なんとかなる
「エカルテ・シルフィード。ヴァロッテ・クラエル。昨日校内で攻撃魔術が使用されたようです。感知魔術に反応があった、と監督生より報告が上がっています。何か、知っていることはありますか?」
それは翌日のことだった。
授業が一通り終わった後、オレとヴァロッテはカドリー先生に教員室まで呼び出された。
席に座ったまま眼光鋭く見上げられる。深緑色の瞳には、吸い込まれそうな魔力を感じる。この術式は、『真実の瞳』を発動させているように思えた。嘘を見抜くための魔術だ。
眼鏡越しの眉間に、深い深い皺が寄っていた。
オレとヴァロッテが呼び出された時点で答えはもう手中にあるのだろう。
だから、これは言わば、試しだ。
真実の瞳でもって、オレ達がどれだけ誠実であるかを、試している。
ヴァロッテが気づいているかは、分からないけれど。
オレは正直に事の経緯を話すことにした。貴族の子息に攻撃魔術を使用したことも含めて、だ。
退学かなあなんて、内心は戦々恐々だったけれど、しっかり伝えるべきことは伝えたと思う。
オレが話をしている間、ヴァロッテは随所で否定しつづける。
そんな中、カドリー先生は瞬きすらしていないのではないか、と思うほどに真っ直ぐにオレ達を睨み続けていた。
オレが言い終わると、暫く沈黙があった。
ああ。胃が痛い。
数十秒が、一時間にも感じる。
ようやくカドリー先生は口を開いた。
「ヴァロッテ・クラエルにはスライムハウスの掃除1ヶ月。エカルテ・シルフィードには同じく2週間を命じます。また、アルノー・クレマン。サディ・カルノー。グザヴィエ・ダルコス、3名にも後日罰を言い渡すこととします」
「え? それだけ?」オレは、喜びの声を。
「そんな! 俺の言うことが信じられないんですか、先生! 俺は、クラエル家の人間なんですよ!」ヴァロッテは抗議の声を同時に挙げた。
カドリー先生がもう一度じろり、とヴァロッテを睨むと彼は怯んだ。
「王立魔術学校の理念と運営方針には、入学時点で親御様にも同意していただいているはずです。王直々に設立したこの学校。貴族、平民関係なく才能のあるものを見出すための場とするために、立場は平等とする。これが王の意向です。
良いですか、あなたは貴族である前に、生徒です。それを忘れないように。次はありませんよ」
「……っ」
まだなにかいいたそうな顔をしていたけれど、カドリー先生に睨まれ、諭されるとそれ以上言葉が出ないようだった。ヴァロッテは俯いて顔を真っ赤にしていた。
「よーきたなあ!」
耳を即座に両手で覆った。
採光用のガラス板がびりびりと震えていた。
たっぷり蓄えた口ヒゲに、黒い鼻。ずんぐりした体は見上げるほど大きく、大げさじゃなく二メートルはあるんじゃないかって思うぐらいの大男。
半袖の腕は黒い体毛に覆われている。熊の獣人であり、用務員のヘイリーが、やかましく笑いながら差し出したのは、デッキブラシだ。
「もーっと罰を受ける生徒が増えればおれは楽できるんだがなあ! わははは!」
早速翌日から、掃除に来ている。採光用に天井がガラス張りになった、スライムハウスは眩しいぐらいに明るく、冬だと言うのに汗ばむほど暑かった。
スライムは薬品から魔術の触媒、杖や防具に至るまでありとあらゆるところに使用される、万能植物。授業でも扱うことがある。
今も黄緑色の軟体をくねらせ、楽しげに壁や床を這いずり回っている。それを避けながら、それらが残した粘液をブラシで擦っていった。
ヘイリーも同じようにブラシを動かしているのが、遠くで見える。
ハウスはかなり広い。かなり重労働だ、これ。
「なんで俺がこんなことをしなきゃならないんだ」
横でずっとヴァロッテはぶつぶつと文句を言っている。
オレは無視して無言でブラシを動かし続けた。
掃除は嫌いじゃない。
「おい。お前」
監督するヘイリーに聞こえない、ぼそぼそ声でヴァロッテが言った。
「なに」
ブラシと床に目を落としたまま、オレは答える。
「こうなったの、お前のせいだからな。許さないからな。覚えておけよ」
「許さなければ、どうするの。前みたいに魔術でも打ってくる? 今度は掃除じゃ済まないと思うけど。それでもいいならご自由にどうぞ」
「ちっ」舌打ちして、彼はわざとらしい大声を出した。「つまんねえ。可愛くねえよ、お前。時々オレとか言ってるもんな。本当は男なんじゃないか?」
「さあね。あなたには関係ない。いいから手を動かしなよ」
不思議とヴァロッテに言われてもちっとも痛くない。当てつけって分かってるせいだろうか。
まだ彼は何かを言い続けていたけれど、いい加減相手をするのも面倒で、無視する事に決めた。
ブラシに心血を注ぐのだ。床を磨き上げる事に命をかけるのだ。命をもやせ。うおお。
「おい!」
いきなりがしっと肩を掴まれて、飛び上がりそうなほど驚いた。
ヴァロッテが真っ赤な顔をしてオレを睨んでいた。
彼が言った言葉は、一度は頭を素通りした。
一瞬、頭の中が真っ白になってしまったからだ。
「脱げよ。本当に女か確かめてやる」
むきになった真っ赤な顔で彼は言う。
「はあ!? ばかじゃないの!? このエロ貴族!」
とっさに胸元を手で両手でかばう。
「うっせえ! 家に戻ればな、オレの言うことを聞かないメイドなんていないんだぞ!」
10歳だか11歳だかで、何をやってるんだこのガキは。
この学校に入れられたのって、もしかして性格矯正のためなんじゃないだろうか。
ふとそんなことを思った。
「はあ、もう。あんまり調子乗ってると、痛い目みるよ。いつか」
オレみたいにね。
半分は本当に忠告したかったのだけれど、彼は挑発されたと取ったようで益々目を吊り上げて、オレの肩を握る手に力が入る。
「冗談で言ってるんじゃないんだぞ。本気だ。体見せろよ」
「だから――」
体が、固まって言葉に詰まった。
怒りで紅潮しきった顔に、ぎょろっと剥かれた目。
男の、目。
怖い。
11歳のガキで、魔術もオレより下手で、断然弱い。危害なんて加えようがないって分かってる。
それなのに、怖かった。
怖い。怖い怖い怖い怖い怖い!
