大人

 まるで急に昼が訪れたかのようだった。

 フリックとシュシュがクラスメイトをまとめて、下山をしている最中のことだった。

 急に空が明るくなったかと思うと、真っ白な不気味な太陽が夜空に現れたのだ。


「な、なにあれ!?」「怖いよ!」

 

 先生の居所すら分からないこの状況で、この異変。皆がパニックになりかけるのを、


「皆落ち着いて。まずは山を離れよう」


 フリックは努めて穏やかな声を出した。

 彼自身、酷く心はさざめいていた。


 なぜエカルテやシエルを最初に探さなかったのか。彼女たちは無事なのか。

 そんな事が暗雲のように心によぎっては、リーダーなのだからしっかりしないと、と。何度も心のなかでつぶやいて、心を鎮めようとしていた。


「ねえ。シュシュ。あれ、なんだろう。エカルテやシエルは大丈夫かな」


 隣を歩くシュシュに低い声をかける。


「あなたなんかが心配なんてしなくても、わたくしのエト……エカルテは平気よ。エカルテがついているのなら、シエルだって無事だわ」


 シュシュが、いつものように不遜な笑みを浮かべて答えてくれるのが、ありがたかった。

 だけど、彼女の語尾は少し震えていた。

 きっと、すぐにだって行きたいんだろう。フリックも同じ気持ちを抱いていた。


「そうだよね。シュシュ。行かなくて、大丈夫?」


「行かない。あの人にフリックと共にクラスを頼むって、任されたのよ。それを果たすのがわたくしの義務。どれだけ心が張り裂けそうでもね」


「……君は、本当に強いね。君みたいな人が、彼女の側に居たらきっと、それは良いことなんだろうな」


「はっ。今頃気づいたのかしら。褒めてもあの人は譲らないわよ」


「ああ、そうだね。そうだったよ。ぼくらはライバルだった」


 シュシュに言われて、ようやく緊張が少しほぐれた気がした。


「行きなさいよ」


「え?」


 シュシュの目がまっすぐにフリックを射止めている。


「あなたこそ行きたいんでしょ? ここは、わたくしだけでも大丈夫よ。それより、そんな死にそうな顔してる人がリーダーやってると邪魔なのよ。居ないほうが、よっぽどましよ」


「ぼく、そんな顔してた!?」


 フリックは慌てて頬に両手をやる。顔に出していないつもりだったのに、リーダー失格だ。


「してた」


「それはごめん」


「なんで謝るのよ。あなたのそういう所嫌いよ。……エカルテみたい。あなた達3人ってやっぱりどこか似てるのよね」


「そうかなあ?」


「そうよ。3人共わたくしを見習うべきよ。自分のことだけ考えて生きた方が楽よ? ほら、喋ってる暇なんかないでしょ。呆けた顔してないで。しっかりなさい」


「……シュシュ。ありがとう」


「だから、そういうのを止めなさいって言っているの。あなたのためじゃないの。わたくしは自分がそうした方が良いと思ったからそう言っただけよ。あなたが危険に晒されることを承知しているもの。

 わたくしは自らの行いで人が傷つくのを恐れていない。それを含めて行動し責任を取るのが貴族の役目だって思っているからよ。分かる?」


「分かるよ。でも、ぼくたちはまだ子供で良いんだ。シュシュ、ありがとう。君が友達でよかった」


「はいはい。鬱陶しいから早く行って頂戴」


「うん!」


 フリックは駆け出した。愚かな行為であることは、理解している。エカルテの意に反している事も、分かっている。自分が行ってどうなる? 大人を呼びに行くべきだろう? こんな行動に意味はない。ガキのわがままだ。

 でも、子供でいいじゃないか。

 好きな人が危険な目にあったら、脇目も振らず駆け出すようなガキで良い。

 ぼくはそう思う。


 フリックを見送り、シュシュは空を見上げた。

 アンが肘で脇腹をつついてきても、微動だにせずそうしていた。


「シュシュ姉さんも行けばいいのにって、あたしは思いますですわ」


「うるさいわね、アン。人の顔色ばっかり伺う生き方なんて糞食らえよ。そんなやつばっかだわ、あたしのまわりには。うんざりする。この機会に皆死ねばいい。みんな自分のことだけ考えて生きるべきなのよ」


「……姉さん。雨っすかね」


「そうね。雨が降ってきたわ。彼女が間に合えば良いのだけれど」


「素直じゃないっすねえ」


……。


 数秒。もしかしたら数時間もそうしていたように感じる。

 内臓が燃えるように熱い。

 頭や手足がどろりと溶け出しているかのような錯覚に何度も襲われた。


 少しでも防隔が弱まると、竜語魔術による凄まじい熱にさらされる。

 それに気づいて、さらに魔力を強めると、頭の中を針でさされるような凄まじい痛みに襲われる。

 そんな事を、何度か繰り返していた。



「IsE tr faso?」(怖い?)


