開き直れ、私。



 男たちの気配が消えるのと時を同じくして、トレントたちの気配はいつのまにやら去っていた。


 というより、男たちを元々追っていたのだろう。


 トレントを引きつける何かを、彼らが持っていた。そうとしか思えない。


 が。考えるのは後だ。



「こっち」



 オレはフリックにおぶられながら、指を差した。倒れた灌木と木々と、苔むした岩。


 同じような風景が続いているが、間違いなくこの方角が先程月の花があった沼地だ。


 確信があった。



 あれだけ二人で大量に魔力を垂れ流したのだ。


 その残滓を、ここからでも薄っすらとだが感じることが出来た。


 文字通り死ぬほど疲れたけれど、まさかこんな風に役に立つとは。


 だけど、懸念事項もあった。



「わかった。でも、トレントいないかな? 戻って大丈夫?」



 フリックも同じことを考えていたようで、不安そうに疑問を口にした。



「へーきへーき。今だっていないんだもん」



 シエルが明るく答える。


 3人はお互いに、土と汗にまみれてひどい顔だ。


 それでも彼女の笑い顔はオレ達を明るくしてくれる。



「遭難するよりはましだよ。きっとね。様子を見つつ、行こう」



 オレは偉そうに言ってるけれど、背負われたままなのだ。


 最初は疲れていて、そんな余裕はなかったけれど。


 よくよく考えると、かなり恥ずかしい状況だこれ。




「フ、フリック。そろそろ自分の足で歩くよ。怪我したわけでもないんだし」



 足をもぞもぞと動かすも、フリックはむしろ力を強めた。



「だめだよ。エカルテ疲れてるでしょ。無理しないで」



「うん。無理しちゃだめ。今は、ゆっくり休んで」



「……うぉぉ」



 思わず両手で顔を覆った。あまりにも自分が情けなさ過ぎる。


 同い年の子にめちゃくちゃ気を遣われてる。


 男としてちょっと傷つく。



「それに、エカルテは元気な時でも足遅いもん」



「え? 遅くは――」



 無いでしょ。そう言おうとしたら、



「フリック君! そんなこと言っちゃだめ! 確かにものすごく遅いけど、エカルテちゃんは病弱なの!」



 シエルにとどめを刺された。


 泣きそう。完全に自覚なかった。


 だって。森に入ってからは、当初は遅れること無くふたりにていくことが出来ていた。



 いや、そう思っていた。


 最初から、オレに合わせてペースを組んでくれてたってことだよ。



 あ。やばい、なんか死にたくなってきた。



「運動するよ! すればいいんだろ! くそう!」



 顔が熱い。オレが手を振り回して喚くと、ふたりはからからと笑った。



「帰ったら一緒にしよね。それにいっぱい遊びたいし、魔術の練習もしたい。三人で!」



「ぼくも、良いの? 二人の邪魔にならない? ぼく、本当に魔術下手なんだよ」



「今更何言ってんの、フリック」



 オレは彼の頭越しに言う。



「友達でしょ。来年に備えて、みっちり私が鍛えてやろう! 覚悟してろよー! あっはっは!」



 おんぶされたまま、偉そうに腕組みなんかをして、高笑いするオレ。


 もはや何を言おうが、何を気取ろうが、恥ずかしい奴なのは確定している気がするけれど。



 それはきっと気のせいだ。


 うん。これでちょっとは男としての威厳を取り戻せ……た訳がない。


 開き直れ、オレ。私。



「そうしたら、フリック君も同じ学校いけるもんね」



「……うん。ありがと」



 ぐすっ、とフリックの鼻をすする音がした。


 オレからは頭しか見えないけれど。フリックはよく泣くやつだ。




「帰ったらさ――」



 三人で取り留めのない会話をしながら歩き続けた。


 三人でいると、よく笑う。



 オレはこの村に来てから、この子達に出会ってから、良く笑う。


 側室の子として生まれ、母親が亡くなってからは王宮にオレの後ろ盾はなかった。



 父ですら、オレを疎んでいたように思う。


 誰に話しかけても建前の薄っぺらな笑みを浮かべるだけで、まともに会話してくれる人はフェッテとシュシュだけだった。



 離宮から出ることすら滅多に叶わない、軟禁状態の生活。


 第二王子としての生活で、すっかり笑い方も忘れてしまっていた。


 本とフェッテが居なければ、確実に心が壊れていただろう。



 オレはシエルやフリック、新しい家族と一緒にいられて、今、幸せだ。


 だから、フリックにも幸せになってほしい。


 お父様が大好きだ。そう言った、この泣き虫で素直な子の思いが、父親に届けばいい。


 切にそう願った。




 魔力の残滓の気配が強くなってきた。もうすぐ、沼地につくはずだ。


 まだ木々だけが見え、それは見えないけれど、もうすぐ戻れるはずだった。



 誰ともなく、言葉を止めた。


 オレが、振り絞って声を上げた。



