第5話 やはり僕がラノベ作家になったのは間違っている


 自称僕の後輩作家こと超売れっ子ラノベ作家・ゆにゃぽこ先生こと冬森雪音は、それはもう理不尽に怒っていた。


「もー。この私を一時間も走らせるなんてほんと明智先生は最低最悪です! せめて連絡ぐらい入れておくべきだと思うんですけどー!」

「……いやそもそも君の連絡先とか知らないし何でここにいるんだよ」

「手料理を振舞おうと思ってたのに明智先生が家にいなかったからですぅー! それと連絡先についてはとりあえず謝罪と共にメアドとラインIDを今すぐ交換しておきますね! はいスマホ貸して! ぱぱっと登録しちゃいますので!」


雪音ちゃんはそう捲し立てるように言うと、テーブルに置いていた僕のスマホを素早く奪い、慣れた手つきであっという間に連絡先交換を終わらせた。


「はい! これでいつもで私に連絡できますので!」

「……消せばいいの?」

「こーんなに可愛くてしかも巨乳で更に女子高生である私の連絡先を秒で消そうとするとかついに出家でもしたんですか!? ダメですよ消しちゃあ! 一生モノのお宝として大事にしてくれませんと!」


 むきゃーっ、と可愛らしく憤慨する雪音ちゃん。動きに合わせて揺れる前髪を見ていると、思わず頬が緩みそうだ。……まあ、ニヤける余裕なんて、今の僕にはないけども。

 胸のあたりに痞えていた空気の塊を盛大に吐き出し、僕は頬杖を突く。


「……もう用は済んだ?」

「明智先生を探すことが私の用事だったんじゃないんですけど!」

「そう……」

「……………………」


 返答がないので気になって彼女の顔をちらりと見てみる。

 いつも過剰な笑顔を浮かべまくっている彼女にしては珍しく、険しい表情で僕を真っ直ぐ見つめていた。


「……あの、無礼を承知で質問させていただきたいんですけど」

「いつも無礼なんだから今更遠慮なんてする必要ないだろ。……で、何?」

「えっと、その……何か、あったんですか? ……いえ、何かあったんですよね?」

「……………………どうしてそう思う?」

「いや、今の明智先生の顔を見たら百人中百人が口を揃えて私と同じ言葉を吐くと思うんですけど。瞼は晴れてますし、顔色に至っては露骨に悪いですし」


 雪音ちゃんは肩を強張らせ、軽く俯く。


「……それに、さっきこのお店から向島さんが出ていくのが見えました。多分これ当たってると思うんですけど、明智先生、さっきまで向島さんと打ち合わせしてたんですよね?」


 さすがは新進気鋭の超売れっ子作家といったところか。状況把握がかなり速い。僕みたいな凡人のものとは違う、素晴らしい頭脳だと素直に感心する。

 雪音ちゃんはそこでわざわざ一拍置くと、


「よかったら、私に話してくれませんか?」

「…………どうして? 僕のことなんて、君には関係ないことだよね?」

「それは、そうです、けど……」


 我ながら最低な言葉だと思う。雪音ちゃんもすっかり落ち込んでしまったし。本当、どこまでもガキみたいだな、僕って。

 担当編集からマーケティングの大切さを問われただけで、もう少し努力しろと叱られただけで、この有様。メンタルが弱いなんてレベルじゃない。僕は、根幹からして、どうやら作家に向いていないようだ。

 あーあ、もうどうでもいいや。なんか全部めんどくさくなった。もういっそラノベ作家とか辞めて、平凡な生活に戻るのも悪くな――


「……い、いや、あの、や、やっぱり、関係なく、ないです」

「——え?」


 それは、あまりにも雪音ちゃんらしくない声だった。

 今にも掻き消えてしまいそうな、透明な声。

 こちらの機嫌を伺うかのような、弱弱しい声。

 しかし、どこか真っ直ぐとした軸を感じさせる、勇気ある声。


「わ、私は、明智先生を甘やかせるために、ここにいます。だから、明智先生が落ち込んでいるなら、私がめいっぱい甘やかしてあげないといけません」

「甘やかすって……別にいいじゃん、そんなこと。僕にラノベ作家を辞めてほしいんだろ? ならこのまま放っておいてくれたら、多分勝手に辞めるかも――」


「本当に、ラノベ作家を辞めるだけで、済みますか?」


「…………それはどういう」

「今の明智先生を見ていると、私、心配になるんです。ラノベ作家だけじゃなく、書くことすら辞めてしまうんじゃないか、って」

「…………」

「向島さんと何を話していたのかは知りません。でも、多分、あの人との打ち合わせがきっかけで、明智先生はとても傷ついていらっしゃるんだと思います。自暴自棄になって、小説を書くことすらやめてしまいそうなぐらい、落ち込んでいるんだと、思います」


