第10話 編集部の一存
『明智先生。次の企画は一旦置いて、「異能の使えない幼馴染みは好きですか?」の外伝小説を書いてもらえませんか?』
「…………………………………………………………………………は?」
とにかく、意味が分からなかった。
僕が、心晴のデビュー作の、外伝小説を書く? それも、自分の企画を放り投げて? 何でそんな話になったんだ? いったい、何が起きてるんだ?
動揺が隠せず、呼吸が乱れる。心臓が破裂しそうなぐらい自分が混乱しているのが分かる。
電話の向こうで少しの間黙っていた向島さんは軽い溜息を吐くと、
『現在、編集部では「異能の使えない幼馴染みは好きですか?」、略称「いのつか」のメディア展開を計画しています。外伝小説は、コミカライズに続くメディア展開の第二弾。これが上手くいけば、第三弾に予定しているアニメ化へと好スタートを切ることができると、我々は考えています』
「ちょ、ちょ、っと……ちょっと待ってください。え? いのつか、アニメ化するんですか?」
『はい。まあ、何か不祥事さえ起きさえしなければ、ですが』
僕の同期が、どんどん遠くに離れていっているという事実を電話越しに伝えられた僕は……本当に情けないが、かなり苛立ちを覚えてしまっていた。
だが、それを向島さんにぶつけても仕方がないので、深呼吸で怒りを押さえつけつつ、僕は会話を続行させる。
「なる、ほど……それについては分かりました。……分かりましたけど、何で僕が、心晴のデビュー作の外伝小説を書かなくちゃならないんですか?」
『……編集部、そして鉈山先生で話し合った結果、明智先生が適任だと判断したからです』
「どう、して、僕なんですか? 僕は、異能バトルものなんて書いたことないし、売れてる訳でもないし、何より、そんなものに選ばれるほど、名前が知れ渡っている訳でも、ないんですが……」
『だからこそです』
だからこそ? 何が? 今、僕はマイナス要素しか並べ立ててないのに、いったい何が「だからこそ」なんだ?
頭の中でどんどん疑問符が増えていく。自分の考えがまとまらない。とにかく、意味が分からない。
『名前があまり知れ渡っていない今だからこそ、いのつかの外伝小説を書くことで読者の方々に名前を知ってもらうことができます。これが有名作家の方だと、逆にネームバリューが作品を食ってしまうので、外伝小説を書いてもらう意味がなくなってしまうんです』
「……つまり、自分の名前を売るために、心晴の作品を利用しろ、と?」
同期作家の作品を、自分の名前を売るために利用しろ。
それは、今の僕にとって、考えうる限り、最も残酷な言葉だった。
『端的に言えばそうです。あなたの類稀なる文章力で、いのつかの世界観をできるだけ正確に、鮮明に、完璧に表現してもらおうと思っています』
しかし、向島さんは止まらない。
ただでさえ吐き気を覚えている僕に、彼女はさらなる追撃を加える。
『……それに、これは鉈山先生直々の指名でもあるんです』
「心晴、が……?」
『「あいつの文章力なら、俺の作品を任せることができる。だからあいつにやってほしい」と……鉈山先生はそう言っていました』
「…………」
『私としても、これは明智先生にとって大きなチャンスになると思っています』
向島さんは真剣な……そして、珍しくどこか優しさを感じさせる声色で言う。
『正直な話、このままだと明智先生は少なくとも一年は新作を出せません。打ち切りとなったデビュー作から数えると、二年以上が経過することになります。……作家にとって、二年という時間はあまりにも致命的です』
「……言ってくれますね」
『私は担当作家に嘘をつかない主義なので』
確かに変に誤魔化されるよりは良いけども……。
『もう察しているとは思いますが、明智先生には企画力が足りていません。どこかで見たような設定、どこかで見たようなキャラ、どこかで見たような展開……弊社から出版する基準に達していない企画ばかりを上げるあなたは、このままでは編集部より戦力外通告を下されることでしょう』
戦力外通告。
担当編集の口から、そんな絶望的な言葉が放たれた瞬間、僕の思考に空白が生じた。
しかし、向島さんは言葉を続ける。
まるでそれが、自分の義務であるかのように。
