第11歩 バーナ村に生まれて

 大通りを横道に逸れ、いくつかの角を右へ左へ曲がりながら西側へと進んだ先に僕が部屋を借りている建物はある。


 頭が一つも二つも高い建物に肩が当たるか当たらないかという距離で挟まれて、小さな敷地にちょこんと佇む。

 陽が落ちきっておらずまだほんのりと暖かい仄暗さも相まって、見様みようによっては両親に両手を繋いで貰って家路を歩く子供みたい。


 そんなことを無意識のうちに頭に浮かべながら、いつのまにか酔歩すいほとも取られ兼ねなくなっていた足取りで住民共用の玄関口をくぐり、不在者へのメッセージが記される掲示板に名前が無いのを横目で確認してから自分の部屋へと階段を上った。


「ただいま」


 鍵の掛かったドアを開け、綺麗に片付けられた居室に足を踏み入れると同時に薄くなっていく視界がベッドだけを映す中、どうにかその誘惑を振り切って浴室に向かい、蛇口を捻る。


 そして、ストンと腰が抜けたかのようにその場に座り込むと、バスタブ内の窪みに取り付けられた魔道具まどうぐに手を伸ばして触れた。


 赤味がかった魔石ませきが微かに光を含み始める。


 僕はそれを確認すると、そのままバスタブにもたれて目を閉じた……。




 まぶたの裏にぼんやりと懐かしい情景が浮かぶ。

 僕が生まれてから一年前まで暮らしていた村、バーナ。


 父親もバーナの生まれで、僕と同じくらいの歳の頃に村を出て十年くらいガレリアで暮らしていたらしい。

 バーナ村へはガレリアで出会った母が僕を身篭みごもったのを機に二人で帰ってきたと言っていた。


 バーナはガレリアから馬で一両日いちりょうじつ程度離れた自然が豊かな村で、村で採れた農作物や畜産物をガレリアに卸すことを生業なりわいとしている。


 ごくごく一般的な農村だから名所となるような建物や景色なんてものはなく。

 観光業はからっきしだけど、ガレリアという都市とほどよい距離なのもあり、引退したシードル新界開拓者が仕事を変えて余生を過ごす場所としては人気があるみたいだ。


 そんな、ガレリアと繋がりの強い村だからなのか。

 バーナで十四、十五まで育った子供は皆一様に幾つかある条件のうち一つをクリアすることで成人として認められるんだけど、その条件の中にガレリアが関わるものも入っていた。


 僕の選んだガレリアでシードルとして生きるというのもその一つ。


 だけど、子供の多くはバーナにいながらクリアできる条件を選ぶ。


 例えガレリアに関わる条件を選んだとしても、 ガレリアの市場にバーナ産の野菜を卸すといったバーナが拠点となる生活に落ち着くのが通例だ。

 これは時代の潮流に流されることなく、バーナにおいて長きに渡って続いてきたことらしい。


 まぁ、物心がついた頃には既に人間関係が出来上がっていて、仕事と言えば畑や家畜の世話をすることしか思い浮かばない生粋の村っ子がガレリアに生活の拠点を移すんだから、いくらバーナに所縁ゆかりのあるガレリア在住の人のサポートを受けながらといっても何もかもが初めてなことだらけ。


 バーナから出なければ必要なものは大人たちが全て用意してくれたのに、家探しから始まり職探しや人間関係の構築と殆どゼロからのスタートとなるガレリアでの生活を選択するのは、ちょっと?

 いや、もしかしたらものすごく賢くない選択なのかもしれない。


 それは勿論もちろん、僕においても言えることで。

 

 バーナでは酪農を営む両親の手伝いが日課だった。

 バーナには歳の近い家族のような友人がいた。


 でも。それでも。

 シードルはずっと僕の憧れだった。

 

 だから今。僕は。

 ガレリアでシードルとしての日々を過ごしている。


 ガレリアに出てきたことは、賢くはない選択だったのかもしれないけど。

 後悔はない、かな。


 バーナの皆んなと同じくらい温もりのある人たちに出会えて。

 新界しんかいでの探索に胸を熱くする日々。


 お母さん。お父さん。

 戸惑いや失敗も沢山あるけど。

 僕は今、それ以上にぽっかぽかです!



 ……ん?

 

 ……ぽっかぽか??



 自然と浮かんだ言葉への違和感。

 でも、何故だかとても温かくて。


 その違和感が思考に掛かっていたもやをすーっと晴らしていくのにあわせて、薄く開かれたまぶたの隙間から暖色の光が差し込んでくる。


 そして。

 徐々にクリアになる雨にも似た水音。


「あっ……」


 開ききらない僕の目でもはっきりと捉えられたびしょ濡れの身体といまだバスタブから溢れ出し続けているお湯。


「ああぁぁ…」


 なげき声ともため息ともとれるもった音が、無意識のうちに喉奥で反芻はんすうされる。


「…… …… 、…ッ!!」


 喉奥で反芻されていた音もしぼみ、水音みずおとだけが響くようになっても引き続き思考を停止させていた僕は、ハッとなって蛇口を捻った。


 が、時既にはなはだ遅く。

 水浸しの浴室……


「……お風呂、入ろ」


 目の前の光景にまた思考が停止しかけていた僕は、何もかもを諦めて濡れた服を脱いだ。

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