第3話 ロクでなしラノベ作家と目隠れ美少女
「明智先生……今日こそあなたにラノベ作家を辞めさせてみせますからね!」
「何で呼んでもないのに懲りずにまた来ちゃったの? 心が鋼でコーティングでもされてるの?」
心晴に居酒屋へと連行され、ゆにゃぽこ先生からいじめられたこと、そして出版社への愚痴をこれでもかってぐらいに吐き出した翌朝。
昨日と違ってやや薄着のゆにゃぽこ先生が髪で隠れていない方の目でドヤりながら、怪しいポーズで僕の部屋の前に立っていた。
肩を竦めることすら面倒臭くなっている僕にドヤ顔を銃口の如く突きつけながら、ゆにゃぽこ先生はふふんと鼻を鳴らす。
「呼ばれていようがいまいが、私には明智先生をラノベ界から追放するためにあなたを甘やかしまくるという使命がありますので」
「その言葉をもう一度自分の中で吟味してみたら? 相当意味の分からないこと言ってる自覚が芽生えると思うから」
「いいから早く部屋に入らせてくださいよ。春先とはいえまだ外は冷えるんですから」
「マイペースの化身かよ。嫌だよ帰ってくれよ今日こそ原稿進めるんだからさぁ」
「家に無理やり連れ込まれそうって叫べばいいですか?」
「我が家へようこそ。麦茶でいいかな?」
「はーい♪ お邪魔しまーす♪」
軽快な足取りへ部屋へと押し入るゆにゃぽこ先生に胃痛が止まらない。僕を甘やかすとか言っておきながらのこの仕打ちである。彼女は飴と鞭を勘違いしているんじゃないだろうか。
コップに麦茶を注ぎ、ちゃぶ台の前に座って鼻歌を歌っている彼女の前に丁寧に置く。
「粗茶ですが」
「む。何ですかこの麦茶は。やけに透明ですけど」
「パックを使い回してるからね。因みに、これは五回目の使い回し」
「……いくら貧乏だからって客人に薄めに薄めた麦茶を出すのはどうかと思うんですけど……」
「うるっさいな。急に来たくせに文句言うなよ」
まあ、事前に言われてたからと言って濃い麦茶が出る訳じゃないんだけども。
「まあ、いいです。ちょうど喉も渇いてますし」
いただきます、とゆにゃぽこ先生は麦茶を軽く喉に流し込む。しつけがなっているのか、とても礼儀正しい飲み方だ。
「……水道水を飲んでいる気分です」
「でしょうね」
「こんなものを毎日飲んでいては健康を害します! 明智先生には物理的な甘やかしよりも前に食生活の面での甘やかしが必要みたいですね!」
「いらないから帰ってください」
「フフフのフ。実はですね、家から紅茶を持ってきたんですよ」
「ねえ耳栓でもつけて生活してんの? それとも鼓膜にラップでも貼り付けてるの?」
「ちゃんと聞いてますよ。その上で無視してるんです」
「最低じゃねぇか」
僕、一応は君の先輩なんですけど――とツッコミを入れる暇もなく、ゆにゃぽこ先生は足取り軽くキッチンへと移動し、テキパキと紅茶の準備を始めた。
「明智先生、小腹とか空いてませんか? 良かったらお茶請けも用意しますけど」
「いや別にいいよ……」
「まあもう準備してるんですけどね」
「じゃあ何で聞いたの? 後輩作家に迷惑かけたくないっていう僕の気遣いを返してほしいんだけど」
「言いにくいのですが、先輩にマウントを取りたかっただけです」
「心にヘドロでも詰まってんの???」
お湯が沸くまで手持無沙汰なのだろう。ゆにゃぽこ先生はシンクに積んであった食器を洗い出した。
「ヘドロだなんて失礼な。私はただ、明智先生を甘やかしてラノベ作家なんて続けるだけ無駄だと心変わりしてほしいだけですよ」
「端的に言えば洗脳だよねそれ」
