選んだ。



 眠れない。


 深夜の談話室でひとりソファーに埋もれるように座っている。



 あんなことを言ったのにフリックは全然変わらない。


 普段どおり笑顔で挨拶したり、話しかけたりしてくる。


 その度なんだか気まずくて、目も合わせられず口ごもってしまってろくにキャッチボールできていない。


 フリックはオレのこと、どう思っているんだろう。元々は男だって伝えたのに。


 分からない!


 フリックの気持ちがさっぱりわからない! どうして普段どおりでなんていられるんだ。



 傷つけていないのかな?


 変わらないように見えるだけ? 



 内心じゃやっぱりがっかりしているんだろうな。


 だって、彼が期待していたのは女のオレだもの。女だから好きになってくれたんだ。


 期待に答えられないよ。求められても、オレは女にはなりきれないんだ。


 じゃあ、オレは男なの?



 女の服を着て女子用のトイレや風呂に入って、こうして女子寮で生活をしながら男の子に告白されたことを悶々と考え込んでいる。まるで女の子みたい。



 男のくせにね。



 気持ち悪い。


 ふと、ヴァロッテの声が頭に反響してぎゅっと目を閉じた。


 男なのに、血のついた女物のパンツをじいっとみつめて、しゃがみ込んでいたオレはさぞかし薄気味悪かったことだろう。



 あ。だめだ。


 どんどんネガティブになっていく。考え込んじゃだめだ。



「泣いてるかと思ってた」



 顔をあげると、シエルがいつの間にやら目の前に立っていた。


 考え込みすぎて気が付かなかったみたい。



「なんで?」



「いつもよく泣いてるから?」



 くすりと微笑んでシエルはオレの隣りに座る。



「それ、ショック」



 オレも笑って返した。そっか、そんなに泣いているか。まじかあ……。



「色んな事しっかり考えてる証拠だよ」



「いや、普通に恥ずかしい……。っていうかシエル、どうしたのこんな夜中に」



「じゃなくて。どうしたの、はエカルテの方でしょ。いつまでも帰ってこないから心配になって見に来たの」



「ごめん、起こしちゃった?」



 彼女は首を小さく横に振り「大丈夫」とオレの横に体を寄せた。


 腿同士から、ほんのりと体温が伝わってくる。


 13歳のシエル。相変わらずオレとおそろいの白銀のミディアムヘアーで、寝起きということもあって、今は無造作に流している。



 おそろいだったはずなのに、身長は頭一個分抜かされてしまった。


 身長だけじゃない。見た目も大人びていく。


 今、化粧をして服や髪を整えれば、大人と見間違えるかもしれない。


 たぶん、オレの身長はもうそんなに伸びない。



「それで? フリック君に告白でもされたの?」



「えわ!?」



 変な声が出た。なんでばれてんの!?



「あ。その反応、当たったみたい。わかりやすいなー。エカルテは」



 その口調に、からかうニュアンスがあった。



「お、オレ……違うから!」



「お姉ちゃんにはお見通しなんです。っていうか見てれば分かるし。露骨にフリック君のこと避けてるでしょ、エカルテ。その前日には遊びに行くお誘いでしょ? 誰がどう見てもわかるよ。わかり易すぎ」



「……そんなに?」



「少なくても、メリアとわたしは気づいてる」



「う、うわああ。恥ずかしいい」



 顔を両手で覆う。このまま穴があったら入りたい。


 指の隙間から、シエルの神妙な声がした。シエルからはあんまり聞いたことのない声だった。



「ねえ。受けるの?」



「………………断った」



 10秒ぐらい迷って、やっぱりシエルにもちゃんと言わなきゃ、って思った。


 フリックに言ったこと、シエルにもちゃんと言わなきゃ。



「そうなんだ」



 そっけなさえ感じる、やっぱりシエルにしては珍しい声。


 理由を聞かれるかと思ったけれど、それはなかった。



「理由、聞いてもらっていい?」



「エカルテの方から話すの? なんか逆っぽい」



 ふふ、と小さく笑ってシエルはうなずく気配があった。


 オレは指を膝上におくとぎゅっと握りしめる。パジャマも、シエルとおそろい。色は違うけど。


 いつまでもお揃いじゃいられない。フリックのことで、良くわかったんだ。



「シエルには言ってたよね。オレの心には男がいるって。それって、昔男だったからなんだ。心だけじゃない。体も全部男そのものだったんだ。シエルと出会う、少し前ぐらいまでは、そうだった。だから、フリックの気持ちには、答えられないって思った。シュシュが言ってること、本当なんだ。オレは男だったんだ」