 ふいに、ドラゴンの穏やかな声が降りてきた。

 私のすべてを受け入れるかのように響く。穏やかな歌のような声だった。


「怖い」

 

 私も応じた。


「sE tr hie?」(悲しい?)


「悲しい」


「E trum disodi?」(自分の事、好きじゃないの?)


「そう、だよ。結局好きじゃないんだ自分のこと」


 だから、シエルがドラゴンに会いに行くといった時、あんなに怒ってしまったのかも知れないと、今では思う。私なんかのために、シエルが、他人が傷つくのは嫌だった。



 なんでこんなに頑張っているんだろうって、ふと思う。

 気づけば、やっぱり一人だ。孤独に生まれて、孤独に死ぬのは、悲しい。


 でも、これで良かったんだ。

 皆が無事で、シエルが無事なら、それで良い。

 アントルシャはちゃんとシエルに伝えてくれただろうか。それだけが気がかりだった。


「Eh ma petef freyn」(おいで。私の翼は開かれているわ)


 私は、優しい声に導かれるように、天に掲げた手を降ろした。

 魔力も、もう、限界だった。


 

「エカルテ」


 私の背中をぎゅっと包み込むものがあった。親しんだ声に、日常の匂い。

 手放しかけていた意識が、急激に浮上してくるのを感じる。

 再度、壊れかけた防隔を、ぎりぎりのところで練り上げる。


「シエル……? なんで、いるの。逃げてよ。私は、シエルに、皆にいきてもらえれば、それで良かったのに」


「ううん。嫌だよ」


 きっぱりと、シエルは言い放った。

 真正面からきっぱり断られたのは、はじめてだった。


「あなたは、嫌がるだろうけど、わたしは、こうしたいんだ」


 抱きしめられた背中は暖かくて、力強くて、暖かい。

 それなのにシエルが知らない人のように思えた。


「でも、もう限界なんだ。逃げてよ、お願いだから!」


 オレが叫んでも、シエルはオレから離れようとはしなかった。

 嫌だ。

 嫌だよ。シエルが死ぬなんて、嫌だ。

 嫌だ。なんでも良い。誰でもいい。彼女を助けて。


「おやおや。諦めるのが早くなったんじゃないですか。昔はもっとしつこかったですよ」


「え……?」


 酷く懐かしい声だった。いつも俺をからかっては笑っていた、その声。

 師の声だった。


「フェ、フェッテ……?」


 魔力を消費しすぎて、幻でも見ているんだろうか。

 アルカ族であることをひけらかすような銀色の腰まで届く髪に、つり上がった鋭い赤い目。

 それに人を小馬鹿にしたように笑う、口の端。

 何もかも昔の姿のままだ。


「なんですか、おばけでも見たような顔して」


 フェッテがオレの額に指を当てると、ふっと体が軽くなった気がした。

 体に魔力が戻ってくるのを感じる。


「フェッテ。本当に、フェッテ? なんで、いるの? 生きてたの? これは、なに?」


 混乱するオレに、フェッテは人差し指をあてて、いたずらっぽく笑った。


「説明はあと。わたしの魔力と、シエルちゃん。そして、」


「おい! フェッテ! 俺が場所を教えたらすっとんでいきおって!」


「はー。なんでこんなことになってるんですかねー……」


「にい……王子。それにアンバーも!」


「そ。彼らの魔力も使ってもらいますよ。ぎりぎりまで搾り取っちゃいます。ついでに、彼も途中で見つけたので拾ってきました」


「エカルテ!」


 フリックが私を正面から抱きしめた。

 背後からはシエルが。正面からはフリック。

 手を天に掲げた状態でぎゅうぎゅうに挟まれて、暑いやら苦しいやら。

 それに、とても恥ずかしい。

 …そんな事を考える余裕が出てきたのは魔力が戻ったおかげもでもあるし。

 それに嬉しかった。寂しかったんだ。そんなことフェッテの前じゃ口が裂けても言えないけれど。


「ちょ……フリック……苦しい」


「良かった。君が無事で」


 フリックも、離そうとしない。


「フリックも、シエルも、1回離れて! ……その。汗臭いから、オレ……」


「あ。ごめん、その、ぼく……」


 フリックは顔を真っ赤にしているし、


「……やだ」


 シエルはなんだか、意地っ張りなままだし。


「もてもてですねー。ええとその。ああそう。エカルテちゃん」


「フェッテ。うるさい」