「だって、ラノベ作家なんて何のメリットもない底辺職じゃないですか。毎日毎日通りもしない企画を練って、毎回毎回企画会議の度に落とされて、無駄な時間を過ごしていく。何の成果も得られないのは当然で、ただただ時間だけが過ぎていく。……こんな仕事のどこが良いんですか?」
「……それは」
ピーッ、とヤカンが時間経過を主張した。
ゆにゃぽこ先生は手際良く紅茶を作り、やけに高そうなクッキーと共にちゃぶ台の上にそれを運んだ。
「どうぞ。よく分からないブランドの高級紅茶とよく分からないお店の高級クッキーです」
「よく分からないものを先輩に食べさせようとするんじゃない」
「明智先生の水道水よりは身体に良いと断言できますが?」
ぐうの音も出なかった。
「まあ、そう邪険に扱わないでくださいよ。実際問題、私は明智先生のプラスになることしかしてないじゃないですか」
「ぐっ……それは確かに……」
昨日は洗濯物を畳んでくれたし、耳掃除までしてもらった。更に今日は高い紅茶とクッキーを用意してくれている。いきなり押しかけられたりラノベ作家を辞めろと脅してきたりしているから印象が薄れているが、彼女のやっていることは確かに僕にとってプラスにしかならないことばかりだ。
ゆにゃぽこ先生は紅茶を飲み、喉を鳴らすと、
「まあ、別に先生からどう思われようが関係ないんですけどね。ラノベ作家さえ辞めてくれれば」
「何でそこまで頑なに僕を辞めさせようとするのかね……」
「それは秘密です。女の子には秘密が一〇八個あるって習いませんでしたか?」
「むしろ表に出てる情報の方が知りたいレベルじゃん。もうほとんど隠匿されてるじゃん君のプロフィール。フレーバーテキスト一行にも満たないんじゃないの?」
「ゆにゃぽこ。趣味、明智先生を引退させること。特技、明智先生を甘やかすこと」
「まさかの僕特化だったよ」
しかも比較的マイナス方面の。
「今は明智先生を辞めさせることが私の最優先ですからね。はい、あーん」
「…………」
口元に差し出されたクッキーに、僕は眉を顰める。
「どうしたんですか? はい、あーん」
「……いやいやいや、ちょっと意味が分からないんだけど」
「私が明智先生にクッキーを食べさせようとしています」
「状況じゃなくて行動の理由が知りたいんだけど」
「明智先生にクッキーを食べさせるという甘やかしがしたいからですが?」
「思考回路に重大なバグでも起きてるんじゃないの?」
そんなに僕を辞めさせたいのかよ。というか、それ以前に、女子高生からクッキーを食べさせてもらうとか絵面的にどうなんだよ。かなーり危なくない? 実は扉の向こうに警察が待機していて、食べた瞬間に連行されるとかそんなオチが待ってても不思議じゃないんだけど。
ゆにゃぽこ先生はずずいっとちゃぶ台から身を乗り出す。連動するように、クッキーが僕の唇に押し付けられた。
「いいから食べてくださいよぅ。女子高生にクッキーをあーんしてもらえるだなんて人生に一度あるかないかの貴重な経験ですよ?」
「そう言われるとあまりのレア度の高さに心が揺れそうになるけど、もうこれが罠だって知ってるからなぁ」
「む。失礼な。私からのあーんを何だと思ってるんですか」
「つい昨日耳掃除で僕を骨抜きにしようとした奴のセリフかねそれが」
「骨抜きにされた人が随分と偉そうですね」
彼女からのジト目から逃れるように僕はそっぽを向いた。
「いいから、大人しくあーんされてくださいってば。大丈夫です。あまりの甘さに頬が溶け落ちちゃうだけですから。物理的に」
「それもう一種の生物兵器か何かなんじゃないの?」
「あーもー往生際の悪い人ですね。おっぱいでも揉ませればあーんしてくれるんですか?」