「シエル。魔術、まだ使える?」



「……あんまり」



「だよね。オレも、あんまり」



「ねえ。ふたりとも。ぼくが囮になるからさ、逃げてよ。ほら、前も逃げ切ったし、ぼく」



「それは絶対にしない」



 これは、ちょっときついな。


 ソーンボアーだ。



 それも、前回のものよりかなり大きい。それが、3体も並んでいる。


 向こうはすでにこちらを察知して、後ろ足を何度も蹴って、今にも飛び出してきそうだ。


 威嚇するような唸り声を上げて、黄色い瞳がオレたちを見据えている。



「オセルッ!」



 魔獣が、弾丸のように跳ねた。


 とっさに魔術で土の壁を作り出した。


 弱りに弱ったオレの魔術では、なんの効果も、勢いを弱める効果もなかった。


 木々すらなぎ倒し、土の壁はいともたやすく破壊される。



 速さが以前のものとは段違いだった。


 3人とも悲鳴をあげる暇すら、なかったのだ。



 気づけば、目の前に死が迫っている。


 オレは、目を閉じた。


 ああ死ぬ。


 不思議な事に、諦念というのはとても穏やかで、素直にそう思えた。



 ぎゅっと目を閉じた暗闇のまま。


 痛みや衝撃はいつまでたっても訪れない。



「よう! ガキンチョども!」



 聞き慣れた声がした。


 目を開ける。首のないボアーが倒れている。


 その前には、斧を持った熊のような男。リンバの姿と、もうひとりの長身の赤髪の男性。



「天つより授かりしは悪しきを焦がすいやさきの炎。フレイム」



 もう一体のボアーが一瞬で炭になっていく。


 グランだ。



 一瞬のうちに2体を殺されたボアーは、なかなかどうして賢い。


 勝てないと見るや否や、突進を急停止。そのまま、森の奥地へと逃げ去っていく。



 っていうか!



「リンバ!? グランさん!?」



「お父さん!」「お父様」



 三者三様に反応し、だけど皆が口をぽかんと開けていた。



「元気かガキ共! ――おっと、シエル。どうした」



「お父さん、お父さん!」



 シエルが足元に抱きつくのを受け止め、背中をぽんぽんと叩いてから、リンバはオレに目を向けた。心配そうに眉をひそめている。「エカルテ。おめえ、怪我したのか?」



「い、いや。疲れただけ……」



 ああ。いっそ怪我なら良かった。顔が熱い。



「なんだ、そうか! フリック坊に背負われて、まるでお姫様だな、エカルテ! や。エカルテ姫か、わははは!」



 リンバは大口を開けて喉の奥を見せて笑いながら、背負われたままオレの頭をもみくちゃにしていく。大きな手でごりごりやられて、はっきりいってめっちゃ痛い!



「ちょっ、やめ! 誰が姫だっ! っていうか、リンバ、なんでいるの? なんであんなに強いの!?」



 いきなり現れたと思ったら、もうボアーが死んでいた。あんなに巨大なボアーを一撃で、だ。



「エカルテ、知らなかったのか。こいつは、私の古い友人でね。昔は剣王なんて呼ばれていたんだよ。それで、エルテ大森林の警備を任せているんだよ。我がフラック領は国境に接しているだろう。最近隣国からの魔石を盗掘するための違法な越境も多くてね。君もそういう人を見つけたら、すぐに私かリンバに教えなさい」



 グランがオレを見下ろし、柔和に微笑みかける。


 隣国。オレのいたアポテオーズ王国のことだ。


 もしかして、さっきの男たちは盗掘者だったのだろうか。



「け、けんおー?」



 オレはリンバを見上げる。


 炭焼き職人のおじさんで、剣王(斧)。


 ええ……? 頭が、追いつかない。



「よせやいグラン。昔の話だ。今はしがない木こりでしかねえよ。警備なんてついでだついで」



 リンバは、まんざらでもなさそうに、斧を肩にやってもう片方の手で鼻の下をこする。



「やれやれ」



 グランは苦笑いを浮かべる。


 それから、表情を消した。


 目線を向けた先はフリックだ。


 フリックは、父親が来てくれたのに。


 大好きな父親が来てくれたのに、オレの下でさっきから一言も発さず、顔をうつむけている。



「あの。お父様……」



「さて。フリック説明してもらおうか」



 先程までの柔和さは、どこにもなく、グランはフリックを見下ろした。



「ぼくは……」



 フリックは、もごもごと口の中で何かを言う。「はっきりいいなさい、フリック。これはどういうことだ? お前が、皆を連れきたのか?」



 厳しく問い詰めるような口調だった。


 なんだか腹が立ってきた。もちろん、グランに対してだ。


 こんな状態で状況。


 恥や気遣いや外聞など、オレにはとうに無いのだ!


 だから、言いたいことを言う。



 どこまでも開き直れ、私。

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