ぐるぐるぐる



「私、は…君に会う少し前、9歳のときまで、男、だったんだ、心も、体も。だから……!」



 しゃくりあげる情けない声は、私のものだった。


 だから。


 その先を言うのは、怖かった。フリックを傷つける言葉だったから。


 彼との、絶縁を意味する言葉かもしれないから。


 それでも、これ以上長引かせて彼を騙し続けるのは、嫌だった。


 ひくっと、一度嗚咽ししながら大きく息を吸い込んで、捨て鉢のように吐き出した。



「私は心に、男がいる。今の体は女なのに、どっちか、自分でもわからないんだ。


 ――だから、君の気持ちには、答えられ、ない。オレだったり、私だったりする、こんな状態で、フリックに、想ってもらう資格なんて、ない」



 吐き出した後はじんわりと手足がしびれるように重かった。


 沈黙が背中から這い上がり、私の全身にのしかかってくる。


 終わった。どこか冷静な頭が私に言う。これでよかったんだ。


 フリックみたいないい子を、将来のある子を、私のぬるいぐるぐるに留めておくことは、罪だ。


 終わってよかったんだ。



「……とりあえず、涙拭いてよ」



 フリックが差し出してきた真っ白なハンカチ。


 こんな時でも、彼はこういうやつだった。


 私は思わず受け取ってしまってから、くしゃりと手のひらの中でそれを潰した。


 真っ白なハンカチを汚してしまうのは、嫌だった。これは意地だ。


 彼の穏やかな声がした。



「話してくれてありがとう。すごく、勇気が必要だったと思う。エカルテはやっぱりすごいよ」



「ちがう」



 必死に首を振る。そんなんじゃない。早く言えば彼を傷つけなかった。


 勇気がない、いくじなしだったんだ。



「男として生まれた君が9歳のときに体が女になった。そういうことなんだよね?」



「うん」



 鼻声で、うん、というよりゔんと声が響く。



「正直に言えば、ぼく、とっても驚いているんだ。頭の中がぐちゃぐちゃしてる。もしかしたら、過去なんて関係ないって即答するのが正しいのかも知れない。でも、それは出来ない。だって過去があるから今のぼくたちがあるんだから。ぼくは、だめなやつだよね」



「…ちがう。フリックは、すごい。だめじゃ、ない。だめなのは、私。絶交されても、仕方ない」



 ハンカチをぎゅっと握りしめて、顔を上げた。彼は照れくさそうに、はにかんでいた。


 私は、取り乱してばかりだ。


 私は、怖かったんだと思う。



「ぼくはね、村で君に出会って、本当に良かったって思っているんだ。君のおかげで、ぼくはお父様に言いたいことが言えるようになった。親の威厳ばかりを振りかざして、それでもお父様から相手をしてもらえないから自分の殻に閉じこもってばかりいた。それを、君は救ってくれたんだ。ぼくは、そんな君の心を好きになったんだと思う」



 そんなに、きれいな目を向けないでよ。私の心なんて、ぐちゃぐちゃで汚いのに。


 私の声は気づけば自然と飛び出していた。言いたいこともまとまらないまま、気持ちのまま溢れ出した。



「私、わかんないんだ。男性も女性も愛していく自信ないんだ。いつかどっちかに傾いたらって思うと、その時、パートナーのこと愛せなく成ったらっておもうと、とっても怖い。


 いつか女性になりきったら。いつか男性になりきったら。その時、誰かを傷つけるのが嫌なんだ。怖いんだよ。


 私は、男子は苦手だけど、フリックにはそういうのない。一緒に居て楽しくて安心する。シエルだって、一緒に居て、楽しくて暖かくなる。それで、良い。それだけ続けばいいって、想ってる。私はずるい。そんな奴なんだよ。そんな心しか、ないんだよ」