「落ち着くんだゆにゃぽこ先生。大人である僕が女子高生である君のおっぱいを揉んだが最期、社会的制裁によって引退せざるを得なくなるから」
「ラノベ作家だけじゃなくて人生そのものからの引退にもなりかねませんね!」
「何でちょっと嬉しそうなんだよ」
しかし、このまま押し切るのは無理な気がしてきたぞ。昨日の時点で薄々察してはいたけど、この人はかなり粘り強い。僕みたいなよわよわメンタルでは到底太刀打ちできない程に心がメタルコーティングされている。このままだと、本当におっぱいを揉まされかねない。……いや、おっぱいには興味あるけど、さすがにJKのおっぱいを揉むのはまずい。売れっ子作家の前に犯罪者になるのだけは避けなくては。
髪を掻き、溜息を零し、ゆっくりと口を開ける。
「ふふっ。ようやく素直になってくれましたね?」
「いいふぁらはやふひへ(いいから早くして)」
「分かってますよ~♪ はい、あーん」
「あむっ」
サクッ、という小気味良い触感の直後、程良い甘さが口いっぱいに広がった。
くっ……悔しいが、本当に美味しい。今まで食べたクッキーの中で一番と言っても過言ではないぐらいに美味しい……しかも美少女から食べさせてもらったという状況補正のおかげか、背中がくすぐったくなるような幸福感でちょっと気持ちよくなっちゃってる……。
「ふふん。どうですか? もう一枚食べたくなりました?」
得意げな顔を浮かべるゆにゃぽこ先生。その手には、既に新たなクッキーが装填されている。
試しに、彼女が構えたクッキーを無視して自ら手に取ろうとしてみる――凄まじい速度で手を払われた。
「はい、あーん」
「…………」
「あーん」
「…………」
ずずい、と綺麗な指につままれたクッキーが僕の鼻先に突きつけられる。
ゆにゃぽこ先生の可愛い顔が、僕を誘惑するようにくしゃりと歪む。
「……私のクッキー、食べてくれないんですか?」
「…………あーん」
クッキーの芳醇な香りと心地良い触感が、僕の弱い心を優しく包み込んだ。
結局、十数枚あったクッキーを全部ゆにゃぽこ先生からのあーんで完食した僕は自分の心の弱さに打ちひしがれながら、静かに紅茶を飲んでいた。
「ふふっ♪ 後輩の女子高生ラノベ作家に舌も胃袋も心も支配された気分はどうですか? ラノベ作家辞めたくなりました?」
「は? 負けてないが?」
「途中からだらしなく涎垂らしてましたけど? 写真見ます?」
「何で撮ってんだよ」
チェキは有料なのでぜひお金を支払ってほしい。とりあえず僕のカウンセリング代込みで一〇〇万円ほど。
ゆにゃぽこ先生はちゃぶ台の上で頬杖を突きながら、
「しかし、明智先生はクソ雑魚メンタルのくせに意外と粘りますよねぇ。普通の大人だったら女子高生に甘やかされまくったら全てをかなぐり捨てて全力で甘えてくるものなんですが」
「フッ。僕は生半可な気持ちでラノベ作家をやってないからね。多少甘やかされたぐらいで辞めたりはしないんだよ」
「(……先輩の価値が分からない業界になんて、いる意味ないですのに……)」
「何か言った?」
「いえいえ。明智先生はデビュー作打ち切りのクソ雑魚作家のくせに言うことだけは一丁前だなー、って」
「よくもまあそんなに流暢に毒を垂れ流せるよな君は!」
本当に失礼な子だ。こんな子が新進気鋭の売れっ子作家だというのだからもうほんと神様ってのは不公平だと思う。美少女JKが売れっ子ラノベ作家とか、ちょっと属性特盛すぎやしませんかね。
「何をぼーっとしているんですか明智先生? おねむなんですか? 膝枕しましょうか? それとも胸枕?」
「その誘いは大変魅力的だけど社会的尊厳の為に遠慮しておくよ」