 僕は何も言えない、言い返せない。


「確かに、私はあなたにラノベ作家を辞めてほしいです。理由は、その……まだ言えませんけど……とにかく、辞めてほしいとは思っています」


 僕は何も言えない、言い返せない。


「……でも、あなたが小説を書くことを辞めるのだけは、嫌です、嫌なんです。そんなことは、私、望んじゃいません……私は、冬森雪音は……あなたにずっと、小説を書いていて、欲しいんです……」


 言っている意味が分からない。

 ラノベ作家をやめてほしいが、小説は書き続けてほしい? どんだけ身勝手な願いなんだ。——そう言ってやりたい。目の前の訳の分からない後輩に、そんな想いの丈をぶつけてやりたい。

 でも、僕は何も言えない、言い返せない。


「だから、私に吐き出してください。不満を、愚痴を、やるせなさを……あなたの悩みを受け止めた分、私が思い切り甘やかしてあげますから……」


 冬森雪音が優しく微笑みかけるから。

 年下のくせに、まるで母親のような微笑みを、僕に向けてくるから。


「…………僕みたいなド底辺作家に、好きなものを書く資格はないって言われたんだ」

「……はい」

「売れない作品を作る暇があったら、売れる作品を作るための市場分析をしろって、言われたんだ」

「はい」


 まるで堰を切ったかのように、僕の口から、泥が零れ落ちていく。


「僕の書きたいものは需要に合ってないって言われた」

「はい」

「作品の武器が何なのかを理解してない時点で話にならないって言われた」

「はい」

「売れてないくせにやりたいことだけやろうとするなって言われた」

「はい」

「あなたの自己満足なんて誰も求めてないって、書きたいものだけ書くならプロである必要はないって、そもそも努力が足りてないって……言われ、たんだ」

「……はい」


 言葉にして、改めて分かる。

 向島さんの言葉は、なに一つ間違っちゃいないってことが。


「分かってる。僕が今まで甘かったってのは、分かってるんだ」

「はい」

「でも……でもさ、違うじゃん。分かってるからって、そう簡単に割り切れることじゃないじゃん」

「はい」

「僕は、自分の好きなものをみんなに読んでほしくて、知って欲しくて、共感して欲しくて、ラノベ作家になったのに」

「はい」

「なのに、書きたいものを書くな、とか言われてもさ。そんなの無理じゃん……そんなの、もう、小説を書く意味、ないじゃないか……」


 こういうところが甘いんだと、向島さんは思ったんだろう。

 結局は自分のことばかり。自分がやりたいことしか考えちゃいない、自分勝手なド底辺作家。——それが僕だ。

 プロにも満たない、だけどアマチュアでもない、中途半端な存在。

 ラノベ作家界に居場所なんてない、そもそも必要とされていない、窓際作家。

 だから、もう、いいんじゃないかなって……そう、全てを諦められたら、簡単だったのに――


「よしよし。よく言えましたね」


 ——柔らかな手が、僕の頭を優しく撫でた。

 慈しむように、ゆっくりと。

 慰めるように、力強く。

 僕の心を清めるかのように、雪音ちゃんは緩んだ笑みをこちらに向ける。


「思ってること、ぜーんぶ言えましたね? 偉いですよ、本当に偉いです。変なプライドに阻害されて強がるような人なんかよりも、ずっと、ずーっと立派です」

「っ……」

「向島さんにお説教されて辛かったんですよね? そんなこと言われなくても分かってるって、反論したい気持ちでいっぱいだったんですよね? ……でも、そうしなかった明智先生は、とても偉いです。雪音ちゃん賞を贈呈しても良いぐらいの偉さです」


 赤ん坊をあやすかのような優しい声色に、目の奥が熱さを覚える。


「向島さんの言葉が正しいってことぐらい、新人である私でもなんとなく分かります。マーケティングはクリエイターが延命するために必要不可欠なものだって、とある偉い作家さんも言っていましたし」

「…………」

「マーケティングをしてこなかった自分を責める気持ちで、胸が締め付けられてる明智先生。そこで、自分を責めたりしちゃ駄目です。むしろ、こう考えてみてはどうでしょう?」


 雪音ちゃんは空いている方の手を軽く振りながら、


「手遅れになる前に言ってもらえて良かった、と」

「……でも、僕はもう一年近く企画会議すら通過できてないし、手遅れみたいなものだよ……」

「いえ、手遅れなんかじゃありません。だって、明智先生はまだ一作品しか出版していないんですから。かの有名な少年漫画雑誌でもスリーアウトまでは面倒を見てくれると言います。……つまり、もしスリーアウト制が適用されるとしても、明智先生にはまだ二回もチャンスが残っているということになります」