 肩で息をしてフリックを見上げる。彼はいつまでもその目をやめようとはしなかった。


 正しい目は、不正な私を焼き焦がしてしまうかのように、痛かった。眩しかった。


 彼は、どこまでもちゃんとした、男なんだ。私が失ったものがあるんだ。



「今まで、君のこと、ちゃんと訊いたことなかったからさ。やっぱり、ぼくはエカルテはすごいと思う。普通、そこまで考える? そんなに相手のことばっかり考えなくても良いとぼくは思うな」



「わ、私はすごくない!」



 私がつい大声を出すと、フリックは分かってる、という風に微笑んだ。



「ソルの日、遊びに行くの楽しみにしてる。ぼくもそれまで色々考えてみたいんだ。今は考える時間が欲しい」



「私と、行くの? こ、こんな私と? だって――」



「君と行きたいんだ」



「……!」



「『玉ねぎカフェ』で待ち合わせしよう。そのときに、ぼくの気持ちをちゃんと整理して、言うよ」



「わ、私、フリックの気持ちは……!」



「二度も言わなくても大丈夫、傷つくから。とにかく、待ってるから。なんなら迎えに行くよ」



 冗談めかして、ウィンクなんかしてみせる。


 フリック。こんな、茶目っ気なんてあったっけ。こんなに強引なやつだったっけ。


 なんだよ。なんだよ、なんだよ。泣き虫だったくせに。勝手に、成長していっちゃって。前に進んで行っちゃって。大人の男になってしまおうと、している。


 寂しいのと、嬉しいと誇らしいが6:2:2ぐらい。そんな、気持ち。




 ……。




「――そういうわけでフリックのやつ婚約なんて申し込みやがったんですの!」



「まあ! 本当に!? フリック・フラック。あなどりがたいわ!」



「……」



 シュシュの部屋に同年代の女子と、金髪に偽装したルティレがいる。


 このお嬢様、いつのまにやら子分を作りやがっている。


 セレ男爵家令嬢のアンだ。


 セレ家は領地もほとんどない貧乏貴族だ。


 とても珍妙な喋り方をする子なので、さほどクラスメイトに興味のないルティレでも印象に残っていた。


 頑張ってはいるんだけどね。そんな印象だ。



「まじでございますのよ! おとなしそうな顔しくさってるくせに、とんだカマトト野郎でしたのよ!」



「……」



「そうね……。男性からの告白。これ以上ないぐらい、女性としては嬉しいシチュエーションですわね。しかも相手はフラック辺境伯の子息なんて、ソテ王家に連なる大貴族じゃない。


 これ以上エトワルを女性らしくさせるわけにはいかないわ。アン。彼らが出かける日は?」



「ソルの日だよ! じゃなかった、でございます! 不肖アン・セレ。しっかり覗き見じゃなかった、風の噂を小耳に挟みましたんですますのよ!」



「ソルの日ね。わたくしたちも乗り込むと致しましょう。ご苦労だったわね、アン。引き続きフリック・フラックの監視、頼むわね」



「……」



 お嬢様。そんなことしなくても翌日に約束してたじゃないか、とは野暮なので突っ込まない。


 ルティレはあくまで無言で佇んでいる。



「合点でございますです! では早速行ってまいります!」



 アンが力強く手を叩いてから、だだだっと音がしそうな程勢いよく駆け出そうとするのを、



「アン。走ると危ないわ、転んで怪我でもしたらどうするの。それに、お菓子もあるから食べていきなさいな」



 シュシュの声が引き止めた。



「うわーい! お菓子だあ! ありがとう、シュシュねえさん!」



 フォークを突き刺すと一口でケーキを頬張る。マナーもなにもあったものじゃないが、実に美味しそうなにこにこ顔だ。


 お嬢様はその様子を嬉しそうに、いっそ楽しそうにアンを眺めていた。


 まあ。その目は、友人というより小動物に向ける目に似ているような気がしたが、それも、突っ込むのは野暮というものだ。



「……」



 いささか寂しさを感じるのはきのせいにしておこう。

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