「結構あと一押しすれば心が折れてくれそうな反応してくれますよね明智先生って。もう粘らずにさっさと屈してくれてもいいんですよ?」
「ゆにゃぽこ先生は毒舌を吐かないと気が済まないの性分なのかな?」
——と、軽口を返す僕だったが、ゆにゃぽこ先生からの返球はなかった。
不思議に思って彼女の顔を見てみると、そこにはぷくーっと不機嫌そうに頬を膨らませたゆにゃぽこ先生が。
「……私のこと、いつまでペンネームで呼ぶつもりなんですか」
「ちょっと予想の斜め上の反応過ぎて返事に困るんだけど、そもそも君の名前なんて僕は知らないとだけは言っておくよ」
「知らないなら聞けばいいじゃないですか! 名前も知らない女子高生に甘やかされて屈してアヘ顔晒して恥ずかしくないんですか!?」
「アヘ顔なんて晒してないが?」
「さっき私にあーんされながら涎垂らしてた情けない敗北顔をツイッターに放流してもいいんですよ?」
「僕は女子高生に敗北しまくったダメな大人なのでそれだけはやめてくださいお願いします」
女子高生相手に深々と頭を下げる。もちろん、畳の上で土下座である。
「そうですね……私のことを名前で呼んでくれたら、許してあげないこともないです」
「いや、だから、そもそも名前知らない――」
「雪音」
「え?」
「
「…………えっと」
「…………」
何かを期待するように、そしてどこか寂しさを感じさせる顔で、ゆにゃぽこ先生は僕を真っ直ぐと見つめていた。
本当に、この子のことはよく分からない。
何で僕にここまで突っかかってくるのか。
何で僕にラノベ作家を辞めてほしいのか。
よく分からないし、あえて知ろうとも思わないけれど……でも、何故だろう。今、名前を呼んであげないと彼女が悲しむ、ということだけは心から理解できていた。
「……冬森さん」
「雪音」
「……………………雪音ちゃん」
「っ」
「雪音ちゃん雪音ちゃん雪音ちゃん雪音ちゃん。はい、これで十分でしょ? 満足したなら今後はあまり大人をからかわないよう――」
そこで、僕の言葉は途切れた。
理由は簡単。
ゆにゃぽこ――いや、雪音ちゃんの顔がしもやけのように真っ赤に染まっているのを目の当たりにしたからだ。
「……雪音、ちゃん?」
「は、はい!? 何ですか!? クソ雑魚ラノベ作家の明智先生!!!」
よし、彼女らしい罵倒で安心した。……いやどこにも安心要素ないけどさ。
「顔真っ赤だけど大丈夫? もしかして体調でも悪かったりする?」
「~~~っ! な、何でもありません! 明智先生のくせに私を甘やかそうとしないでください! 甘やかすのは私が明智先生に! 逆はダメです、ダメなんです!」
「その謎のこだわり何なんだよ」
「う、うぅ~……き、今日はこれで失礼します!」
「あ、ちょっ、紅茶まだ残ってるけど……」
「ご自由に飲んでどうぞ! 余ったパックも差し上げますので!!!!!」
目にも留まらぬ速さで雪音ちゃんは部屋を飛び出した。
湯気を立てる紅茶のカップと共に部屋に取り残された僕は開けっ放しの扉を眺めながら、呆れと驚愕の混じった溜め息を零した。
「……年頃の女の子って分かんないなあ」
雅也の部屋を飛び出した雪音は、何の変哲もない道端でふと足を止めた。
(……雪音ちゃん、か)
豊満な胸に手を当て、ほうと溜め息を零す。
(……明日も、名前、呼んでもらえたらいいな)
目尻に涙を、口元に緩みを、そして頬には赤らみを浮かべながら、雪音はぎゅっと手を握った。
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