 にやつくフェッテをじろりと睨みあげる。彼女は受け流すようにくく、と低く笑った。

 それから急に表情を引き締めて、アントルシャの方を見上げ言った。


「アントルシャ王子。皆の魔力をつぎ込んでも、結局は防御が精一杯。ジリ貧です。いつかは尽きるでしょう。分かってますね? さっきいったとおり、心を込めてですよ」


「分かっているさ。こんなことで収まるとは正直思えないけどな」


「まーだぐだぐだおっしゃってる。良いですか。エカルテが発動しているのは古代魔術。竜語魔術と同じくして、本来は想いを伝えるための素敵な術式なんです。後は、分かりますよね?」


「……ああ。俺は、大人、だからな」


「王子! 何をやってるんですかー!」


 アンバーがぎょっとしたように目をむいた。

 オレも思わず兄さんと叫びそうになるのを、慌てて口をつぐんだ。


 地面に両膝を付き、両手を空の竜に向かって合わせる。

 王族にあるまじき、プライドの高い彼にあるまじきポーズだった。


「ドラゴンよ。卵を盗んだのは、俺だ。心からお詫びを申し上げる」


「フェッテ、これは……?」


「エカルテちゃんは術式に集中してて。君の作った術式で、ドラゴンに想いを伝えるのさ」


 ドラゴンは何も言わず、興味深そうにアントルシャを見下ろしていた。


「俺は、本当は普通になりたかった。普通に父や母に愛されたかった。王子としての期待なんて、いらなかったんだ。それなのに、俺は、嫉妬してしまったのだ。弟に。エトワルに。王子としてより適正のあるものに。だから、せめて王子として皆の期待に答えられる特別な人間になりたかった」


「エトワル……?」


 兄さんの想いを、はじめて知った。オレが、知らない間に兄さんの傷になっていたなんて、思いもしなかった。

 成長するたびそんなことばかりを経験している。

 オレは誰も傷つけたくないと思っていた。

 だけど、たぶん。背中に抱きついたままのシエルや兄さんの顔を見て、それがすべて正しくないのかもしれない。そう、思った。


「……」


 ドラゴンはひたすらに無言だ。彼女の作り上げた太陽はいまだ健在で、オレが手を離した瞬間に地上を焼き尽くす事には何ら変わりはないのだ。


「だが、それすらも、できなかった。何をやっても中途半端な俺を、俺は認められなかった。何者にもなれない。普通にも特別にもなれない自分を認められなかった。ドラゴンの卵を持ち出せば、過去の英雄のように特別になれると思ったのだ。それが、俺の弱さだ」


「……n」


「ドラゴンよ。この事態は全て俺の弱さが引き起こしたものだ。ここに居る者に罪はない。彼女らは、俺に世界の広さを教えてくれた。狭い世界での特別など何の意味もないことを、示してくれた。だから……」


 アントルシャは叫んだ。心からの叫びだと思った。


「俺は、生きたい。生きて、やりなおしたい。俺は身勝手だ。様々なものに取り返しのつかぬことをしてしまった。だからこそ、俺は生きて、自己の行いの責任を取りたい。どうか。俺を、見逃してくれ! ドラゴンよ!」


 言っていることは、ただのみっともない命乞いで、やっていることも、彼は最低だ。

 彼のせいで傷ついた人だって、大勢いるのだろう。

 オレには分からなかった。

 

 人を傷つけてなお、それでも責任を取りたいという兄が。

 正直に言えば、許されるはずはないという理性もあった。

 だけど、兄の懸命な表情にどうしても嫌悪感を抱けなかった。

 分からない。

 それが、大人だというのだろうか。


「Ehi…s…HHE!」(さいわいあれ!)


 太陽が嘘のように消えた。

 ドラゴンが急降下してきたかと思うと、器用に卵を口に咥える。

 風圧で、オレは足がよろめき、フリックとシエルに支えられる。

 嵐のような羽ばたきた数度聞こえたかと思うと、もうドラゴンの姿はなかった。


「若干、まだ怒ってたわね」


 フェッテの声に答える者は誰もなかった。

 後には虫の声すら聞こえない沈黙と、暗闇だけがあった。

 月が雲に隠れ、皆の姿すら見えなくなった。


「エトワル。俺を、どうか、許してくれ」


 誰かが泣いている。

 大人の男の泣き声だった。

 だから、今は暗闇でいいのだろう。

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