『ですが、私はまだ、明智先生のことを信じています。あなたならきっと……いや、絶対に傑作を書くことができると、私は心の底から期待しているんです』
「…………」
『あなたはこんなところで消えて良い作者じゃない。……ですが、今の実力では現状を変えることはできない。だからこそ、いのつかの外伝小説という下駄を履かせることで、あなたの延命及び売名を図ります』
「……僕は、自分の小説を書けないんですか?」
『編集部全員を唸らせるような傑作を持ってこない限りは』
バッサリと、切り捨てられた。
お前は実力不足だと、他人の力を借りないと何もできない作家だと、同期作家より劣った出来損ないだと……そう、宣告された。
『あなたがオリジナルの企画にこだわろうとする気持ちはよく分かります。自分で考え、生み出した作品を世に出したいという気持ちは、作家としては当然のものですので』
「……まあ、そのために、企画を練ってますから……」
『ですが、弊社としては、出来の悪い作品を出版させる訳にはいかないんです。それよりも、確実に売れると分かっている外伝作品に携わっていただき、今後の可能性の幅を広げてもらいたい。……それが、こちらとしての考えです』
それに、と向島さんは続ける。
『外伝小説を書くことは、先ほどの売名云々の話を除いたとしても、確実にあなたのためになります。自分では考え付かない世界観に触れることで、足りていない企画力を底上げする。バトル描写を手掛けることで、文章力の幅を広げる。他作品のキャラ同士を会話させることで、扱えるキャラの種類を増やす。……今思いつくだけでも、こんなにメリットがあるんです』
「それは、そうかも、しれませんけど……」
彼女の言う通り、そんな経験ができるなら、決して悪い話じゃないのかもしれない。自分の名前を読者に知ってもらう良いきっかけにもなるし、印税が入って今の苦しい生活も少しは楽になる。通るかどうかも分からない企画を練り続ける今のような生活を送るよりは、断然マシだとは思う。
……でも、それは、僕の作品じゃない。
僕が書きたい世界は、その作品の中には存在しない。
『……すぐに結論を出せとは言いません。こんなことを突然言われ、あなたも混乱していると思うので』
「…………」
『一週間後、またご連絡させていただきます。それまでの間、しっかりと考え、どうするのかを決めてください』
「…………わかり、ました」
言葉を絞り出せた自分を褒めてあげたい気分だった。
それぐらい、今の僕は、頭の中がぐしゃぐしゃになっていた。
だから、だろうか。
いつのまにか通話は終了しており、僕のスマホからはツーツーという無機質な機械音だけが奏でられていた。
「……キミって本当に不幸の星の下に生まれてきている感あるわよね」
「明智先生……」
あれから数分後。
コンビニから帰ってきた雪音ちゃんと穂乃果さんは、僕から向島さんとの電話の内容について伝えられ、二人揃って渋い顔を浮かべていた。
「こはるんの外伝作品を書いて延命と売名を図れ、かぁ……やり方はちょっと気に入らないけど、雅也くんへの救済措置としては確かに正しいのかもね……」
「どこが正しいんですか? こんなの、絶対おかしいですよ……明智先生の頑張りを全部否定するような、こんな真似……絶対に許される訳ないです……!」
雪音ちゃんは勢い良く立ち上がる。
「私、編集部に直談判してきます! 明智先生に外伝小説を書く暇なんてないって、編集長に伝えてきます!」
「……それはやめといたほうがいいと思うけどな」
「時雨崎さんは明智先生の味方なんですか、それとも敵なんですか!?」
「もちろん味方だよ」
きっぱりと、穂乃果さんは言い放つ。
「でも、その担当さんが言っていることは何も間違っていないと私は思う」
「明智先生には企画力が足りないって言いたいんですか……っ?」
「……残酷だけど、私はそう思う。だって、雅也くんに人並み以上の企画力があるなら、とっくの昔に企画会議を通過しているはずなんだもの」
「っ」
穂乃果さんの言葉に、雪音ちゃんは息を呑んだ。
穂乃果さんはプロの漫画家だ。それも、掲載雑誌の看板と言っても過言ではない程の超売れっ子である。そんな彼女が言うのだから、やはり、僕には企画力が足りていないんだろう。