「うん。そっか」



 シエルはなんども「うんうん」と頷く。なんだか微笑んでいて、それ以上は何も言ってこない。


 今日は、なんだかシエルが変だ。



「そ、それだけ? 男なのに、シエルと一緒に、こうやって……過ごしてるの、嫌とか、気持ち悪いとか、おもったり、しない?」



「しないよ。前から言ってる事と同じ。わたしの気持ちは変わんない。どうあろうとわたしはエカルテのことが好き。エカルテが選んだほうが、わたしの選んだ方。過去なんて関係ないし、今のエカルテがどうしたいかで良いと思う」



「今?」



「うん。フリック君とのデート、行くの?」



「……行くよ。フリックも、時間を置いて話がしたいんだって言ってた。ちゃんと、話しなきゃ」



「じゃあ――」



 シエルがオレ手をぎゅっと握った。オレの手が開かれて、人差し指と人差し指が絡んだ。彼女が頭をオレの頭にもたれると、ふわりとしたシエルの髪の匂いがする。


 彼女は言う。



「男と女、どっちの格好で行く? おしゃれするなら手伝う。エカルテが選んで」



「フリックは、女のほうが好きだろうから、女の格好で行くよ」



「ちがうよ。エカルテは、どっちが良いって聞いたの」



 声音は優しげなままだ。まるで子供の間違いを諌めるような母親のような声。


 ううん。お姉ちゃんの声だった。



「オレ……」



 それ以上何も言えなかった。選んだことなんて無かったからだ。


 流されるまま、トラブルのないよう周囲に合わせて女のものの服を着ていた。


 オレの意志は、どうだったんだろう。 



「ねえ。エカルテは今、スカート穿くの嫌?」



「……今は、いやじゃない」



 昔は嫌だった。でも今は、嫌じゃ、ない。


 慣れたせい? それだけが理由だとは思わなかった。



「じゃあ、髪を編まれるのは、嫌だった?」



「いやじゃない。シエルにしてもらえて、嬉しかった。可愛いって、言ってもらえて、嬉しかった」



「――じゃあ、女の子であることは、いや?」




「いやじゃ、ない」



 みんなと一緒にいられるから。


 生活していく上で女として振る舞うことが必要だったから。


 色んな理屈は、頭に思い浮かんだ。


 でも言葉にできたのは、それだけだった。


 いやじゃ、無かったんだ。



「じゃあさ。自分のこと気持ち悪いとか言っちゃだめ。自分が嫌じゃなければ、今はそれでいいんじゃないかなって、お姉ちゃんは思う」



「………うん」



 鼻をすすりあげた。



「結局泣くのね!」



「……ごめん、なさい。でも、フリック、早すぎるんだ。オレはまだどっちが良いかなんて、決めらんないのに。いやじゃないけど、どっちを選ぶかなんてわかんないよ。


 こんなオレなのに、みんな優しくしてくれて、なんか、悪くて」



「フリック君は早すぎるし、エカルテはのんびりやさんだね」



 シエルが楽しげに笑った。


 のんびりな、オレ。ううん。私。私っていう。



 自身の気持ちすら分からない私も、言わなきゃ、行けないんだ。


 選ぶか、選ばないか。



「シエル、私、女の服で行く。一緒に、選んでくれると、嬉しい。私、あんまりおしゃれとかわかんないから……教えてくれると、すごく嬉しい、かも」



 恥ずかしいし照れくさくて、オレは耳まで真っ赤だったと思う。



「分かった。当日はおしゃれして出かけようね」



 絡んでいた人差し指が、オレの手のひらの腹を撫でて、くすぐったい。


 何度も何度もシエルはオレの手の腹を撫で続けていた。


 頭と頭をくっつけてるから、シエルの顔は見えない。



 お姉ちゃんって損だなあ。



 とても小さな声だけど、そんな言葉が聞こえた気がした。

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