なんで



「シュシュ」



 プラチナブロンドの後頭部に、廊下で声を掛けた。


 彼女が立ち止まり、振り返る。


 勝ち気そうな目がゆるみ、オレに微笑みかけてくる。



 言うんだ。


 ちゃんと自分の気持を伝えなくちゃ。


 フリックだって、ちゃんと痛いのに、選んだ。



 オレだって、いつまでもぬるいぐるぐるじゃだめなんだ。


 少しずつでも、大人になるんだ。


 それは、シュシュに、オレの中に、男だけじゃない。女としての部分があるのを教えるという事。


 言うぞ!


 ちゃんと、言うんだ! 今の暮らしが嫌じゃないって、ちゃんと言うんだ!



「あら、エカルテ。どうしたの?」



「えっと……さ」



 釣りがちな彼女の目がオレを捉える。彼女は隣のアンへとちらと横目を向けた。



「アン。先に行ってて頂戴」



「はいよー。ごゆっくり~なさいましまし~」と、なんだかよくわからない口調と含みのある笑みで先に歩いて行く。



 恋話をする時の女子の目だ。なんか盛大に勘違いされている気がする。


 シュシュは廊下の端に寄って、空き教室の扉を開けた。


 中に入ると古い木の甘い匂いが一気に広がって、シュシュの匂いと混じった。



「寝坊助のエカルテ坊や。朝ですよ。朝の鐘を鳴らすのよ」



 リンゴン、リン。


 子供をあやすように歌って、彼女の目がオレの足元から頭のてっぺんまでの間を動いた。


 スカートを穿いたオレの姿を、見ている。


 彼女の目に写るオレは、苦しんでいるんだろうか。



「ちゃんと聞いて」



「聞くわよ。それにしてもスカート、良く似合ってるわね」



「え。そう?」



「ええ」



 彼女は腕組みをして鷹揚にうなずく。


 シュシュがスカートを褒めてくれるなんて。


 もしかして、オレの気持ちを察してくれた?



「制服だから、仕方ないわよね。本当に苦労してるわねあなたも」



 そんなわけ、なかった。



「シュシュ、私――」



 言わなきゃ。自分が傷ついても、欲しいものがあるんだろ、オレには。


 オレが目を伏せて言いよどんでいると、シュシュが懐かしむように目を細めた。



「エカルテ。覚えてる? わたくしを助けてくれたときのこと。ほら、あなたのお兄様がおいたをした時のことよ」



「うん。覚えてる。今でも傷跡残ってるよ」



「あの時のあなたは本当に男らしくて、素敵だったわよ」



「そうかな」



「ねえ。あなたは知っていたのかしら。お父様はわたくしとあなたを結婚させたかったのですって。あなたが居なくなって、本当に悲しんでいたの」



「知らなかった。私は、あそこでは疎まれていたから。私自身、才能に自惚れていたところも、あったと思う。二度と、戻れない場所。半分自業自得だったのかもね」



「そんなことないわ。あなたは素敵な男子だった。才能にも溢れていたし、頭だって良かった。だからこそお父様も気に入っていたのよ。ねえ、演じなくて良くなったら、あなたは何がしたい? 今までできなかったこと、わたくしとたくさんしましょうね。あなたは、これからはわたくしが守って上げるの」



 夢見るように語るシュシュの優しさが、オレの体にまとわりついて口を重くする。


 話が段々それていくのに、つい応じてしまう。


 オレのアホ! 言いたいことあるのに、全然言えない! これじゃだめだ。


 シュシュの話を無理矢理にでも遮って、空気を吹き飛ばすように半ば叫ぶように言った。



「ねえ、シュシュ! 話を聞いて!」



「……なによ」



 ほんの少し。自信に満ちていた彼女の目に少し陰が差した。



「私は、」



 言うんだ。自分が傷ついてでも、今の場所を守りたい。


 別の所になんて、行きたくない!



 シエルとフリックの顔を思い浮かべながら、オレはぎゅっと握りこぶしを脚の横で作った。


 じんわりと汗が滲んでいる。


 廊下の喧騒が、一気に遠のいていく。生徒の影が壁の向こうを通り過ぎていく。



「シュシュ。私はこのままでいい」



「それは、その服を着続ける事を選ぶ、ということかしら。あなたは、女になりたいの? 苦しくは、ないの?」



 オレは伸びた髪の毛に手をやって、答える。長い髪も、最初は嫌だった。



「わかんないよ。どっちか、わかんないんだ。でも、今の生活のすべてが嫌じゃないんだ。苦しいことも、ある。でも楽しいことだって、いっぱいある。それだけは、わかってほしいんだ」



「そう。仕方ないわね。わかったわ」



 ふっと、力を抜いたようにシュシュが笑う。いたずらを許すような、そんな顔。


 仕方なわね。おいたをして。そんな声を残して、彼女は顔を背けた。


 くるりと踵を返して、教室の外へと向かっていく。


 オレは本気で言っているのに。



「シュシュ! 私は本気で言ってるんだよ!」



 その背中を追いかけて、手を取った。


 気づいてしまった。彼女は震えていた。


 彼女はオレを振り返ろうとはしなかった。平板な声だった。でも、分かってしまった。


 なんで、なんでなの。傷つくのは、オレじゃなかったの?




「分かったって言ってるじゃない。あたしには、昔のあなたとの思い出しか、ない。見た目が別人になって、中身まで知らないあなたになったら。あたしはどうしたらいいの? あなたは、いつまでそうやって分からない振りをし続けるつもり?」



 手を離してしまった。シュシュはいつものように堂々と風を切って歩いていく。


 扉を開けると明るい廊下の光が教室に広がって、かえって教室の陰は濃くなったようだった。


 何か、言うべきだった。でも、何を?


 オレは選んだ。シュシュを傷つける事を選んで、今の生活を選んだ。



 知らなかったんだ。


 自分が傷つくより、人を傷つけることのほうがこんなにも痛いなんて、オレは知らなかった。


 ねえ、フリック。君はそういうのも、乗り越えていこうとしているの? それが大人ってことなの?



 なんで。なんで、泣くんだよシュシュ。

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