好き



「……あの。すみません……」



 誰の声かと思って椅子に座ったまま振り返ると、メリアだった。


 はじめて声聞いたよ。



 メリアが自分のベッドに座って、オレを上目遣いに見上げている。


 二段ベッドが2つ。机が4つ。申し訳程度の収納が4つ。質素なオレ達の寝室。



「んーん」



 糸を咥えながら答えて、視線をまた机に戻した。破かれてしまった彼女の制服を縫っている。


 王宮でフェッテに教わったのだ。あまり外に出ることが出来なかったから、室内で出来る手作業はよく教えてくれた。まさか役立つ日が来るとは思わなかったけど。



「エーカルテーやるじゃーん。ね。シエル。あんたの妹すごいじゃん」



 二段ベッドの上からだらん腕をたらしながら、気だるそうに言うのはレーネ。クラスメイトだ。


 クラスでは絶対にオレとシエルに話しかけてこないけど、寝室にいるときは普通に会話している。


 10歳にして世渡り上手さん。


 商家の次女らしい。別にそれが悪いとも思わない。



「そうだよ。エカルテはすごいんです。わたしもエカルテがこんな女子女子してるなんて思わなかったけど!」



 シエルの弾む声がして、彼女が後ろから抱きついてくる。


 手を止めて顔を向けた。



「シエル、針、危ないよ」



「えへへ。ぎゅー」



 ぎゅー、と実際に口に出して、手を回してくる。


 シエルの髪が首筋にあたってくすぐったくてちょっと身を捩った。



「恋人かっ、お前らっ!」



「でしょ! ラブラブだよ」



 レーネの威勢のいいツッコミに、自慢気にシエルは笑顔がたっぷりと含まれた声で答えた。



「それだけ仲がいいなら、どっちかが男だったら良かったのにね」



 レーネの何の気のない、悪気のない声は、それだけに刺さった。



「……っていうか、私別に女子女子してるわけじゃないし。誰だって出来るよ、これぐらい」



 服に目を戻して、あははと笑う。



「わたしは出来ないよ!」とシエル。



「あたしもできなーい」間延びした口調のレーネ。



「……できません」申し訳無さそうなメリア。



「それはやらないだけだって」



 オレは半笑いで答える。明るい声が背中の向こうから聞こえてくる。



「にしてもさー。エカルテ。あんたヴァロッテ達ぶっとばしたんだって? いやあ見たかったなあ」



「まあね。ついやっちゃった」



 できるだけあっけらかんと聞こえるように、オレも語調を上げた。


 ま、やっちゃったことは仕方ない。なるようになれだ。



 よし。出来た。


 服を持って、立ち上がる。メリアのもとに、両手で抱えて持っていくと、オレと服に、交互に迷ったような目を向けていた。本当に、いいの? 顔にそう書いてある気がして、オレは微笑みながらもう一歩、前に出た。



「どうぞ、メリア。とりあえず縫えるところは縫った。応急処置だけど」



「……あ、ありが――」



 おずおずとメリアの手が伸びる。受け取ったメリアは、一度大きく目を瞬かせる。


 顔が真っ赤だった。


 大粒の涙が落ちた。


 猫の耳はすっかり折れ曲がってしまっていた。



「あ。あれ? 涙……出ちゃって……わ、わたし……。す、すみません。迷惑ばっか、かけて、話すの苦手で、なんか、いつも、怒らせちゃって……わたし……」



 肩を震わせる彼女の頭に、そっと触れる。


 怖かったよね。



「迷惑なんかじゃない」



 しばらくそうして触れていた。


 肩を震わせていた彼女は俯いたまま、ポツリと呟いた。



「……すみません」



「メリア。友達になってくれない?」



 ちらと、シエルの方を見ると、彼女もにっこりとして何度も首を縦に振ってくれている。


 シエルならこう言うと思っていたんだ。はじめてシエルに出会った時、してもらったこと。


 オレも誰かに出来たら。そう思った。



「わ、わたしと?」



 メリアはっとしたように顔を上げる。一瞬視線がぶつかると、彼女はさっと目を伏せた。「わたしなんかと、良いんですか」



「そもそも、私達も爪弾きものだし。ねえ、シエル」



「そうだよ! わたしなんか誰とも口聞いてもらえないよ! でもすごく元気だよ!」



 胸を張って言うことか!


