第二夜 「三日月」 美月(みつき)

 今夜は三日月。

 細い月が淡い光で夜道を照らしている。


 美月みつきは急ぎ足で、いつもの公園横の道を行き過ぎようとしていた。

 その時、知らずに傷んでいたのだろうか、不意にパンプスのヒールが取れてよろめいた。

 危うく足首を捻るところだったとヒヤリとする。


「参ったなぁ。急ぐ時に限って」

 

 辺りを見回すと公園横の街灯がぼんやりと、そのベンチを照らしていた。

 片足跳びをしながらヒールの取れたパンプスを持ってベンチに辿り着く。


 こんな時の為の応急処置用に、ここ最近はボンドを持ち歩く様になった。

 もう少し若い頃なら、すぐにでも買い換えたかもしれないが、今はギリギリまで直し直し履く。

 給料日までは間があるし、何より無駄な出費は避けなくてはいけない。


 トイレ、バス付きの古いアパートに一人暮らし、20代後半。小さな会社の事務員の懐事情はかなりシビアだ。



 美月みつきには夢があった。

 絵本作家になりたい。

 仕事から帰ると一人の部屋で物語を創り、絵を描く。思うような画材はなかなか高くて買えないけれど、それでもその時間は楽しく充実していたはずだった。


「だけど……」


 出版社への持ち込みも数え切れないほど行ったし、コンテストにも何度も挑戦したけれど最終選考に残ったことなど一度も無い。


 持ち込みをした時の編集者の言葉が耳に残っている。

『時代が求めるものじゃなきゃね。それでなくても出版業界は冬の時代って言われてるんだから。有名な人、話題の人とかならまだしも無名の新人は余程何かないとねぇ』


 そうなのだろう、有名人でも話題の人でもない人間。それ以上の人を惹きつけるものを自分は持っているのか……。


「もう、諦めた方がいいのかもしれない」


 そんな弱気がふと口をく。



 ベンチの端に腰掛けて取れてしまったヒールをボンドで応急処置する。瞬間と書いてはあるが、少しは待たなくてはならないだろう。

 ふぅ……と溜息ひとつ。


 ふと横を見ると、誰かの忘れ物だろうか、薄らと青みを含んだ様な白い本が古ぼけた万年筆と一緒に置いてあった。


 好奇心に駆られて本を手に取ってみる。


 何気なくページを開いてみる、が、中には何も書かれていないようだ。


「流行りの”自分が書く自分だけの本”みたいなもの?それにしても綺麗な本。誰かの忘れ物かしらね」


 そっと閉じようとして、ハラリと落ちた紙に気がついた。


 ☾【月白げっぱくの本】1ページだけを、あなたの自由にお使いください。つむがれた夢の欠片かけらは差し上げます ☽


「何これ?誰かの悪戯いたずら?」

 

 万年筆を手に取ってみる。

 使い込まれてはいるが、握りやすく手にすんなり収まり書きやすそうだ。


「1ページだけ、ご自由にって書いてあるものね」

 

 つぶやいて少し考えて


“ 絵本作家になりたい。

 子供だけでなく、大人も楽しんで読めるような。寂しいひとの心にそっと寄り添えるような物語を紡ぎたい。

 そして、わたしだけの色を見つけて絵を描くの。空に海に波に川に森に花に動物、虫にそれから人の生活。人と人の絆。

 平凡だけど大切な温かなものを ”


 想いが溢れて文字になっていた。

 一気に書き上げた後、ちょっと苦笑い。


「何書いてるんだろう」

 でも……

「そういえばこんな風に思っていたはずなのに、いつの間にか、伝えたいものよりも、まずは流行りに乗ったうけるものじゃなきゃって、そればかり考えるようになってた」

 本当に……

「わたしが書きたかった、描きたかったものは……」


 美月みつきはそっとページをめくって、次の何も書かれていないページにあのメモを挟み直した。


 それから、本を閉じると、元のベンチの上に万年筆を添えて置いた。


「もう一度、真っ白な気持ちで絵本を描こう」


 声にだして言ってみると、何だかワクワクしてきて、小さく微笑んだ。


 立ち上がってパンプスを履いた足でトントンと足踏みをしてみる。


「よし!大丈夫!」



 公園から出ていく美月みつきの後ろ姿は少しだけ弾んでいるようだった。


 まるで探していた忘れものを見つけた子供のように……。

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