自分のこと
「まちなさーい!」
アンバーは相変わらずのんきな声だが、確実に近づいている。
オレ達は必死で森の中を駆けていた。
ドラゴンがいるであろう方角には、天罰のように落雷によって地響きと閃光がなる響いている。
恐ろしいが、目標がわかりやすいのはありがたい。
「卵! わたし持つ!?」
「無理! 戻っちゃう!」
短くシエルとやり取りをし、灌木をくぐった。
向こうは大人で、なおかつ魔族。
こちらは見よう見まねで圧縮したとは言え、両手で抱えるほどの大きな卵を持ったままなのだ。
シエルは同じ術は使えない。一番体力の貧弱なオレが卵を抱えるしかないこの状況。
単純な追いかけっ子なら、勝負は見えている。
「こーらー! 止まらないと打つよー! お姉さん打っちゃうよー!」
風切り音が背後からした。走る横目に、木に矢状になった岩が突き刺さり、幹を抉るのが見えた。
威嚇のつもりなのだろう。「次は当てちゃうよー!」と冗談のように楽しそうに叫んでいる。
当たると冗談済まないよ。
「エカルテ。行って」
シエルが立ち止まった。
「シエル。でも、」
「わたしとあなたで出来ることをやるの。生きるために」
「……また後で。絶対だよ」
オレは、走った。
杖すら持たないシエルが、宮廷魔術師を相手にして無事でいられるかなんて分からない。
だけど彼女の目はまるで月のように優しく、強かった。だから、オレは行かなければならないと強く感じた。彼女の信頼に答えたかった。隣に、立ちたかった。オレは、彼女と生きたい。
……。
「天より降りし生命の水よ。ウォーターボール」
シエル自身の大きさと同程度の、水の玉を作り上げた。シエルの一番の得意魔術。高圧で打ち出された水球は、人間なんて簡単に貫くことが出来る、はず。
とても、怖い。人に当てること。そんなことが、わたしに出来るだろうかとシエルは思う。だけど最初から全力だ。
だって。そうしないと、威圧感に一瞬で負けてしまいそうだった。
「ふぬーん。同胞と争うのってあたし趣味じゃないんですけど」
詠唱を完了している分、わたしのほうが有利なはず。シエルはそう考えるのとは裏腹に、ひどく緊張していた。かえって追い詰められたような心地だった。
アンバーの声音にはまったく緊張感がなく、余裕すら感じた。
彼女は子供っぽい仕草であごに人差し指をやって、上目遣いにシエルを見る。
「それなら、エカルテを行かせて上げて。ドラゴンに卵を返すの」
「それも、困るんだよねえー」
「アンバーさん。なんでこんなことするの? 王子様に命令されてるから? なら、王子様を説得しに行こう! わたしも、付き合うから」
「はー。説得。そうきたかー。若いって良いなー」
「アンバーさん?」
うっとりと、星の無い空を見上げる彼女があまりに場違い過ぎて、シエルは一触即発の状態にあることをうっかり忘れそうだった。
「好きな人の言うことは、全部受け入れてあげたいじゃない」
「……受け入れる?」
「そりゃー、あたしも、こんなことに意味がないことぐらい分かってるよー。昔の英雄の真似事なんだってさ。笑っちゃうよね。子供みたい。だけども、彼が言うことだから、叶えてあげたい。どんなことをしてでも! あたしは全部、受け入れてあげたいんだ」
「それが間違ってることでも?」
「おかしいって思う?」
「おかしいよ! 皆が危険な目にあってるの、分かってるでしょ!」
「おかしいかなあ。シエルちゃんはそういう相手いない?」
「えっ、な、なにが!?」
「あ、初々しい反応、素敵。いるって顔してるねー。良いんだよ隠さなくても。アルカの女は情が深いからね!」
顔が暑い。
自分で好きって言うのは慣れてるのに、人に指摘されるとどうしてこんなに恥ずかしいんだろう。
さっきまでの緊張感はどこへやら。アンバーのゆるい空気にすっかり取り込まれている。
目的通り足止めできているし、戦わないに越したことはないのだけれどなんだか釈然としない。
「あの人はそういうことは、しない。誰かを傷つけるようなことは、しない。やっぱりアンバーさんの言っていることはおかしいと思う」
「それは君たちがまだ子供だからだとおもうよー? ずっと間違わない人間なんているわけないじゃない。あたしのことおかしいっていうなら、シエルちゃんはちゃんと止められる子かなー?」
くすくすと笑うアンバーの赤い瞳が、見透かすようにシエルを捉えた。
笑顔以外見せてくれない。涙混じりに必死に訴えてくれたエカルテの顔を、ふと思い出していた。
アンバーに言われても、エカルテが人を傷つけるようなことをするところはやっぱり想像できない。
でも、彼女が何かを間違った時、その時でも、わたしは隣でにこにこしているんだろうか。
そんなのって、寂しい。間違ってるって、思う。
「ああ。そっか。そうなんだ」
シエルは破顔した。笑ったつもりだったけれど上手く笑えた気がしない。
そっか。それが、わたしだったんだ。
「おお? なんか変な顔してる。なんかあたし変なこといいましたかねー!」
アンバーが両手を腰に手をやって、訝しげにシエルの顔を覗き込む。
実際、笑ってるのか、苦しいのか自分でもよくわからないんだ。
だけど、そっかって思った。
「アンバーさん。あなたのおかげでわたし、自分の事、ちょっとわかった。あなたの生き方も、素敵だと思う」
自分の事、すぐには変えられない。
ううん。きっとこの先も、変えられないことはたくさんある。
向き合えず笑うことだって、ずっと続いていくんだろう。でも――
「なんかよくわからないけど、おめでとう?」
「――でも。わたしは、あなたとは違う生き方がしたい」
受け入れるのは、幸せだ。受け入れられたら幸せだ。
事実、アンバーさんはとても幸せそうだ。
わたしだってそうやって、それだけで生きていきたいってずっと思ってた。
分かるのって、とても痛い。分かってもらうのって、とても怖い。
分かってもらうぐらいなら、ひとりでにこにこして、本当の口は閉じて、何もしないで生きている方が楽だとすら思う。
だけど。エカルテはわたしのこと分かりたいって、言ってくれた。
臆病なわたしにそれが出来るかも分からない。
それでもわたしはエカルテと一緒に生きたいんだ。
「ちょっと!? なんかいきなり酷いこと言われてるんですけど!?」
「ごめんなさい。傷つけるような事言って。それでもわたしはそう、思いました」
「なーんか腑に落ちないぞー少女よー。って! わーすれーてたー! 卵追ってるんだった! 同胞に会えたのが嬉しくてつい話し込んじゃったっ。シエルちゃん! どかないなら押し通るからね!」
「そうでした! えっと、じゃあこのウォーターボール。打ちます」
「はい。どうぞー?」
シエルは胸元に片手をやって祈る。エカルテ。わたし、やるよ。
みんなと。そして、わたし自身のために。
シエルは手を掲げ、人を傷つけるために作り上げた魔術を、アンバーに放った。
アンバーが詠唱していた様子はない。だから、避けるしかないはずだった。
だけど、それは確かに魔術による相殺だった。
「アンスール・イス」
得意満面なアンバーの顔。
水同士で相殺され消えていくのを、シエルは理解しきれない頭で見ていた。
「へへん。あたしがなんで王子の側近やってるか、わかった? 使えるようになったんだ、ルーン魔術!」
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