第4話 後輩に甘やかされるのは犯罪ですか?
「ふんふふ~ん♪ きょっうっもせっんぱいっをあっまやっかし~♪」
小鳥がさえずり、春の陽気が心地良い、のどかな平日の朝。
冬森雪音は長い前髪を揺らしながら、ボロアパートの階段を鼻歌交じりにスキップで上っていた。
「フフフのフ。昨日、先輩の食生活が死んでることが判明したから、今日は家から食材を持ってきちゃった~♪」
雪音は猫の肉球が散りばめられたデザインの買い物袋を持ち上げ、にんまりと微笑む。
階段を三階分越え、薄汚れた共用通路を軽い足取りで突き進む。彼女の目的地はアパートの三階、そこの一番奥にある――言わずもがな、明智雅先生こと明智雅也の自室である。
「はいっ、とうちゃーっく! さてさて、今日も思いっきり先輩を甘やかして、ラノベ作家を辞めてもらいますよーっと」
雅也が聞いたらげんなりしそうな決意を口にしつつ、雪音は扉横のインターホンをポチッと押す。
——ピンポーン。
「…………………………あれ?」
反応なし。
ついに雪音の来訪を察して居留守を決め込むようになったかと疑念を抱くが、雪音はすぐに考え直す。あのお人好しが居留守なんて使えるはずがない。嫌そうな顔で文句を言いつつも、何だかんだ扉を開いてしまうのが、明智雅也という人間なのだから。
そんな訳で、レッツリトライ。
今度は優しくゆっくりと、インターホンを押してみる。
——ピンポーン。
「……………………………………うん?」
反応なし。
「……爆睡でもしているんでしょうか……?」
建付けの悪い窓の隙間から、室内を覗いてみる。——見覚えのある家具は確認できたが、肝心の雅也がいなかった。
「あれー?」
はたして、明智雅也はどこに行ってしまったのか。
計画が開始直前に狂ってしまった雪音は大袈裟に首を傾げながら、彼の行方について考えを巡らせ始めた。
晴れ渡った空が眩しい平日朝。
僕は出版社近くのファミレスで、担当編集・向島渚さんと顔を突き合わせていた。
「向島さん。今日は打ち合わせの時間を作ってくださって本当にありがとうございます」
「本当ですよ。こちとらサンダーマガジン関連の業務で絶賛修羅場ってるというのに……今度焼肉奢ってくださいね」
「底辺作家に焼肉奢らせる担当編集って何なんだよ」
普通逆だろ逆。いや、奢ってもらって当然とは思わないけどさ。
相も変わらず僕を見下した発言を零す向島さんの瞼の舌には、濃い隈がくっきりと刻まれている。普段は滑らかな茶髪も今日は寝ぐせのように跳ねまくっているし、修羅場の真っ最中というのはどうやら嘘ではないらしい。
向島さんは先ほど店員さんが運んできたホットコーヒーで唇を湿らせ、ほうと一息ついた。
「で? わざわざ私を呼び出したということは、新しい企画ができたってことですか?」
「い、いえ、その……ぼんやりとしか思いつかないので、一緒に企画を考えてほしいなあ、なーんて……あはは……」
「お疲れさまでした」
「ま、待ってください待ってください! こ、今度焼肉奢りますから! だから僕を見捨てないで!」
「明智先生にプライドってものはないんですか?」
「プライドで本が売れるんですか?」
「少なくとも、プライドがない作家の本よりは確固たるプライドを持った作家の本の方が売れるんじゃないですかね」
「マジレスで僕の心をズタズタに引き裂こうとするのやめてもらってもいいですか?」
「何でそんな豆腐メンタルで作家になんかなろうと思ったんですかあなたは……」
そんなの自分が一番知りたいわ。
向島さんは見せつけるように溜息を吐くと、上げかけていた腰を乱雑に下ろした。まったく、焦らせないでほしい。
僕は干上がっていた喉をお冷で潤し、
「ええと、それでですね……次の企画について何ですけど、バトルファンタジーなんかどうかなって思ってまして……」
「…………」
「……あの、聞いてます? 何で露骨にぽかーんてしてるんですか」
「……いえ、自己主張の弱い明智先生にしては珍しく自分から話し始めたなって思いまして……ようやくラノベ作家としての自覚が沸いてきたんですか?」
「あんたほんとに流れるように失礼だな」
自己主張の弱さについては否定しないけども。
「無理を言って来てもらったんですから、話題ぐらい自分から振りますよ。って、そんなことはどうでもいいんですってば。次の企画についてに話を戻しますよ!」
「はいはい」
向島さんは前髪を掻き上げ、足を組んだ。どうやら仕事モードに意識を切り替えてくれたようだ。
