後片付け
「さて。わたしはそろそろ御暇しましょうか」
ドラゴンを見送った後、沈黙を破ったのはフェッテだった。
ローブの懐から取り出した仮面をつける。
先程は混乱もあって、つい、フェッテの名前を呼んだ。
だけど今は他人のふりだ。少なくてもアントルシャの眼の前で声をかけるのは、ためらわれた。
オレはただの学生でしかないのだ。
「…おい。フェッテ」
アントルシャが鋭い声で彼女を呼び止めた。
「はい。なんですか?」
「お前にも助けられたからな。礼を言っておく。だが、今の立場を知らぬ訳ではあるまい? なぜここにいるんだ?」
「さあ。罪を犯したつもりはないのですけれども。どうにも皆さん勘違いなさっているようですね。ここにいるのは、掛け値なく偶然なのですよ。聖山に大事な用事があった。そうしたら皆がいらっしゃった。それだけです」
もう一度振り返ってフェッテは仮面越しにくく、と低く笑った。
「…あまり母を舐めないほうが良い。用心しろとだけは言っておく」
「ええ。分かっています。ある日突然工房がふっ飛ばされてこの方放浪生活ですよ。まったく困ったものです。時に王子はこれからどうなさるので?」
「悼む。どうすれば俺の罪が償えるのか。弟を殺してしまった罪は消えない。きっとこの先も影に苦しむのだろう。あいつが生きていれば、俺より良い王になったのであろうな、と。だがその上で良い王になるにはどうしたらいいか今度は自分で考えるさ」
「……あの、王子」
オレは兄に手を伸ばしかけて、やめた。
フェッテが仮面越しにちらとオレを見たのはきのせいだろうか。
オレは兄に声をかけたかった。
少なくても、弟殺しの罪など兄にはない。目の前でちゃんと生きているよと教えてあげたかった。
それに、未だに自分の生き方さえ決められないオレには王になる資格も素質もない。
「どうした? エカルテ」
アントルシャが、オレを見て微笑んだ。
思い出の兄は、意地悪な子供だった。
それなのに、今彼は優しげな表情をして、先のことを語っている、大人の姿。
王子としてずっと苦悩してきて、これからは王になるために苦悩していく、彼の姿だ。
じんわりと、罪悪感が胸に広がった。
オレは、彼のために何が出来るんだろうって、思う。
結局、
「……あの。頑張ってください」
そんな言葉しか出てこなかった。
「そう、だな。そうだ、エカルテ。ひとつ言っておきたいことがある」
「はい」
「お前の。いや、君の才能は素晴らしい。その才能を、是非王家に取り込ませてくれないだろうか」
一瞬、自分の耳を疑った。理解ができず、素っ頓狂な声が出た。「はい?」
「つまり、だな。君をゆくゆくは妃に迎え、子を生んでもらいたい。君は平民だから今すぐにとは行かない。だが、俺が皆を変えてみせる。そうすれば、エトワルも……弟もきっと喜ぶと思うのだ」
オレの母は平民の出だ。それ故にオレは確かに憂き目にあった。
理屈というか、きっとエトワルに対する罪滅ぼしのつもりなのだというのは、わかる。
兄はオレが弟と気づいていないから、悪意がないのもわかる。
だけどこれは、ない。絶対にない!
「無理です。無理無理無理、絶対にむり!」
「そ、そうですよ! エカルテはまだ子供だし!」「ぼくも、そうおもう!」「王子、なにいってんですかー!」
シエル。フリック。アンバー。三者三様に大声を上げた。
オレはオレで首を振りすぎて筋を違えるかと思うぐらフリまくり。
いくらなんでも腹違いとは言えありえない! 死んでもありえない!
