ちゃんと見て
「フリック。どうなんだ。答えなさい。お前が、皆を森に連れてきたのか?」
「……はい。ぼくが皆を誘いました」
グランは、大きくため息を付いた。
フリックは相変わらず顔をあげようとしない。
「フリック。私が森に入ってはだめだと言っていた事は覚えているな」
「はい」
「今回は自分だけじゃない。友人も危険に晒した。私達の到着が一歩遅ければ、死人が出たかも知れない。そこは、分かっているな?」
「はい」
「フリック。お前にも領主を継ぐ日が来る。自分の一声が周囲すべてを動かす事を理解し、配慮して行動する癖を付けなければならない。お前はまだ子供とは言え、今から学ぶべき事だ。
領主の息子であるお前が二人を誘ったのだ。果たして、二人は断ることが出来たか? 私の言っている意味が分かるな?」
「……はい」
フリックの声はもう虫の羽音よりも小さくなっていた。
オレは彼の背中から降り、横顔を見た。
小さく震えている。泣いては居なかった。
鼻をすすっても居なかった。小さな子は、ただ震えていた。
「そうか。わかったならば良い。帰るぞ、フリック。シエル、エカルテ。危険な目に合わせてすまなかった。リンバも、協力感謝する」
「おい、グラン――」
リンバがなにかを言いかけたけれど。
オレがそれを阻んだ。
「グランさんは、間違ってます」
「何が違うというんだ、エカルテ」
グランはフリックの後ろのオレに、意外な物を見るような目を向けた。
グランの言っていることは、正論だ。
オレ達はフリックに誘われて危険な目にあった。そのとおりだ。
だけど、グランは知らないのだ。
「グランさん。助けてくれて、ありがとうございました。本当に感謝してます。でも、私達、好きでフリックについてきたんです」
「そうだよ! エカルテちゃんもわたしも嫌なら嫌って言うし!」
グランは面食らったように目をしばたかせたけれど、すぐに表情を取り戻して言った。
「……そうか。だがフリックが誘ったことに変わりはない。この子はもっと慎重に行動しなければならなかった。ただの子供ではないのだから」
平板に返すグランに、オレもできるだけ冷静に返そうとした。ちょっと語尾は震えた。
「そもそも、グランさん。どうしてフリックが森に入ったか知っていますか?」
「遊びだろう?」
ああ。だめだ。腹立つ。
知らないなら、なんで知ろうとしないんだ。
「違います。フリックにこんな危険な場所に遊びにくる度胸があるわけない! 誕生日プレゼントを採りに来たんです! グランさんの!」
だんだん失礼な言い方になっている自覚はあった。語調も強まるのを留めることが出来なかった。
フリックの友人の、私なんだ。
「私の……? 本当なのか、フリック」
「……月の花を……」
フリックはぼそりとそれだけを答える。
「月の花……。そうか。そんなことのために来たのか」
「……そんなこと? そんなことってなんですか」
オレはグランににじり寄る。彼はオレを見下ろし、子供をあやすように言ったのだ。とても穏やかで、オレの言っている事なんて全て受け流している。そんな声だった。
「フリックの気持ちはありがたい。だが、己や友人を危険に晒す程のことではないと思うのだよ」
切れた。
「グランさんのあほ! バカ!」
「は?」グランが素っ頓狂な声を上げた。
「エ、エカルテ?」フリックはぎょっとした目でオレを見ているし、
「ぶははっ! アホだってよ」「あほー!」リンバとシエルは笑った。
感情が昂ぶるのを抑えられない。
まるで、9歳の子供そのものに、オレは気づけばわめきたてていた。
男として、とか。
そんなの、もうどこにもなかった。
「フリック、すごく頑張ったのに!」
「頑張る等なんの意味が――」
「グランさん知らないんでしょ! フリックって臆病で弱虫ですぐ泣くし、へたれなんだよ!」
「エ、エカルテ!? ぼくの悪口をお父様の前で言うのやめて!?」
「でも、勇気もあって、私を助けてくれた! 私をずっとここまで背負ってくれた! お父様のこと自慢ばっかりしてた! 私を守ってくれた! それが、フリックなんだよ! こんなぐちゃぐちゃってした、よくわかんないのが、フリックなんだよ! グランさん、知らないんだ!」
かつてのオレだったら、こんなに涙を流しながら、感情を顕にしただろうか。
だけど、抑えられなかった。勝手に出てくるんだ、これ。
男は、泣かないのに。
「私は親だ。フリックのことなら何でも知っているさ」
そう言うグランの目は、どこか弱々しい。
「知らない! ちゃんと見てない! フリックのことちゃんと見てよ!」
「知っているさ! フリックのことなら何でも!」
語気を強め、私を見下ろすグランを、負けじと睨み返す。