「こーら、ヴァロッテ。しゃべってねえで手を動かさんと」
口調は穏やかだけど、そのげんこつは死ぬほど痛そうだった。
めきっ、とか音がしたし。ヴァロッテが目をぱちくりさせて、次の瞬間には目の端からじんわり涙が出ている。
「いっっっっっっ!」ヴァロッテは変な声だして、頭を抑えてしゃがみ込んでしまった。
全身に再び血が流れ出す。
助かった。なんで、あんなに怖かったんだろう。
ただの同い年の男の子なのに。
だめだなオレ。もっとしっかりしないと。
へとへとになってハウスから出たら、シュシュと鉢あった。
いや。鉢合うような場所じゃない。だから、たぶん、彼女はオレを待ち伏せていた。
オレを一瞥するなり、冷ややかな目で言ったのだ。
「エカルテ・シルフィード。あなたの悪事は必ず暴いてみせます。これは、宣戦布告です」
「は、はい?」
「そう。しらばっくれるのね。良いわ。そうしてられるのも今のうちよ」
言いたいだけ言うと、シュシュは執事の子を連れ立って颯爽と歩いていってしまう。
なんだったんだ、あの子。
よくわからない。
悪事? オレが?
割とまっとうに生活してるつもりなんだけれど。
悪事と言えば、せいぜいマッシュルームが嫌いで残すぐらいだ。
ともあれ、今日1日で、貴族二人を敵に回してしまった事だけは分かった。
ああ。オレの目標としていた平穏な学校生活はどこにいった。
「はあ、もう。散々だ」
ハウスは厩舎地区にあるので、学舎や寮のある学生地区とは結構距離がある。
両脇にカエデの植えられた小道をぼとぼと一人で歩いていると、さっきのヴァロッテの目を思い出して、気分が沈んだ。
「あ。おーい、エカルテ!」
「あ」
手を振りながら、フリックが走ってくるのが見えた。
オレも知れず小走りになる。知り合いに、とても会いたい気分だったんだ。
「そろそろ掃除終わる頃かなって思って。迎えに来たよ。疲れてるだろうし、心配だったんだ」
オレの前まで来ると、フリックはにっこりとした。
「え?」
「どうしたの? エカルテ」
「ううん。なんか、そういう風に言われるって思って無くて。びっくりした」
偶然だね、とか。そういう言葉を、想像してた。
「なにそれ、変なエカルテ」
「べつに、普通だよ」
ふいと、顔をそらして、彼の横に並んで歩き始める。
まだ、そんなに身長変わらない。
今は、まだ。
並んだ肩が嬉しかった。
「普通かなあ? まあ良いや。寮まで一緒に帰ろうよ」
「目が、ね」
私が言うと、フリックがきょとんとした顔を向けた。
人懐こくて、優しそうなまあるい目。とっても、安心する目。
「目?」
「目、優しい」
「エカルテ、やっぱり今日は変だよ。掃除で疲れてるんじゃない?」
「そうかも。何言ってるか、わかんないね」
本当に、どうかしてる。よくわかんないや。
「やっほう!!」
向こうから手をぶんぶん振り回すように走ってくる姿が見えた。
また知った顔が増えてほっとした。シエルだ。
「シエルー。君もエカルテを迎えに来たのー?」
間延びした口調でフリックもひらひらさせ、隣でオレも小さく手を振った。
「そうだよ!!」
オレ達に合流すると、シエルは肩で大きく息をして、それから花のような笑顔を見せた。
「三人で一緒に帰ろう!!」
なんかちょっと違和感。
いつも元気だけど、元気すぎる。
空回りしてるような、そんな感じ。
「シエルも、なんか変だね?」
フリックも同じことを思ったようだった。
「別に、普通だよ」
「あ。エカルテと同じこと言ってる」
「ほんとだ」オレの口からふふ、と笑い声が漏れた。
「え? ほんと? 嬉しい」
「嬉しいんだ」
「嬉しいよ! エカルテはわたしの妹だもん!」
シエルが笑うと、つられてオレ達も声を出して笑う。
三人で帰るのって、なんか幸せだ。
これから色々ありそうだけど、でも二人が居たらなんとかなる。そんな気がしていた。
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