第九夜 「有明月」 小夜子(さよこ)
今夜は有明月。
夜明けの空に残る月。
空が少しずつ明るくなってきた頃、眠れないまま過ごした
夫を亡くしてからの日々は、とにかく無我夢中だった。
まだ末っ子は保育園の年少、次男は年中組、長男も小学生。
仕事と育児と家事と……小学生だった長男がしっかりしていて、弟達の面倒を良くみてくれたことと、実家の両親がいてくれたからこそだと思う。
だから、まだ恵まれていたのだ。
それでも長い年月には色々な事があった。
子供達が小さい時は病気も多かったし、大怪我、手術……その度に身の細る思いもした。
みんな何とか成人を迎えたが、末っ子や次男は未だ、なかなか自分の道を見つけられず、しっかり者の長男も仕事で悩んでいるようで気がかりは絶えない。
母は逝き、父も歳をとった。
家にいることが多くなってから、
まず、年賀状を失礼して、それから、義理の人付き合いにも少しずつ距離を置くようにして遠ざかった。
子供達が全員、学校を卒業してしまってからは随分、楽になった。
それまでの
それはそれで、当たり前だと思っていたのだけれど、夫が亡くなり、無我夢中で生きてきて、自分もまた病んだ時に、
ああ、もう、いいかな……と糸が切れたように思ったのだ。
望まれるように、顔色を窺うようにして生きることに疲れ果てていた。
身体だけでなく心も病んでしまった自分がそこにいた。
今、
数カ所の病院に通院して定期的に検査と治療を受けている。
そして、ここまで来ても、なかなか心配の種は尽きない。
実家の父のこと。
息子達の行く末。
自分自身はいつまで往けるのか。
最近、自問自答ばかりしている。
妻としての自分
母としての自分
娘としての自分
足りないことばかりだった。
もっと出来たことがあったんじゃないか、
良かれと思ったことが間違えていたんじゃないか……。
自分の力の無さに堪らなくなる。
確かに弱い人間だった。
それでも、もう少し頑張れていたはずなのに今はなんてザマだろう。
公園のベンチに座ったまま、
最近はいつもこんなことばかり考えていて、あれだけ好きな本すら、文字が、文章が目を素通りしてしまっている。
大きく息を吐いて、そろそろ帰らないと、と思った時に、薄らと青みを含んだ様な白い本が古ぼけた万年筆と一緒に、
好奇心に駆られて手に取って
最初の数頁分くらいは
その後には何も書かれていない白紙。
首を傾げて本を閉じようとした時に、挟まっていたらしい紙が落ちてきた。
☾【
「不思議な本……」
呟いて
ゆっくり、キャップを外す。
”わたしは、無力な人間です。
大切な人達の為に何もできない”
ペン先に力が入り、インクを滲ませてしまう。
その時に、ふっと声が聴こえたような気がした。
『 母さん、すぐには素直に謝れないけど……でも信じてて欲しい。俺、頑張るから。待ってて欲しい 』
『どうか、もう一度、踏み出す為の勇気が出せますように。諦めない力を、オレに下さい』
『母さん、まだまだ心配かけてばっかりだけど、でも……もう1回、初心に戻って腐らずにやってみるよ』
ああ……それは確かに、息子達の声だった。
うん。うん。
閉じた瞼の奥が熱くなるのがわかった。
そうだね。
”わたしは……わたしは、あんた達三人の母さんでいられて幸せだよ。
あんた達がいてくれて本当に良かった”
そうだった。
どんな時でも、あの子たちがいてくれたから。
不器用な要領の悪い……生きることが下手な、わたし達。
失敗して、間違えて、迷って、ぶつかって……
それでも支え合って生きてきた。
だから
信じよう
あの子たちを。
わたしたちの往く道を。
うん。大丈夫。
一緒に1つずつ積み重ねて、一歩ずつ歩いていこう。
きっと見つけられるから。
そして、小さな声で
「ありがとう」
と言って微笑んだ。
それから、息子達の待つ家へと帰るために公園を出て行った。
もうすぐ一日が始まろうとしている。
薄らと空に残る月が見届けるようにそこにあった。
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