は、


「そうだったら良いなって。……ザックは無理だって言ってたけど。……でも、たぶんザックも同じ考えだと思う」


 と、途切れ途切れになりながらも。

 今まで冗談としてしか誰かに伝えてこなかった想いを、僕は初めて真剣な口調で口にした。


「そう」


 ニコルの声を最後に再び静まり返る二人。


 そんな少し緊張した空気の中、ザックのいびきが聞こえてきて。

 二人で顔を見合わせて「ぷっ」と笑った。


「わたしも同じ」


 声を抑えて一頻り笑った後、ニコルが続ける。


「新界の魔物は、わたしたちを敵視している個体ばかりだけど。魔物に傷付けられたり殺された父や母の患者さんを見ていると、そんなことあり得ないって頭ではわかっているのだけど。やっぱり心では。そうじゃない個体も存在するんじゃないかって」


 ゆっくりとした、でもはっきりとした口調。


 今日までに何度か違和感のあったニコルの雰囲気と、今のニコルの雰囲気が重なった気がした。


 そんなニコルに応えられるように。途切れ途切れになりながらも。


「僕も…新界にもぐり始めて少し経った頃……。新界の魔物を一方的に排除するシードルの実状に、心の片隅で…疑問があったんだ」


 僕は今まで誰にも伝えてこなかった想いを口にした。


「人界の魔物…特にフェレとは仲良いし……。本当は新界の魔物とも…仲良くなれるんじゃないかって。…今は敵だと割り切れるようになったけど。……なかなか憧れだけじゃシードル家業は悩みが絶えないね。やっぱりシードル、向いてないかな?」

「そんなことない。ソラはシードルに向いていると思う。その優しさは人界と新界を繋げるのに絶対に必要だと思うから」


 ニコルの質問から始まった会話が、いつの間にか僕が人生相談している形になっちゃったけど、それでも真剣に聴いてくれたニコルに僕は「ありがとう」と告げた。


「遅くなっちゃたね。わたしはもうよく寝たから交代しようか」


 その後も少し。ほんの少しだけど。

 お互いの心の中を見せ合った僕たちは、見張り番を交代して。


 僕はすっきりした心持ちで睡眠に入ったのだった。

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