「っ」


 僕にはまだ、チャンスがある。

 その言葉は、どうしてだろう、僕の胸を優しく包み込んだ。


「チャンスが残っている内に今の状況を打破する手段を教えてもらえたんです。もうこれってすっごく幸運なことじゃないですか? わぁ、明智先生って実はとても運が良い人なのかもしれませんよ。拝めばご利益あるかもです」

「運が、良い……」

「それに、向島さんは明智先生の文章力には何も言及しなかったんですよね?」

「うん、まぁ……」

「それって、駄目出しするところがないぐらいに、向島さんは明智先生の文章力を認めているってことなんじゃないですか?」

「っ……!?」

「じゃあ、もう後は簡単な話ですよ。向島さんに言われた通り、マーケティングすればいいんです。読者が何を求めているのか、自分はどんなものを書けばいいのか、どんなものを作れば企画会議を通過できるのか。文章力は向島さんのお墨付きなんですから、あとは材料さえ揃えれば、最高の小説を作ることができる」


 雪音ちゃんは僕の頭から手を放し、いたずらっぽく笑う。


「——そう考えれば、元気、出ませんか?」


「——————————————————、」


 目から鱗どころか涙が零れそうだった。ここが公衆の面前じゃなかったら、多分ぼろぼろ泣いていたと思う。それほどまでに、彼女の言葉は、僕の心に響き渡っていた。


「……いつも罵倒ばっかりしてくるくせに、どうして、そんな、今日に限って、優しいんだよ」

「失礼な。私はいつだって明智先生を甘やかそうとしているだけです。前々回は生活面、前回は食生活、そして今回は――精神面。アプローチの仕方が違うだけであって、やってることにそう大差はないのです」

「……なぁ、雪音ちゃん」

「はい、何でしょう。ド底辺クソ雑魚作家の明智雅先生」


 そう罵倒して微笑む彼女を、僕は見つめる。


「こんな僕でも、売れっ子作家になれるかな」

「さぁ、どうでしょうね。今の時代、ラノベってオワコン化してきてますし」

「そこは同意してくれないのかよ……」

「でも――」


 この時の彼女の顔を、きっと、僕は一生忘れない。


「——明智先生なら絶対に、世界一面白い小説が書けると、私は信じています」


 一寸の邪気すら感じられない、心の底からの、笑顔だった。

 僕を慰めるために……いや、違う。彼女は本当に、僕が世界一面白い小説を書くことができると信じているんだ。何の成果もあげられていない、この僕のことを。


「……君は、どうしてそんなに、僕のことを……」

「……実は私、明智先生のことが――」

「っ」

「——なーんて、嘘です、冗談です。ドッキリしました?」

「…………別に驚いてないし」

「フフッ。明智先生の反応、かーわいいですねー」


 こいつ絶対ロクな死に方しねえ。


「もしかしたら私と明智先生は浅からぬ関係にあるのかもしれませんが、内緒です、秘密です、トップシークレットです」

「……なんだよそれ」

「フフフのフ。こんな後輩しかいないラノベ業界に嫌気が差しました?」

「……いいや、むしろ絶対に這い上がってやるって、やる気が出たよ」

「なーんだ、ざーんねーん。これは甘やかし方を間違えてしまいましたかねー?」


 そんな言葉に反し、ニシシ、と雪音ちゃんは嬉しそうに歯を見せてきた。

 ……いつの間にか、僕の心を覆っていた闇は、まるで初めから存在しなかったかのように、どこかに消え去ってしまっていた。

 自分ひとりじゃ絶対に成し得なかっただろう。いつも迷惑ばかりでぶっちゃけうんざりしていたが、まあ、今回ぐらいは感謝してやってもいいかもしれない。

 向島さんが置いていった一万円札、そしてレシートを掴み、僕は椅子から立ち上がる。


「あれ? どこに行くんですか?」

「家に帰るんだよ。……手料理、振舞ってくれるんだろう?」

「っ! ……お、覚えててくれたんですねー? 今の結構ポイント高いですよ明智先生! 雪音ちゃんポイント20点贈呈しちゃいましょう!」

「いや、そんな得体の知れないポイント要らんし」

「ぶーっ! そこはありがたく受け取ってくださいよ! ほんっと空気読めませんねクソ雑魚メンタルド底辺作家サマはあ!」

「はいはい。どうせド底辺作家サマですよ」


 また明日から、売れっ子作家になるために頑張ろう。

 隣でわーぎゃー喚いている、この騒がしい超売れっ子作家に負けないように。


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