「で、何でしたっけ。次はバトルファンタジーものなんかどうですか、って話でしたっけ」
「あ、はい。さすがに異世界転生チートものは食傷気味なので、異世界転生要素を無くした、現地主人公によるチート系バトルファンタジーなんかどうかなって」
「うーん、そうですね……今のところ、却下の方向で話を進める気にしかなりませんね」
「相談し始めてまだ一分も経っていないのに!?」
ウルトラマンですらまだピンピンしてる時間なんですが――と目を見開く僕に、向島さんは眉を顰める。
「ファンタジー世界を舞台にしたチートものなんてこの世に五万とありふれているんです。おそらく、今後もぽこじゃか増えてくるでしょう。そんな激戦区のジャンルに手を出そうとするのなら、他にはない特別な『武器』を用意しなくてはなりません」
「武器、ですか……」
「武器というのはあくまでも表現で、詳細的に言うと『ワンワードで言い表せるその作品の強み』ですね」
向島さんは僕の眼前で人差し指を立てる。
「てきとうに例を挙げるなら、『ロリババア勇者によるワシTUEEE』とか『クズ女神との異世界珍道中』とか、そんな感じです」
「なるほど……確かに一言でその作品がどんなものなのか分かりますね」
「ええ。なので、企画の大まかな枠組みぐらいしか決まっていないとしても、少なくともその作品の武器ぐらいは先に考えておくべきです。そうじゃないと、あーいつものつまんない企画かどうせ売れないだろうから却下してやろ、としか思えないので」
「…………」
「特徴っていうのはとても大事です。特にタイトルやあらすじにそのまま使えるぐらい簡潔かつ衝撃的なものが望ましいですね。読者の興味をどれだけ引けるか、はラノベの初動を上げる上での最重要項目ですし」
相変わらず切れ味抜群の忠告だが、ぶっちゃけ閉口するしかない。それほどまでに、彼女の今の発言は正論なのだから。
読者が本屋でラノベを手に取る際、まずイラストを見るというのは有名な話だ。しかし、イラストだけで売り上げは決まらない。読者の多くはイラストの次に、必ずタイトルとあらすじに目を通し、そしてその本を買うかどうかを決定する――らしい。これはラノベ作家同士の飲み会で先輩作家から言われたことなので、正しい情報かどうかは分からない。分からないが、個人的には信憑性が高い分析だと思っている。
僕は痛み始めた眉間を解し、肩を竦める。
「……じゃあ、僕の好きな要素であるドタバタギャグ、を入れるというのは……」
「武器として弱い、とわざわざ言ってあげないといけませんか?」
「ごめんなさい……」
明智雅也に99999999999のダメージ!
「うぅ……発想力の乏しい自分が呪わしい……」
「ただのインプット不足なんじゃないですかね? ちゃんと毎週映画観たり本読んだりしてます?」
「食費切り詰めながらちゃんとインプットはしてますよぉ……」
テーブルに項垂れ、しくしくと涙を流す僕。
向島さんはコーヒーを一口飲むと、
「……以前から気になっていたことがあるんですが」
「おっと。その入り方から察するに、僕これからくそみそに貶されますよね」
「よく分かってるじゃないですか。じゃあ心の準備をする時間は与えなくて良いですね?」
「良くないです」
「明智先生は売れてないくせに自分のやりたいことをやろうとしすぎなんです」
「良くないって言ったのにい!」
想像していたよりも心を深く抉る一撃が飛んできた。
「言わせてもらいますけど、自分のやりたいことができるのは売れっ子作家だけの特権ですからね?」
「わ、分かってますよ。だから、売れ線のバトルファンタジーにこっそり自分の好きな要素を入れようとしてるんじゃないですか」
「私は作品の武器を考えろって言ったんです。なのにどうして自分の好きな要素を入れようとするんですか。バカなんですか?」
「罵倒しないと気が済まないんですかあなたは……」
「自分の好きなものじゃなくて、読者が求めているものを考えなくてどうするんですか。あなたの自己満足なんて誰も求めてないんですよ?」
「……それは……でも、作家として、自分の色は出すようにしないと……」
「作品の武器と作家の色は違う――それが分かっていない時点で、話になりません」
それは、あまりにも、冷徹な一言だった。
胸の奥に穴が開くような、そんな錯覚に陥る僕に構わず、向島さんは言葉を続ける。
