アントルシャとアンバー

「君たち、魔術学校の生徒か? すまないが我々も暫く身を隠させてくれ」


 アントルシャに、アルカ族の女。それに軽装備の兵士が二人。

 アントルシャはオレ達の返事を待たず、壁によりかかって腰を下ろした。

 彼はオレの事には気づいていないみたいだった。

 当然か。でも、なんでこんなところに?


「ぶへー。王子ぃ。疲れましたよぉ。もう限界ですよー。出していいですか? 収納し続けるのってすごい魔力食うんですよ。良いですよね。出しますよ。卵出しますよ。はい。出します。はい出しましたー」


 アルカ族女は妙に軽薄な態度だ。服装とアポテオーズ王国の紋の入った杖からして、宮廷魔術師のようだ。


「おい。こんなところで俺の事を王子と呼ぶな。卵を出すな――っておい! アンバー!」


 コルクの抜けるような音がして、成人女性ほどの大きさの卵が地面に現れる。

 純白の、シミひとつない、まるで光そのもののような卵だ。それが淡い光を放ち、オレ達の姿をより鮮明に浮かび上がらせた。


 ドラゴンが狙っているアルカ族が持っている奇妙な卵。

 その卵は、本で読んだドラゴンの卵の記述にそっくりで。

 ……あ。


「ねえ、エカルテ。あれってさ……あれだよね」


 シエルがオレに耳打ちし、オレも頷いた。「……あれだね」

 誰がどう見ても、ドラゴンの卵だ。

 シエルと目配せした。動こう。


「あ。アルカ族の子だ。わー。こんなところで同胞に会うなんて珍しい! こっちの国じゃ魔族ってあんまりいないんじゃない? 大丈夫? 苦労してない? あたしアンバーって言うの。あなたは?」


「し、シエルです!」


「アンバー! 余計なことを話すな」


「あ。すみません」


 アントルシャに怒鳴られ、アンバーがシュンとしたのは一瞬で、すぐに能天気そうな笑みをオレにも向けてくる。


「君、名前は? 君もなんだか不思議な魔紋してるね。もしかして魔族?」


「エカルテです。残念だけど、魔族じゃないですよ」


 オレがそう答えた直後。地面が大きく揺れた。

 地響きが起き、天井から小石や細かな砂が落ちてくる。


「ひっ! ドラゴンのやつ、まだ暴れてやがる! もういやだ!」


 兵士の一人が、天井を睨み、叫んだ。若い男の兵士だ。

 それをベテラン風の兵士が諌めた。


「おい。喚くな」


「中隊長どの! 申し訳――」


 もう一度、雷が落ちたような音が響いた。

 かなり近い距離のようで、体が軽く飛び上がる程の衝撃を感じた。

 若い兵士が頭を抱えて、しゃがみ込む。


「も、もういやだ! 俺たちだって死ぬんだ。中隊長殿! こんな意味のない行為で、仲間たちは死散り散りだ! 王子の見栄のためにです! もう、自分は付き合いきれません! こんな、弟に全部才能を持っていかれたような奴――」


「おい! 貴様ッ! いい加減にしろ! 処刑ものだぞ! 申し訳ありません王子。彼は若い。少し錯乱しているだけなのです」


 ベテラン風の兵士が、一喝し、恐る恐るという目で王子の方を見やる。

 アントルシに表情はなかった。ただ兵士を冷たく見上げ、石のように固まっている。

 唇だけが動く人形のようだった。


「聞かなかったことにしてやる。さっさと、どこへなりと消えろ。俺の前に二度と姿を現すことは許さん」


 聞くやいなや、若い兵士は洞窟の外へと飛び出す。彼の姿を見送ると、残った兵士は重々しく告げた。


「王子。僭越ながら一つ、教えていただきたいことがあります。当初の予定では、山頂で儀式を行うだけだった。皆、そう聞かされていた。ところがあなた様と、その忌々しい魔族の女が――」


 感情を抑えきれないと言った様子で、男の顔はみるみると紅潮していく。声も体もぴくりとも震えては居なかったが、その顔には匂い立つような怒りが感じられた。

 男の目を受けて、アンバーは小首をかしげた。


「卵を、盗んだ。兵士たちは皆訳も分からず、あなた様を守った。最初から、その予定だったのですか? 卵を、持ち出すおつもりだったのですか?」


「ああ。そうだ。俺が英雄になるために」


「っ……! 本気で、おっしゃっているんですね?」


「くどい。そうだと言っている」


「あらまあ。言っちゃいましたね」

 

