See you tomorrow.②
今日の私の仕事は客室の掃除だが、大奥様と邦宏の部屋、書斎以外は殆ど客室と呼ぶべき部屋なので、半分も終えられずに退勤時間となってしまった。それでも、この屋敷に客人が来ることは滅多に無いし、取り敢えず明日の来訪者のために部屋をひとつ重点的に綺麗にしたので、問題は無いだろう。
今日はもう家に帰って、あとは泥のように眠るだけ。
午前六時、アラームを止め、無心に身支度を整える私がいた。もう心は痛まない。疲れも無い。いつも通り、機械人形のように、仕事をこなすだけだ。今日は早朝から、邦宏の主治医が訪ねてくることになっていた。
私が屋敷に着き、トーストをミルクに浸していた時、呼び鈴が来客を告げた。私の他に来ていた家政婦が彼を出迎え、邦宏の部屋へと通した。診察にはさほど時間は掛からない。私は出来上がった朝食を、主治医の退室と入れ違いに部屋に運んだ。
「おや、新しい家政婦さん?」
「東有紀と申します。朝食をお持ちしました」
「ありがとう。僕ちょうどフレンチトーストが食べたいと思ってたんだよ」
「……さようでございますか。それでは失礼します」
一旦邦宏の部屋を出て、主治医のいる客室へお茶を運ぶ。
「先生、お久し振りです」
「ああ、有紀さん」
丸眼鏡をくいと上げながら、主治医はにこりと笑った。
「事故から二年になるんだね」
「……そうですね」
「正直我々もお手上げ状態だよ。レントゲンに異常はまったく見られないし、体調も良好なようだ」
私は、ただ立ち尽くしていた。治療法が見つからないとはずっと言われてきたことで、今更絶望したりはしない。
「彼は、君のことも思い出さないのか」
私は黙って頷いた。
私のこと、だけではない。邦宏は、寝て起きたら前日にあったことのすべてを忘れてしまう。
二年前、邦宏は両親の乗る車で事故に遭った。彼の両親は即死。彼自身はかすり傷で済んだのだが、頭を強く打ちひと月ほど目を覚まさなかった。私は毎日病院へ通い、彼の手を握った。
そして、目覚めた彼は私に言った。
「誰?」
最初は事故のショックに因る一時的な記憶障害だと思っていた。ところが、未だ症状に変化が表れない。毎朝、私と初めましての挨拶をし、私の作るフレンチトーストを喜んで食べ、私がプレゼントした本を何度も読む。毎日、毎日、毎日。
邦宏が昔のように愛の言葉を囁くことは、もう無い。かつて愛し合ったことはおろか、私という存在すら、明日には消えて無くなってしまう。
それでも私は、毎日この屋敷に通う。大奥様も心が折れてしまった今、彼を守れるのは私だけ。一緒に居られるなら、家政婦だって構わない。
それでも。
もし、彼から聞けるなら。
「またね」
忘れられないほど抱きしめてやるのだ。
終
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