「作品作りで最も大切なのは、読者が求める需要に即した企画を作ることです。需要のない企画に存在価値などありません。そして、あなたのやりたいことは残念ながら、読者の需要には合っていません」
「……そんなの……でも、やりたいことができないなんて、楽しくないじゃないですか……」
「ええ。楽しくないでしょうね」
バッサリと、向島さんは切り捨てる。
「でもね、先生。あなたが足を踏み入れた此処は、プロ同士が毎日殺し合う戦場なんです。書きたいものだけを書くアマチュアがいて良い場所じゃあないんです」
「…………」
「先ほど、やりたいことができるのは売れっ子作家だけだと私は言いました。それが何故だか分かりますか?」
向島さんはテーブルを指で軽く叩く。
まるで、次の言葉を、僕の心に刻み付けるかのように。
「それは、彼らが『作者買い』してもらえる特別な存在だからです。作品の内容じゃない、その作家の作品だからこそ買ってもらえる。——それが、売れっ子作家に許された特権なんですよ」
「…………」
「ですが、売れっ子作家の彼らにだって、今の明智先生のように苦しみ藻掻いた時期があった。書きたくないものを書かされ、好きでもないジャンルに心血を注いだ経験があった」
「…………」
「でも、彼らは諦めずに需要に即した作品を書き続けた。売れっ子作家になって好きな作品を書けるよういなりたいからと、血の滲む努力と尋常ではない我慢を重ねに重ねて……そしてようやく、今の地位を確立したんです」
まあ、全員とは言いませんけどね――向島さんは肩を竦めながら、そう吐き捨てた。
「明智先生。売れたいなら、自分のやりたいことは捨てて、市場を分析することに意識の全てを注いでください」
「市場、分析……」
「読者が何を求めているか、次に売れるのはどんなジャンルなのか。それが例え書きたくないジャンルだとしても、売れたいなら、自分に嘘を吐いてでも書き切ってください。……自分の色を、自分のやりたいことを表に出すのは、二の次にしてください」
「…………」
分かってる。
向島さんは親切心から僕に忠告してくれてるってことぐらい、ちゃんと分かってる。
彼女だって本当はこんな厳しいことを言いたくはないはずだ。彼女が人を傷つけて喜ぶような人間じゃないことぐらい、理解している。僕に売れてほしいから、立派な作家になって欲しいから、あえて厳しい言葉をぶつけているのだ。
分かってる。
分かってるけど……
「……すいません。呼び出しておいて悪いですが、ちょっと一人にしてもらってもいいですか」
「…………分かりました」
向島さんはソファから立ち上がりながらテーブルに一万円札を置く。
「お代はここに置いておきます」
「……はい」
「また、何かありましたらご連絡ください。大丈夫です。明智先生ならきっと面白い作品が書けますよ」
それでは、失礼します――と、そんな事務的な言葉を残し、向島さんはファミレスを後にした。
一人、ぽつんと残された僕はテーブルの上の一万円札をただただ呆然と見つめるしかなくなっていた。
——売れっ子じゃないド底辺作家に書きたい小説を書く資格はない。
彼女の言葉を要約すれば、まあそんな感じだろう。とても理に適った意見だと思う。ド底辺作家が書きたいように書いた作品なんて売れない。ああ、そりゃあそうだろう。書きたいように書いたデビュー作が、あんな売り上げだったんだしね。
でも、でも、さ。
「書きたいものが書けない小説家なんて、存在価値あるのかな……」
僕は、どうしてラノベ作家になったんだっけ。
僕は、どうしてラノベ作家を目指したんだっけ。
僕は、どうしてラノベ作家になんかなってしまったんだっけ。
「……次の企画、考えるか」
向島さんの言った通り、まずは市場分析をしなければ。
そうだ。今までの僕は甘えてたんだ。やりたくないことから目を逸らしていただけなんだ。そうだ、そうに違いない。だから今から自分に鞭を打って、書きたくもない売れ線を書かないといけないんだ。
零れそうな涙を堪えつつ、椅子から立ち上がる――その、直後のことだった。
「やぁーっと見つけましたよ明智先生!!! クソ雑魚作家のくせに超売れっ子作家であるこの私にあなたを探させるだなんて本当にありえないです!」
今一番聞きたくない――だけど、何故かどこか心地良い声が、僕の鼓膜を貫いた。
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