第19歩 vs バーダントⅠ

「準備はできたか?」

「こちらはいつでも」


 ニコルが弓を持つ手を挙げてタンバの問い掛けに答え、ザックと目線の合ったソラがダガーを構えて頷く。

 ザックも剣を握り直し、先程までのなごやかな雰囲気から頭を戦闘の思考に切り替える。


 ―― 準備はできたか?と訊いてきたくせに、当の本人は上衣なんかを正す気配が全くない…ということは ――


「教官は随分ずいぶんとラフな格好ですね」


 ザックのその問いに樹に寄り掛かり腕を組んでいたタンバはニヤッと笑い、懐からおもむろに取り出した魔石を自身の影へと落とした。


「ああ、今日お前らの相手をするのはこいつらだ」

「やっぱりな」


 ザックとタンバのやり取りにソラとニコルも状況を理解。

 ザックを先頭に戦闘隊形を取る。


 タンバが足元に落とした魔石はまるで沼に沈むかのように影へと飲み込まれ。

 再び腕を組み直したタンバとは対照的に影が動きを帯び始める。


 徐々に広がるタンバの影は既に人型になく、樹の影をも飲み込んで大きな暗闇を形取った。


『グァガァグァァァア!!!』


 響き渡る怒号が三人の鼓膜を震わせる。

 タンバの影はもう影として見る影もなく、隆起し、膨張し、人外じんがい形作かたちづくっていく。


「バーダントベアか・・・」


 ザックはそう呟くと、乾き始めた唾液を無理やり飲み込んだ。


「来るぞッッ!」


 まとわりつく影を振り払うかのようにこうべを振るい、獣性を帯びた唾液を飛散させた熊型の魔物【バーダントベア】は、濁った眼孔がんこうで三人を捉えるや否や、再びの咆哮と共に地面を蹴り抉った。


 その狂躁然とした獣の接近にニコルは声を失う。


「俺が出るッ!ニコルとソラはフォロー頼んだッ!」


 ニコルの様子を肩越しに察したザックが、四足で地面を抉り上げて近づく熊型の魔物に向かって駆け出し、ソラはザックから一歩遅れてサイドを取りに動く。


 ニコルもザックの声に頷くと、いつのまにか手を離してしまっていた矢筒の矢に再び手を掛けた。


 ザックの接近にも勢いを緩めず、両腕を広げて跳び掛かるバーダントベア。


 その瞭然りょうぜんたる脅威に怯むこともなく、ザックはすんでのところを見極めて後方へと大きく跳躍した。


 猛然と振るわれる両腕。くうを切り裂く鋭利な爪。

 盾と爪が擦れ合い、金切り音が鼓膜を震わせる。


 そして、一瞬もたがわず着地する騎士と魔物。魔物の巨躯に地面が沈む。


 しかし、四足で着地したバーダントベアより更に低く。

 ザックは重心を極限まで下げ、盾を構え、勢いのついたバーダントベアの巨体へと真っ向からぶつかった。


「ぐぅッッ!」


 バーダントベアはザックを当然のように圧倒。

 ザックの両足によって地面に刻まれた二本のわだちがバーダントベアの四足に次々と飲み込まれていく。


 が、次第にその速度は落ち始め、


「ぐうぅぅぅらぁぁあああ!!」


 ザックがバーダントベアの進行を完全に止め切った。


『ガァグァァアアア!!!』


 怒りを帯びた咆哮ほうこうが響き渡る。

 生み出されたばかりの個体であり知能も経験も拙いバーダントベアは、矮小わいしょう人族ヒューマンごときに自身の突進を止められたことに唯々ただただ憤慨ふんがいした。


『グァッ!ガァッ!グガァッッ!!』


 左右の腕で力任せの薙ぎ払いを繰り返すバーダントベア。

 ザックは回避を交えつつそれを盾でしのぐ。


 そして、体勢が崩れて大振りになったバーダントベアの左薙ぎ払いをバックステップで回避すると、上段からバーダントベアの肩口を斬り裂いた。


『グァガァアア!!』


 バーダントベアの肩口から黒色の煙が立ち昇る。

 が、分厚い外皮の裂傷れっしょう程度では魔物は全く怯まない。


 ―― 体重が剣に乗らなかったか ――


 視界の端で早くも薄まっていく煙を確認し、思わず「チィッ」と舌を打ってしまう。


 しかし、― こんだけの事で逆上している様じゃ三人の大黒柱は務まらねぇわな ― とばかりに、グッとこらえ。


 再び一心乱乱いっしんらんらんに繰り出されるバーダントベアの薙ぎ払いを、重心低く盾を構え好機を伺う。


 怒り狂い、忘れるわれも持たず、ただ只管ひたすらに相手を蹂躙じゅうりんすべく攻撃の手を緩めない魔物。


 そして、それを冷静に捌き続ける一人の人族ヒューマン


 はたからは一方的な攻防とも見て取れるが、耐え凌ぐザックの気迫に、この攻防は魔物の体力が切れるまで延々と続くのかもしれない、とも思わせる。


 そして遂に、バーダントベアがらちかない攻防に痺れを切らす。

 バーダントベアは腕を地面から離して二足で立ち上がり、盾ごとザックを抱き潰そうかといったように両腕を大きく広げた。


「ッフッッ」


 その途端、足元にかすかに聞こえた息遣い。

 そして、間髪入れず湧き上がる傷み。脚と脳の咬み合わせが外れた様な感覚。


 バーダントベアは今まで感じた事のない感覚に、ザックに合わせていた攻撃の焦点を反射的にそっちに向けさせられ。

 広げていた右腕を真下に振り下ろした。


 そこにいたのは、バーダントベアの背後から気配を消して滑り込んできたソラ。

 バーダントベアの右脚膝裏の腱には、深々とソラのダガーが突き刺さっていた。


「うわ!っと」


 ソラはバーダントベアの素早い反撃に余裕のある驚きの声を上げつつ、魔物の太い右脚を蹴り台にして横っ飛びで振り下ろしを回避する。


 ダガーが引き抜かれた刺創しそうから勢いよく黒煙が噴き出し。

 感覚を外された右脚を思いっきり蹴り台とされ。

 尚且なおかつ、右腕を振り下ろしてしまったバーダントベアの体勢は、右後方に大きく崩れた。

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