9冊目

「このノート達はね、お祖父さんがみんなにって書いたものなんだって」


ノートの最初のページには、「藍ちゃんへ。」から始まるメッセージが最後の行まできっちりつづられていた。星を一緒に見れなかったことを謝っていたり、幼い頃の思い出話が書かれていたり。_____綺麗に整っている字には、確かに書き手の熱が残っていた。


「………見てください、これ」

一文字一文字確かめるように読み終えた後、どこか嬉しそうな顔のミノルに更にノートを開いて見せた。


「えっと……これは、藍ちゃん……で合ってる?」

「そうですね。……懐かしいなあ」

このノートの大半を占めるであろうページに、生まれた時からの写真がこれでもかと貼られている。丁寧なもので、写真のそばに短い一文が添えられている。


入学式、初めて眼鏡をかけた時、邪魔になって長い髪をばっさり切った時。


何のために撮ったんだろう、なんて思えるくらい日常的なものまで。

恐らく、これを全員分やったのだろう。____自分の子供の結婚相手の分に関してはどういう写真なのか想像もつかないが。


「………やっぱり、流石………」

「………?……何がですか?」


途切れた言葉に問いかける。_____だが。


「………いや、何でもない。まあ、気が向いたら後で教えるよ」

「……なんですか、それ………」

そう誤魔化した後、ミノルは唐突に話題を変えた。


「……………あ、そういえば忘れてた……。藍ちゃんって………自分のお祖父さんの名前、覚えてる?」

「お祖父ちゃん、ですか?それは勿論………勿論………………あれ?」

自分でも当然の如く覚えていると思っていたのだが、どういう訳か全くもって記憶にない。_____そういえば、誰も名前で呼んでなかったっけ_____失礼ながら今の今まで考えたことがなかった。


「やっぱりね。………お祖父さん、君に名前呼ばれたことないって言ってたし。………じゃあ、それも後で教えるね」

「後でってのは変わらないんですね………」





「どう、見えた?」

私達は、望遠鏡を通して遥か彼方の星々を眺めていた。


「えっと、これ……ですか?」

本と見比べながら探しているのは____星雲。

ちょうど、レンズを通した私の視界には写真と一致する影が入っていた。


「そう、それ!有名な暗黒星雲で、『馬頭星雲ばとうせいうん』って言うんだけどね」

暗黒星雲?と首を傾げる私に、ミノルはまた楽しそうに説明を始めた。


どうやら、暗黒星雲というのは、星雲に含まれる塵やガスなんかが背後の星の光を受けて逆光のような状態になっているものであるらしい。その中でもオリオン座の近くに位置する馬頭星雲____その名の通り馬の頭の形の暗黒星雲は、よく写真に収められているので有名なのだ、とも言っていた。


「………で、どうして星雲なんですか……?」

「えーっと…………君がいつも見てる空からは、星雲とか見えないでしょ?あとは多分………あぁ、この部屋の窓から直接見ても見つけられないだろうし」

「………まあ、そうですね、直接は。…………多分?」

____先程から様子が変だ。誤魔化すような、曖昧な言い方しかしない。

窓から直接なんて、本人が一番分かっている筈なのに。


「え?ああ、えっとね……僕は目が悪くて、窓の外とか遠くまでは見えないんだよ。この部屋は明るいし真っ白だし見易いんだけど。」

「へぇ………」

「それで話の続きなんだけど……藍ちゃんはこういう機会じゃないと見られないかと思ってね。」

「まあ、確かにそうですね。………ありがとうございます」

色々突っ込みたいところはあったが、もしかするとそれも後からまた何か教えてくれるかもしれない。淡い期待を抱き、追及は諦めることにする。


話が途切れたところで、再び望遠鏡に向き合おうとしたその時。

彼から発せられたのは、“現実”に引き込まれるような一言だった。




「さ、時間もないし、今のうちに好きなだけ見ておいてね。」


「時間?………え、限りがあるんですか?」



考えてみれば、この場所に来たのは急だし、そもそもどうやって来たのかすら分からない。______あれ、どうやって帰るんだ?_____此処は、何処?


自分の意思とは反対に、帰るという言葉が頭をよぎった。




「………嫌。…………帰りたくない………!」

この真っ白な天文台で、ずっと星を見ていたい。



それが無理なことは、実はもう解り始めている。



「………もう、君が此処に居るのは限界に近いんだよ」

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