第11話 幸運クソ野郎は満ち足りた未来の夢を見ない
翌日、僕は心晴が住んでいるマンションを訪れていた。
「相変わらずおっきいマンションだなぁ……」
大家である穂乃果さんには悪いが、あのボロアパートと比べるとその差は一目瞭然だ。まず玄関ホールがある時点で高級感が半端ない。しかもオートロックときたものだからもう唖然とするしかない。え、うちのアパート玄関ホールとかないんですけど。錆びだらけの階段ぐらいしかないんですけど。
自動ドアを潜り、テンキーに数字を打ち込む。少しの通知音の後、すぐに通話がつながった。
『はい、鉈山ですけど』
「……明智雅です」
『ああ、雅か。よく来てくれたな。すぐに開けるからちょっと待っててくれ』
数秒後、ガラス張りのドアが勝手に開いた。
ここを進んだ先にいるのは、僕を外伝小説の執筆者に選んだ売れっ子作家の鉈山心晴。底辺作家の僕と違って、まるで主人公のように勝ち組人生を突き進んでいる彼が、僕を待っている。
「……よし」
複雑な胸中を服の上から押さえつけ、僕は魔王場への一歩を踏み出した。
エレベーターで六階まで登り、共用通路を進むことほんの五秒。
『鉈山』と書かれた表札の前で、鉈山心晴は僕を待ち構えていた。
「よっす、雅。久しぶりだな」
「家の中で待ってればよかったのに」
「せっかくだから出迎えてやろうと思ってな。お前、こういうの嫌いだろ?」
「……よくご存じのようで」
いつもの軽口。でも、何故だろう。僕たちの間には、この高層マンションよりも重い空気が漂っていた。
心晴は部屋の扉を開けながら、
「入れよ。長話になるのは分かってるから、ちょっとした酒と料理を用意してんだ」
「そりゃどうも」
心晴に促されるがままに彼の部屋に足を踏み入れる。
扉を潜った瞬間に僕の前に現れたのは、玄関と隣接するように設置されたキッチンだ。黒を基調としたタイルに合わせるように黒の家電が所狭しと並べられている。しかし、その高級感をぶち壊すかのように、シンクの中でお皿がピサの斜塔のように積み上げられていた。
生活感あふれるキッチンを抜けた先にあるのは、今回の戦場となるリビング。
巨大な本棚が二つに、パソコンデスクが一つ。部屋の真ん中には低めのテーブル、そして壁に沿うようにクローゼットとベッドが置かれている。余計なものなんてあまりない、モデルハウスを彷彿とさせる仕上がりだ。
心晴はテーブルとベッドの間を指さしながら、
「ほらそこ、お前の定位置。今回は特別に高いクッションを置いてやったんだから、優しい優しい心晴さんに感謝してくれてもいいんだぜ?」
「はいはい。ありがとうありがとう」
心晴を軽くいなしつつ、指定された場所に腰を下ろす。わざわざ感謝を求めてくるだけあって、クッションの座り心地は最高だった。
ほう、と軽く吐息を零し、テーブルの上をぼんやりと眺める。そこには心晴の言っていた通り、お酒やジュース、料理が並べられていた。心晴は料理が苦手だから、大方デリバリーしたんだろう。一人暮らしなんだから料理ぐらいできるようになればいいのに……まあ、人のことを言える立場じゃないけどさ。
心晴は僕のテーブル向かいに腰を下ろし、慣れた手つきでワインを開ける。
「もう聞いてるとは思うが、『いのつか』のアニメ化が決まったんだ。まあ、メインヒロインのキャストは新人だし、製作会社もあまり良い噂を聞かないド地雷だが、それでもアニメ化はアニメ化だ。複雑だが、嬉しくないと言ったらウソに――」
「……心晴」
「あん?」
「どうして僕を外伝小説の執筆者に選んだの?」
「…………」
ワイングラスを持ったまま心晴は黙り込むが、すぐに溜息を零すと、
「はぁ……いきなり本題に入るだなんて、お前は本当に順序ってもんが分かってないよなあ」
「生憎と、僕にはこうしてパーティに参加してる余裕なんてないんだよ」
「……あーはいはい、分かった分かった。ちゃんと説明するからそう睨むなって」
本当に嫌そうな顔を浮かべると、心晴はワインで唇を湿らせる。
「『異能の使えない幼馴染みは好きですか?』のメディア展開が決まった時、編集長の判断でメインヒロインが主人公の外伝小説を作ることになったんだ。どうやらメインヒロインに新人声優を起用するから、メインヒロインへの人気を上げることでその新人声優とやらにファンが注目するように仕向ける――ってのが編集長たちの考えらしい」
ま、要はバーター役だな――と心晴は付け加える。