 くすり、とアンバーは笑った。この状況を彼女は楽しんでいるようだった。


「王子。処罰を覚悟で、申し上げます! 卵を即刻お返しください! 今ならまだ間に合う! 死んでいった仲間のためにも、どうか! このままで国に帰ったらどうなるかおわかりですか? ドラゴンが諦めるとでも? そんなことも、おわかりにならないのですか?」


「だめだ。それはできない」


 アントルシャの表情は変わらない。死んだように、兵士を見上げるだけだ。

 兵士はついにわなわなと震えだし、しゃがみ込むアントルシャを睨みおろした。


「妻と子が国にいるのです。考え直していただけないならば、処罰を受けようが私が!」


 兵士が卵に向かって手を伸ばす。

 が。その手は届かなかった。

 彼の額に杖が突きつけられた瞬間、見えない糸で引っ張られたかのように彼の動きがとまった。


「あ。それはだめですよ。あたしがいますからね。ほーら動けない」


「魔族! 汚れし種族め! 貴様が、王子をたぶらかしたのだろう!」


 顔すら動かせず、片足を上げた奇妙なポーズのまま、兵士は喚く。


「そんなー! ちがいますよー! あたしだってこき使われてる側なのに!? ねえ、王子! 王子もなにか言ってくださいよ!」


「……エルデ。卵は、必ず持ち帰る。そうしなければ、ならない。それを邪魔するならお前を殺さねばならない。お前だけではない。お前の家族、一族郎党に至るまで根絶やしにしよう。去れ。おまえにできるのは、それだけだ」


 アントルシャが兵士エルデに冷たく告げ、目線をアンバーにやると、糸が切れたように兵士がバランスを崩し前のめりに倒れた。

 兵士は起き上がり、王子を睨んで、唇を震わせた。

 結局それ以上何も言わず、くるりと踵を返して洞窟の外へ出ていった。


「……エトワル様さえ生きておられれば」


 最後にそう、独り言のようにつぶやいた。


 しん、と沈黙が降りる中、アンバーだけが「あーららー。皆居なくなっちゃった」といやに明るく言った。


「アンバー。うるさいぞ。お前もそろそろ黙れ」


「ええー? 無理ですよ。あたしは口から先に生まれてきたんです。ねえ、王子。誰も居なくなっちゃっいましたね? 残ったのは最高の忠臣であるあたしだけ」


 心底楽しそうに、アンバーは口元に手をやってくすくすと笑った。


「お前のどこが忠臣だ。お前の口は毒沼から生まれてきたに違いない」


「ええ? あたしほどの忠臣がどこにいるんですか! 王子のためならたとえ火の中山の中ドラゴンの巣の中! 命をかけてお守りしているじゃないですか。で。どうするんですか? これから。卵を持ってまた逃げますか? 臣下を、国を犠牲にして、自分の虚栄のために頑張っちゃいます? たった一人になっても頑張っちゃいます? 大丈夫ですよ。あたしは最後まであなたの味方です! なんでもやります! さあ、ご命令を!」


 楽しい楽しい楽しい。

 アンバーからは全身から、そんな感情があふれている。

 彼女は飛び回り、犬歯を見せながら笑い、そして慈しむ瞳をしたかと思えば、次には嗜虐的な光をたたえている。

 正直、あまり関わり合いになりたくない手合だ。


「……貴様が有能でなければ、一番に処刑してやるのに。ああ、行くとも。俺は、諦めない。卵を収納しろ。そろそろ、魔力も多少は回復しただろう」


「はい! では参りましょう! って! きみたーち!」


 まあ。

 ずっと静かにこのやり取りを見ていたわけじゃないんだ。

 ルティレに習った幻影魔術が役に立つ日が来るとは思わなかった。

 シエルと二人で岩に擬態し、少しずつ、卵に近づいていた。


 卵を、掴んだ。すべすべとしていて、どこか機械的なものを感じるほど丸く整っている。

 オレは、それを持ち上げると同時、幻影が解けた。


「やばい、ばれた!」


 収納魔術。かなり高等な術のようだ。

 はじめてみたから、使い方はわからない。だけど、真似事なら出来る。

 オレは見よう見まねでかけると、収納とは行かずとも、小さくなったそれは両手に抱えられるぐらいにはなって、それを抱えた。


「こらー! いたずらはやめなさーい!」


 アンバーが慌てて杖を振り上げようとするのと同時。


「アースウォール!」


 既に詠唱を完了していたシエルが、オレ達と彼女らの間に巨大な石壁を表出させる。


「シエル! ドラゴンに卵を返そう!」


「うんっ!」


 オレ達は卵を抱え、外に向かって駆け出した。

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