「じゃあなんでフリックは誕生日に『お母さんの好きだった花』を選んだの! お父さんの好きなものじゃなくて!」
「……それは……」
「エカルテ」
「それって、グランさんがお母さんのこと――」
「エカルテッ!」
フリックの怒鳴り声で、オレは我に返った。
ひんやりとした風がおでこを撫でていくのを感じる。
彼が、子犬のように震えていて、オレの荒い吐息が胸の奥に響いている。
「もういい。もういいんだ、エカルテ」
「フリック、お前……」
グランがフリックに手を伸ばす。
その手を、フリックは弾いた。
はっきりと、彼は顔を上げてグランを見た。
「お父様。ぼく、ぼくは。お父様のことが大好きです。本当に、自慢のお父様です」
「そうか」
「でも、でも。ぼくは、同じくらいお父様のことが大嫌いです」
「……そう、か」
フリックは、顔を上げて鼻水とか涙とか。そんな物を気にすること無く。
ありのままで泣いていた。
「お父様。ぼくは、ここにいます。お母様は、天国に行っちゃったけど。ぼくはここにいます。お父様。お母様は、もう、いないんです」
「……ああ」
「お父様。ぼくは、強くなる。ちゃんと、する。ちゃんとするから……大きくなったら、そのときは――」
そこからは、嗚咽でよく聞き取れなかった。でも、分かった。
ぼくを、見て。ずっとそう言っていた。
「フリック。私は……すまない……フリック、すまなかった」
「分かってます。分かってますから、お父様。ぼくは、もうひとりじゃないから、大丈夫。ぼく友達が出来たんだ。生まれてはじめて、出来た」
「フリック」
グランの目は揺れていた。相変わらず表情は動かない。
でも二人の顔はよく似ていた。
沈黙があって、聞こえるのはフリックのしゃくりあげる声だけだった。
グランは弾かれた手をじっと見つめている。
どこかホッとしたような、でもとても寂しそうな顔だった。
「さて、そろそろ戻るぞ。ソレイユに怒られちまうよ」
沈黙を破ったのはリンバだ。
リンバだけが場違いに「今夜は飲みにいくぞ、グラン!」と豪快に笑っていた。
少し、ありがたかった。でもうるさいよ、やっぱり。
……。
村の外れの鄙びた酒場。といっても表には看板すら出ておらず、老婆が趣味でやっているものだ。だから、いつ開店しているともしれない。そんな酒場だ。
カウンター席に陣取った二人組の男。他に客はなかった。
閉店していた店を、熊のような男が無理やり開けさせたのだから当然だ。
迷惑千万である。老婆は露骨に嫌そうな表情を浮かべているが、手際よくつまみを作っていく。
連れの男は細身の赤髪の男だ。
「私は……いや。ぼくはな、リンバ。フリックまで、失いたくなかったんだ。だから、あいつには強くなってほしかった。ちゃんと領主になってほしかったんだ」
「だーからよー。それをちゃんと言ったのか? 息子に。言葉にしねえとわかんねぇぞ?」
「言えるか」
「相変わらず不器用な男だな、おめえはよ」
「うるさいな。放っておいてくれ」
「まあ、飲めよ。今日は、うちの娘にえらくやられちまったなあ。ええ、おい」
リンバが、グランのコップにワインを注いだ。
「エカルテ、か。痛いところを突かれたよ」
「わはは! あの子は敏い子だからな。たまに9歳ってことを忘れちまうよ」
「不思議な子だ。魔術の才能も飛び抜けているようだ」
「そうみたいだな。なんだかよ。運命って感じがするんだよな」
「運命?」
「そう。何か、でかい運命みたいなもんが、動き出した。あの子を拾ってからそんな気がしてんだ」
「お前のいうことはたまによく分からん」
「ははっ! 実は俺もよくわからん!」
豪快に笑うと、リンバはエールを一気に飲み干し、体をグランの方に向ける。
それから、鼻から息を抜くように言った。
「……そろそろ泣くの止めろよ、グラン。泣き虫グラン」
「昔のあだなをもちだすな」
「かわってねえもん、お前。息子もそっくりだぜ」
「……フリックは、ぼくより優秀さ」
「ま、そうだな。森に入るなんざ、なかなかどうして大した度胸だよ。あいつは、いい男になるな」
「当然だ。最愛の、自慢の息子だ。それが、ぼくから自立しようとしているのだ。嬉しくて、涙が止まらん。これは良い涙だ。半分はな」
「もう半分は?」
「……寂しいもんだな」
「だーからよー。それを息子に言えっての」
「言えるか」
「あーあ。やだねえ。俺も娘達が嫁に行くときは、そんな顔すんのかねえ。ま、俺をぶち倒すぐらいの男じゃねえと嫁にはやらんがな」
「その男は不幸だな」
「当然! 俺の可愛い娘達だぜ。そう簡単にやるもんか」
男たちの夜は、酒とともにふけていく。
「はいよ。ボアーのトロおまち」
老婆のつまみは今宵も絶品だった。
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