「そこで、外伝小説は他の作家に代筆させようって話が出て、考えた結果、俺はお前の名前を挙げたんだ。ほら、お前ってデビュー前は二次創作をやってただろ? 外伝小説なんて聞こえは良いが、結局は公式が出す二次創作みたいなもんだ。だから、二次創作に慣れてるお前を指名した」
「…………」
「それに、お前の文章力は俺よりも遥かに高い。お前の本のレビューでも文章力に関してはべた褒めする奴ばっかりだったしな」
「……別に、僕じゃなくてもいいだろ。文章力が高くて原作理解度に優れている作家なんて、他にもたくさんいるじゃないか」
「ああ、そうだな。でも、俺はお前に書いてほしいと思った」
「何で――」
「お前なら、俺の作品をより高みへ連れて行ってくれると確信しているからだ」
いつもへらへらしている心晴らしくない、真面目で険しい顔つき。
それは、今の言葉が彼の心の底から溢れてきたものだという、何よりもの証明だった。
「向島さんから聞いたよ。お前、新作の企画を頑張って作ってるんだってな」
「……だから?」
「……なあ、雅。報われない努力ほど空しいものはないって、思わねえか?」
「っ」
「通らない企画のために時間を無駄にするより、俺の作品に携わって、俺と一緒に『いのつか』を成功させるために頑張った方が、よっぽど有意義だと俺は思うんだよ。だからさ、雅。今の企画なんか捨てて、俺の外伝小説を――」
「…………じゃない」
「あ?」
「僕は! お前の引き立て役なんかじゃない!!!!!」
気づいた時には、叫んでいた。
目から涙は零れているし、頭の中なんかめちゃくちゃだった。
考えなんてまとまらない。頭に浮かんだ断片的な感情を、僕は心晴に吐き散らかす。
「お前が僕の実力を買ってくれてるのは素直に嬉しい。売れっ子作家に認めてもらえてるんだって、安心もできた……でも、僕がお前の引き立て役みたいな今の言葉だけは、絶対に許す訳にはいかない!」
「雅……」
僕はテーブルから身を乗り出し、心晴の胸ぐらを掴み上げる。料理が床に落下したのが見えたけど、そんなことはどうでも良かった。
「僕は! 僕の手で有名になりたいんだ! 僕の手で作り出した作品で、みんなを楽しませたいんだ! 僕が考えた世界観で、設定で、キャラクターで、読者に感動を与えたいんだ! 借り物の武器で名を上げたところで、僕は、僕は……嬉しくなんて、ないよ……っ!」
そのために、僕は今、頑張っているんだから。
今はまだ無理だけど、努力を続けて、企画を作り続けて、新作を出して……そして、次は、次こそは、本が売れて、売れっ子作家の仲間入り――
「……勝手なことばっかり言いやがって」
「っ、は……?」
「俺のことなんて何も分かってねえくせに、好き勝手言ってんじゃねえよ!」
「あぐっ!」
心晴は僕の胸ぐらを掴むと、そのままテーブルに押し倒した。
「自分の作品が他人のために利用される気持ちが分かるか!? 一生懸命、寝ずに考えた俺の作品が、顔も見たことねえ新人声優を売るために使われる……ふざけんな! 俺の作品のアニメ化だろ!? 何でそれが俺じゃねえ、他の誰かのために使われなくちゃならねえんだ!」
心晴の感情が、僕の思考を突き刺していく。
「外伝小説だってそうだ! 俺の作品を売るためじゃなくて、声優を売るために出版するだぁ? ふざけんじゃねえ! 俺は俺のために小説を書いてんだ! 俺のメインヒロインは俺が考えた主人公の為に存在してんだ! 棒演技しかできねえような声優のためなんかじゃねえ!」
「そん、なの……僕には、関係、ないだろ……っ!」
「ああ、ないね! ……だけど、お前の新作だって、俺にはなんも関係ねぇことだろうが! 違うかっ? ああっ!!??」
会話になんかなっていない。
互いに言いたいことを全力で、一方的にぶつけ合うだけ。
「どうせ企画なんて通る気配も見せてねえんだろうが! だったら、少しでもお前に印税が入るように、お前の名が売れるように気を遣ってやった俺に感謝しろよ! 自分勝手なことばっかり考えてねえで、少しは俺の優しさを噛み締めてくれよ!」
「何が優しさだ! そんなの、ただ僕を下に見ているだけじゃないか! 気を遣ってやった? 優しさ? いらないよそんなの! 僕は僕の力だけでのし上がってみせる……お前の作品の力を借りる必要なんてないんだ!」
「大した企画力もねえくせに偉そうに言ってんじゃねえよ!」
「企画会議に一度も参加したことないような幸運野郎にだけは言われたくない!」
「デビュー作一巻打ち切りのクソ雑魚野郎に俺の苦労が分かんのかよ!」