「そうか? 俺はそんなにおかしなことを言っているか?」
「言ってます! 大体オレは……!」
「うん? オレ?」
アントルシャが怪訝な目をオレに向ける。
や、やばい。
「ごほんっ」
フェッテがとてもわざとらしい咳払いをして、言葉を継いだ。
正直助かった。
「とにかく。わたしはそろそろ行きますよ。何せ追われている身ですので。いやあ、エカルテちゃんはもてもてのようで羨ましいですね。確かにいい魔術でしたよ、あれは」
フェッテが仮面越しながら、からかうような笑みを浮かべているのが分かる。
昔と変わらぬ彼女の態度がとても懐かしくて、とても切なかった。
今すぐいろいろな話をしたいんだ。
辛かったこと。楽しかったこと。友達のこと。全部教えたい。
だけど、言えない。
オレは、エカルテなのだから。
フェッテは手を伸ばし、オレの頭を撫でる。
それから、腰を曲げてオレの耳に口を寄せ、囁いた。「男になれる方法が見つかりそうです。元の姿には、戻れませんが。もう少々我慢してくださいね」
オレは、はっとして彼女の仮面を見上げた。
彼女は小さく頷いて、それからくるりと踵を返して森の奥へと消えた。
……。
ドラゴン騒動後も、オレ達は変わらぬ日常を送っている。
カドリー先生は今日も元気に教壇に立っている。
クラスメイトは先生も含めて全員無事だ。
先生が宣言通りさっさと逃げたのもある。
それにもしかしたらだけど。
ドラゴン(後に資料にあたると、カンヘルという名の若い雌竜であるらしい)自体にそこまで人間に危害を加える気がなかったのではないか、とも今では思う。
彼女が本気で人を殺そうと思うならば、きっと誰一人生きては戻れなかっただろう。
カンヘルはたどたどしいながらも、竜語まじりの人間の古代語を話していた。人間に興味を持っていなければ、最初から人間の言葉など話さないはずだ。
3年生になり、授業内容も一層に専門性を増し忙しく日々は流れていく。
気づけばオレはもうすぐ14歳を迎えようとしている。
「彼氏ができたって本当? ほんとうなの、レーネ!」
夜の談話室で、メリアが目を輝かせながら、レーネに迫っているのを、オレとシエルはちょっと遠巻きに見ていた。
レーネは珍しく動揺し、顔をさっと赤く染めている。なにげに初めて見る反応かもしれない。
「ど、どこできいたんだよ!」
「アンさんが街でデートしているのを見たっていっていたよ! 5年生の先輩と!」
いつのまにか、メリアの敬語も抜けていた。薄々感じていたけど、彼女がすごくこういう……なんていうか女子らしい話が好きなのも、良く分かってきた。
「ま、まあね。実は、まあ、そんな感じ」
「ええ! どっちから告白したんです!? すごく格好いい先輩だよね! デートは何回!? キスはしたの!?」
「ちょ……メリア、顔近いから! 自然の成り行きだよ!」
メリアはソファーで、レーネの横に座り、ぐいぐい顔を寄せている。
おー。レーネがタジタジなのも、珍しい。
それにしても、彼氏、かあ。
最近そういう話をちょこちょこと聞くような気がする。
クラスメイトでも、誰彼が付き合ったーとか。恋人になったーとか。女子同士で話しているのを見る。
オレはともかく、シエルはどうなんだろうって、ふと気になった。
そうやってちらと目を向けたら、ばっちりシエルと目があって彼女はにっこりした。
「エカルテは彼氏つくらないの?」
「え。いや、私は別にいいかな」
「今のは冗談」
「え? どういうこと?」
「いいの」
ドラゴン騒動以降、シエルがよくわからない。
よくわからないけど、前より、一緒にいる時間が増えた。
まるで9歳ぐらいに戻ったようで、オレとしては、正直な所、嬉しい。
ずっと微妙な距離感が合ったからさ。
彼氏、かあ。
好きな人。恋人。
男と、女の自然の成り行き。
いつか、シエルにもできるんだろうか。
そうしたら、もう一緒に居られないのかな。
あれ。なんだかとても胸が痛い。
アントルシャはオレに子を生んでほしいと言っていた。
まあ、アントルシャの子を生むことは死んでも天地がひっくり返ってもありえない。兄だし。そんな趣味はない。
でも、そっか。
オレは今女なんだ。女の人は彼氏を作って、将来子供を生む人もいる。
シエルも?
「シエルは、彼氏とか興味あるの?」
自然と口をついていた。
「わたしも別に」
「そうなの?」
「うん。エカルテ、髪伸びたね。今度の休みに切ってあげようか? わたし、こう見えて結構うまいよ。たまに自分でも切ってるし」
シエルが微笑みながらオレの前髪に触れた。
「知ってる。いいの?」
シエルがオレの髪を切るなんて言ったのは、これがはじめてだ。
実際に彼女が自分で切っているのを見たことはあって、オレも街に切りに行くのが面倒だからと、お願いしたことも過去にはあった。
その時は、『ちゃんと可愛くしてもらいなさい!』って怒られたっけ。
最近、シエルがよくわからない。
好きって全然言ってくれなくなった。
良いんだけどさ。別に。
嘘。本当はかなり寂しい。でも、それを伝えても居ない。
月日を重ねるごとに、前は言えたことが言えなくなるのはなんでなんだろう。
フェッテからあれから連絡はない。どこに居るのかも分からない。
もし男に戻ったら、シエルに好きってまた言ってもらえるのかな。
男と女。彼氏と彼女。それが、”自然”
でも、オレは……分からない。どうしたいんだろ、オレ。
兄は自分の進むべき道を見つけたのに、オレは、だめだ。
「あ。難しい顔してる。また色々考えてる?」
シエルがオレの頬に触れると、オレはもやもやしていたのを悟られたようで、気恥ずかしくなった。
「ばれちゃった」
オレが笑みを取り繕うと、
「エーカルテー」
シエルが歌うように言う。
「なに?」
「名前、呼んで」
「えっと……シエル」
「うん。もう1回」
「え。ええ? どうしたの急に」
「いいから」
「シエル」
「むに」
実際に、むに、と声にだしてシエルがオレの両頬を引っ張る。
ちょっとだけ痛い。
「ふぁにふんふぉ」
「ほっぺたやわらかっ。一生掴んでいたいね」
満足そうにうなずくシエルに、私もやり返した。
「ふぁにふぉー」
つまみあったまま、お互いの変な顔がなんだか笑えた。
大きくなるごとに、気持ちは複雑になって、自分のことさえわからないことが増えていく。
シエルの深いところを知りたいって思うのは、傲慢なのかな。
そんな気持ちを抱えつつ、オレは14歳を迎えた。
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