先日、ファミレスで向島さんからも遠回しに似たようなことを言われた。それでも僕は諦めずに次の企画を考えようと必死になっていた。
……でも、本当は薄々気づいていたんだ。
どれだけ企画を練ったところで、他の作家には勝てないってこと。
どれだけインプットを増やしたところで、編集部を唸らせるような作品は考え付かないってこと。
気づいてはいたけど、認めたくはなかった。
書きたいものを捨て、世間が求めている企画を作り出すことができれば、この絶望的な現状を変えられるんじゃないかっていう、そんな淡い希望に縋り付いていた。……でも、それは甘い考えだったんだ。
「そんな……そんな、ことは……」
雪音ちゃんは必死に僕を庇おうとするが、静かに俯き、ゆっくりと座り込んでしまった。悔しそうに服の裾を握り締め、小刻みに震えてもいた。
僕は雪音ちゃんの頭を撫でる。
「ありがとう、雪音ちゃん。……でも、穂乃果さんと向島さんの言ってることは、多分……いや、絶対に正しいよ。だって、僕に企画力が足りてないって言うのは、僕が誰よりも分かってるんだから」
「明智先生……」
分かってるくせに、今まで目を背けていたツケが回ってきただけ。
ただ、それだけなんだ。
「……で、どうするの? こはるんの作品の外伝小説を書くの?」
「……まだ、分かりません。自分のためを考えるなら書くべきなんだろうけど、でも……」
——それでも自分の作品を書きたい。
非情な現実を何度も突きつけられても尚、僕はどうしても新作を出すことを諦め切れていなかった。
「まだ一週間あるので、しっかり考えようと思います。未来の自分の為にプライドを捨てるのか、今の自分の為に無理を通すのか……どちらにせよ、今はまだ、何とも言えません」
「そっか。キミがそう考えてるなら、おねーさんから言えることは何もないかな」
穂乃果さんは肩を竦め、優しく微笑む。
その隣で肩を落としたまま、雪音ちゃんは今にも泣きそうな顔で僕を見る。
「……私はやっぱり、納得できません……明智先生のことなんか、何も考えていない……鉈山心晴先生の作品のメディア展開を成功させるために明智先生を言いくるめようとしているとしか、思えません」
「雪音ちゃん……」
「こんなに苦しいことばかりなら、ラノベ作家なんてやっぱり今すぐにでも辞めたほうが明智先生のためになると思います。私は、今みたいに苦しんでいる……悲しそうで、辛そうで、何より、小説を書くのが楽しくなさそうな明智先生を見るのは、嫌です……」
そう言うと。
雪音ちゃんは再び立ち上がり、傍に置いていた鞄を手に取った。
「……ごめんなさい。今日は、家に帰ります。多分、このままここにいたら、明智先生に迷惑をかけて、しまうので……」
「……そうだね。じゃあ、今日はここでお開きにしようか」
「それなら私が雪音ちゃんを家まで送ってしんぜよう。こんなとっくに終電も無くなってる時間に帰るって言い出すってことは、家までそう遠くないってことだろうし」
「いや、僕が送りま――」
「キミはここに残って、ちゃんと自分のことを考えなさいな。雪音ちゃんのことは私が責任をもって送り届けてあげるから」
「……すいません」
「ん。素直な子はおねーさん大好きだよ」
そう言い残し、穂乃果さんは雪音ちゃんを連れて部屋から出て行った。
一人取り残された僕は天井を見上げ、深く、深く溜め息を吐く。
「…………本当、儘ならないなぁ」
もうこれ以上は堕ちないと思っていたんだけどな。まさか、さらに下があるとはね……ラノベ業界って怖いなぁ。
「……あと一週間か――って、ん?」
スケジュールを確認するためスマホを起動すると、画面に一件のメール通知が表示されていた。
僕は反射的にスマホを操作し、受信メールを展開する。
『From:鉈山心晴
To: 明智雅
明日会えるか? 外伝小説のことについてちょっと話したい』
「……マジかよ」
悪友であり、親友であり、唯一の同期であり……そして、今回の件の元凶でもある男からのそんな連絡に、僕は激しい眩暈と頭痛を覚えた。
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