 でも、シエルがあんまり堂々と言うものだからレーネが吹き出した。笑いながら彼女は言った。



「シエル、あんた逞しすぎ。羨ましいよ」



「わたし……」



 鼻をすする音がして、彼女はようやく顔を上げた。目は真っ赤だったし、まだ目は潤んでいた。


 けれど、笑った。



「わたし、嬉しい、です」



……。



「ふう」



 消灯時間ぎりぎりの大浴場には誰も居ない。


 オレの入浴時間はいつもこの時間だ。


 湯船に一人で浸かり、手足をのびのびとする。


 はあ、気持ちいい。



 メリア。最後は笑ってくれてよかった。


 ヴァロッテ達があんなことをしているなんて。



 悪ガキの仕業。そう言うには、あまりにひどい。


 あれが貴族のスタンダードとは思いたくない。10歳のお子様の考えと大人の社会は別。


 そう信じたいなって思う。



 貴族。


 フリックの顔が思い浮かんだ。


 泣き虫で、今も時々。いや、だいたい情けないけど。


 でも、優しいやつなんだやっぱり。友達になれてよかった。





「すきあり!」



「ひあああっ!?」



 いきなり何かがオレのお腹あたりに絡んできて、変な声が出た。


 まるで女みたいな悲鳴。オレの声だ。




「びっくりしたあ。そんなに驚かなくても! わたしだよ!」



「シ、シエル? びっくりしたのは私の方だよ!」



 後ろから抱きついたまま、オレの肩からシエルが顔を出した。



「あはは。ごめん。だって考え事してて気づかないんだもん」



「もう」



「ね。エカルテはいつもこの時間? 一緒に入ろうって言っても断られるからなんでーって思ってたの」



 シエルは相変わらず離れようとしない。手が無遠慮にお腹の辺りに当たって、くすぐったかった。


 彼女がしゃべるたび、吐息が耳元にかかった。



「う、うん。いつもこの時間」



「まさか、意地悪されてるの? お風呂で」



「違うよ。そういうんじゃない」



 心配そうな声音に、慌てて答えた。



「じゃあ、なんで? 早く入ったほうがお湯もきれいなのに」



「うーん……」



 ちょっと、迷って正直に言うことにした。あんまり心配もかけたくない。



「オレさ、なんか、恥ずかしくて。体見られるの、嫌なんだ」



 女性だらけの大浴場に入る事が、悪い事のような気がしていた。


 それも、ある。


 でもそれ以上に、自分を見られることが嫌だった。


 シエルだけなら平気だけれど、不特定多数の前にこの体を晒すのがどうしても、嫌だった。



「恥ずかしいの?」



「うん」



「そっか。エカルテはとても綺麗だし、可愛いのに」



 シエルはそれだけ短く答えて、オレの胸骨辺りまで手を上げて、自身の体をくっつけるように抱きついてくる。


 シエルの匂いがした。


 普段から、べたべたしたがるシエルだけど、今日は、特に。



「シエル。今日は妙にくっつきたがるね」



「いつもと一緒」



 妙にきっぱりとした口調に、これ以上訊くなというオーラが含まれていた気がして、オレはそれ以上追求する事はやめておいた。



「……男じゃなくても、別に良いのにね」



「え?」



「なんか、傷ついた顔してた」



 レーネの一言。あの瞬間、確かにオレは、痛かった。


 男なら、良かったのにね。そうだよ。ずっと男なら、良かったんだ。


 こんなに悩まないで済んだのに。



「本当に、良く見てるよね、シエル」



「ずっと見てるから」



 抱きつく彼女の力が、オレを縛るように強くなる。


 シエルの匂いが、とても、した。



「あの、さ」



 天井からお湯が落ちてきて、オレの鼻の頭に当たった。


 ぴちょん、と涙のように大粒の水滴がお湯に落ちていく。



「すごく、変なこと、言う。こういう事、いうと、ドン引きされるかもしれないけど」



 自己防衛。たっりと予防線を張った。そうじゃないと言えない。


 それでもシエルにはどうしても言いたい気持ちが、抑えられなかった。


 シエルが無言でうなずく気配があった。



「オレ、自分が男か、女か、よくわかんないんだ。最近、可愛いって言われるとすごく嬉しくて、でも、オレの中にはすごく男の心もあって――」



「うん」



「わかんないんだ」



「うん」



「ごめん」



「なんで?」



「意味、わかんないこと言ってるから」



「楽しめばいいと思う」



 ぽつり、宙に浮いたような声だった。



「樂しむ?」



「うん。今のエカルテは今しかないから。それって素敵ですごく綺麗なことだと思う。変わっていく事も、わたしは楽しい。どっちでもエカルテのこと好き。『オレ』も『私』も」



「シエルは、すごいね」



「すごくない。欲張りなだけ」



 そこから、会話は無く、シエルも、妙に大人びて見えた。


 フリックも、シエルもすごい。どんどん大人になっていく。


 じゃあ、優しくしてもらってるくせに、自分の性別すら見つけられないオレ/私は?


 置いていかれている気がした。



「ねえ。わたし本当にエカルテの事好きだよ」



「オレも、シエルのこと大好きだよ。シエルが居たから、今があるって本当に思ってる」



 その好きは、どういう好き?


 それを尋ねる勇気はなかった。だって自分の好きですら、よくわからないんだから。

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