「がっ!?」
心晴の拳が僕の頬に突き刺さった。
僕の口の中に鉄の味が広がっていく。
「アニメ化決定って言われた時は嬉しかったのに、結局は声優の引き立て役としてしか扱われてなくて……それでも何とか抵抗しようと思ったら、次は他の作家の引き立て役に使われて……せめて親友のお前に書いてほしいって編集長に頼み込んだ矢先に、今度はお前が駄々をこね始めて……しかもアニメはアニメで制作会社はクソだしよぉ……本当になんなんだよっ……どうして何も上手くいかねえんだよ……っ!」
「こは、る……」
「俺の作品は、いのつかは、他人のバーターなんかじゃないのに……何で誰も俺の作品を見てくれないんだよ……俺の世界を、俺の物語だけを、誰か読んでくれよ……俺には実力があるんだって、誰でもいいから認めてくれよ……」
温かいものが僕の頬を濡らし始める。
悔しさが、やるせなさが、絶望が、渇望が……非情な現実に打ちのめされた男の涙が、僕に降り注ぐ。
「なあ、雅……俺たちは、何で小説を書いてんだろうなぁ……ライトノベル作家って、何なんだろうなぁ……」
「……さぁ。僕にも、もう、よく分かんないや……」
——私は、今みたいに苦しんでいる……悲しそうで、辛そうで、何より、小説を書くのが楽しくなさそうな明智先生を見るのは、嫌です……。
昨日の雪音ちゃんの言葉が、僕の頭で反芻する。
頑張っても報われなくて、抗っても上手くいかなくて、光明が見えてもすぐに落ちるところまで落ちて、小説を書いても、楽しくも嬉しくもなくて。
「……本当に、よく分かんないや……」
僕の胸に顔を埋めてすすり泣く親友の頭を抱きながら、僕はただ、シミ一つない天井を呆然と見つめていた。
「……なんか、いろいろとごめんね、心晴」
「……いや、こっちこそすまなかった。ちょっと最近嫌なことが多くてな、ついお前に当たっちまった。本当にすまん」
「僕こそ、何も上手くいかなくて自暴自棄になってた。……本当にごめん」
互いの本音をぶつけ合い、大人げなく目を腫らした後、僕たちは部屋を片付け、再びテーブル向かいに膝を突き合わせていた。
「……それで、だな。外伝小説の話なんだが」
「ああ、うん。……まだ、ちょっと返事は待ってもらえないかな。今は、頭の中がこんがらがっちゃってて。とてもじゃないけど、何かを決められるような状態じゃないんだ」
「そうか。なら、仕方ねえな……ま、大丈夫だろ。作家なんて編集部を待たせてなんぼなところあるしな」
「あはは……そうだね……」
一時はどうなるかと思ったけど、いつもみたいに軽口を叩き合えている。殴り合いの喧嘩をした甲斐はどうやらあったらしい。……一方的に殴られただけだったような気もするけど。
心晴はテーブルの上で頬杖をつくと、
「……そういえば向島さんから聞いたんだけどよ、最近お前、ゆにゃぽこ先生と仲良くやってんだって?」
「あの人が何でそのことを……ああ、雪音ちゃんが自分で話したのか……」
どうでもいいけど、あの子と向島さんはどういう関係なんだろうか。もしかして雪音ちゃんの担当編集だったりするのかな?
「ゆにゃぽこ先生の名前は雪音ちゃんっていうのか。結構可愛い名前してんじゃん」
「生身は全然可愛くないけどね。うざいし、いつもからかってくるし、ラノベ作家辞めろーって毎日のように突っかかってくるし、何故かそのために甘やかそうとしてくるし……最近じゃ穂乃果さんも乗っかってきて、全然仕事にならないし……」
「ははっ。なんだそれ。どこぞのハーレム主人公かよ。羨ましいじゃん」
「どこがだよ……」
せめて週に一度ぐらいのペースだったら今よりも企画に集中できるんだけど、毎日のように家まで押しかけてくるんだよなあ、あの子。現役女子高生のはずなのに、平日とか一切関係なく。
「いやいや、羨ましいじゃん。自分の小説の熱狂的なファンが毎日のように甘やかしてくれるんだぜ? 夢のようじゃねえか」
「??? 熱狂的な、ファン? え、誰が?」
「誰って、ゆにゃぽこ先生だよ」
「……え?」
「…………もしかしてお前、何も聞いてないのか?」
「聞くって、何が?」
思わずきょとんとする僕に心晴は呆れたように肩を竦めながら、何でもないことのように言い放つ。
「あの子、お前がデビューする前からお前の大ファンで、しかもお前の小説がきっかけで小説を書くようになったらしいぜ?」
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