第七夜 「立待月」 美弦(みつる)
今夜は立待月。
月の出は次第に遅くなり、まるで
買い忘れたものがあるからと声をかけて家を出てきた。
コンビニでコーヒーとお茶を買った後で、この街灯に照らされた、小さな公園のベンチに腰を下ろしたところだ。
また父の機嫌を損ねてしまった。
父は数年前に母を亡くしてから
「もう、いつ死んでもいいんだから」
というのが、口癖になった。
「お父さん、そんなこと言わないで」
少し前から父は
出来合いの物や菓子パンなどで済ませてしまう。
元々、母が生きていた頃でも、食事時間に厳しくて、6時と言ったら6時。
たとえ10分でも支度が遅れると、へそを曲げて、いらないという
かと思うと自ら、サッと美味しいものを作って、母や
美味しい美味しいと喜び、感謝する家族の顔を嬉しそうに見ている父は幸せそうだった。
父は家族を自分の王国の中で慈しんだ。
「美味しい!」というと満足そうな顔をする。
間違っても、
「美味しいけど、ほんの少しだけ塩が効きすぎかな」
などというと
「もう二度と作らん!」
となる。
父はプライドの高い人だから、少しでも否定されるのは我慢できないのだ。
それでも娘の目から見ても仲の良い夫婦で、それは多分に母の器の大きさのおかげだったように思う。母の掌の上だからこそ、父は安心して転がされていたのだろう。
母の闘病時の父の尽くし様も、細やかなものだった。
「母さんのことは俺のしたいようにさせてもらう。母さんと話し合って決めていたことだ」
そう言って
それは寂しいことではあったけれど。
その母が亡くなって、父の頑固度は増し、一層、気難しくなった。
そして、自分の食事や身の回りに手を出されるのを以前以上に嫌うようになった。
父は家族を愛し、その手の内において守り、施しを与えることに生き甲斐を感じる人だった。
それは父の誇りだった。
それ故に、王たる自分が、施しを与えられる(と、少なくとも父が感じる)側になることは耐えられなかったのだろう。
今回も、食事時間になっても食事をしようとしない父に
「お父さん、まだ、食べてないでしょう?
一緒に食べましょうよ」
「いや、もう食べた」
菓子パンの空き袋が横にある
「それだけじゃ、栄養にならないよ」
「バナナも食べたからいい」
「でも、最近はいつも、そんなのばかりでしょう」
「…………」
「水分はちゃんととってる?大丈夫?」
「……しつこい!」
「でも……」
「俺はもう、これからは自分の好きなようにやらせてもらう!そういったはずだ。口出しするな!」
「わたしはお父さんの身体が心配だから……」
「…………」
父は心底、不思議だというように無機質な表情をして
「何でそんなことを指図されないといけないのか、まったくわからない」
と、荒々しく席を立っていった。
あれから、数日経っても父は最小限しか口を利こうとしなかった。
母が亡くなってからの父娘の二人暮しは、どこかギクシャクしていた。
子供はいない。今、46歳。
ネットの趣味のサイトで知り合った六年越し、八つ歳下の遠距離の恋人はいるが、この先も再婚するつもりはない。
お互い忙しさもあり、日頃はスマホで1日1回、連絡を取り合っている。
逢えるのは半年に一度くらいだ。
相手は自営業で母親の介護をしている。
父親は八年前に亡くなっていた。
未婚の妹が一人。
実は恋人の家族には会って紹介されている。
妹とは趣味を通した友人でもあり、関係は良好だ。
一方、
母は一人娘の行く末を気にかけていたから、少なくとも、そういう相手がいることに喜んではくれたが、
「
と
父には打ち明けていない。
これは母とも話して決めたことだ。
「わたしは親不孝な娘だ」
その想いは消えない。
穏やかな今があればいい。
人には色々な道があると思う。
それぞれに、それぞれの哀しみはあり、
そして、喜びも幸せの形もある。
そんなことを考えていた時、それに気がついた。
薄らと青みを含んだ様な白い本が古ぼけた万年筆と一緒にベンチの隅に置いてある。
思わず手に取って
最初の数頁分くらいは
その後には何も書かれていない白紙だ。
変わった本だと閉じようとした時に挟まっていたらしい紙が落ちた。
☾【
「へぇ、今はこういうのがあるのね」
「忘れ物?にしても……このメモ……」
「1
”お父さんが、わたしの作った料理を食べてくれますように。そして、身体に気をつけてくれますように……”
もう少し、心を通わすことが……
ああ、
父は
「幸せにする為に嫁にやったのに……」
と男泣きしたのだ。
結婚する時に一度は反対したのにも関わらず、娘の幸せを祈って送り出してくれたのに……。
父がどれだけ心を痛めた事か。
そうだった。
不器用な父だった。
不器用な娘だった。
”お父さん、わかった。できるだけお父さんの思うように……無理強いはしないよ。
だけど、お願いだから、無茶はしないでね。まだ、親孝行、全然できていないんだから”
「よーし!このくらいでメゲてちゃダメだよね」
親も人間で、当たり前だけど欠点もあって。
それは多分、自分が大人になったから、わかったことでもある。
それでも大切な父だから。
それから、うーん!と伸びをしてから、ゆっくり立ち上がって公園から出ていった。
いつの間にか出ていた月の光が、その背中に降り注いでいた。
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