第3話
「それは、なにか問題が?」
言いながら圭介は、答えを然程気にしない様子で、さっき履いたばかりの私のジーンズのボタンにまた手を掛けた。
私がそれを止めずにいると、ジッパーもすっかり下ろしてしまって、そのまままたずりずりと膝の辺りまで脱がしてきた。下着の上からそこを中指で押さえるみたいにしてなぞられると、ひやりとして自分が既に濡れてしまっているのを自覚する。
下着の隙間から無遠慮に入ってくる指に、わざとらしく可愛い子ぶった声を洩らしてやれば、圭介は気分を良くしたのか中で軽く指を揺らした。
「心配しなくてももうしないよ。ぼくはそろそろ本当に自分の腰を労りたいんだ。彼氏には、そうだな、あなたの顔を見ていたら欲情したとでも言えばいいだろう」
「あなたって時々最低ね」
「きみに付き合える程度にはね。この指は、抜いたほうが?」
「私をこんな中途半端な状態でほったらかしにするつもりなの?」
するつもりがないのならどうして脱がしたのかと尋ねると、圭介は指をゆらゆらさせながら、だってぼくは、きみのそういう顔を眺めるのはわりと好きなんだ、と嫌味ったらしく笑って見せた。
あとの時間はそのまま悶々とした状態で過ごしてくれ、と言って指を引き抜くから、私は心の中で、男ってやはり愚かだなと思う。欲しいと思うからこそ悶々とするのであって、その行為に欲が伴わなければその感覚はあまり尾を引かない。経験の少ない生娘ならまだしも、私はもうそんなに身体の欲だけで満足できる状態にはないのだ。自分はあたかも当然のようにその感覚を与えているのだと信じ込み疑わないその思考回路に、私はいつもそれを愚かで、浅はかで、または可愛いと思う。圭介にそれを言ったところでまた臍を曲げるだけで面倒だから、特に話したりはしないけれども。
「私はジーンズを履いてもいいのかしら」
ティッシュで指を拭っている圭介に尋ねると、圭介はもう特に興味なさそうにどうぞ、と言って寄越した。
それから思い出したように付け足す。
「それに、」
「なあに」
「どっちにしてもゴムがない。さっきのが最後だったのを思い出した」
そういえばさっきそんなようなことを言っていた。事が性急だったからお互いいい加減かと思っていたら、圭介はそこら辺にはちゃんと気を付けるタイプの男だったらしい。
「それは当然だろう。エチケットだなんだと言うつもりはないが、きみとだけは絶対に生ではしないぞ。何人相手にしているのかも知らないし、仮に妊娠なんてことになったらそんな面倒なことはない。ぼくはきみだけは絶対に嫁にしたくないんだ、なんたってぼくは恐らく誰よりもきみの嫌な面を結構な深度で知っているんだからな」
随分な言いようだ。まあ分からなくはないと思いながらも、私もそんなつもりはないから特別な問題はない。
「大丈夫よ、ここしばらくは、あの人とあなた以外はいないから。ああ、この間の藤堂くんは別としてね。あの人とも最近はちゃんと避妊しているの、ほら、あっちは、彼女たちとどんなセックスをしているかまでは分からないから」
話していて思わず大きくため息を吐き出したくなってしまう。
いつからか、あの人は私だけのものではなくなってしまった。相手は誰だか、私は知っている。あの人の仕事先のバイトの子、それも2人。しかも片方は未成年だ。知ったときは本当に衝撃だった。初めて気づいたのは、きっと早い段階だったと思う。セックスの最中だった。いつも通りのつもりだった。
指が、触られた感触が、違ったのだ。明確な違和感があった。私ではない肌を、触った指だった。凄い、と思った。こんなにもはっきりと分かるものなんだ。それでも、最初は知らないふりをしようと思った。大丈夫、今目の前にいるのは私だし、あの人には変わらないからと。
それでも段々と涙が、溢れてきた。自分で制御ができないくらいのスピードでぼろぼろと見えないなにかが崩れ落ちた。
私の知らない指先に触れられるのが嫌で気持ち悪くて、悔しくて、悲しかった。なにも知らないあの人はそんな私を抱きしめてくれたりして、頭を撫でてくれたりして、本当にもう、どうしたらいいのか分からなかった。
「きみは、彼氏とは生でしていたんだな」
圭介がいかにも意外、と言いたげな様子でこちらを見る。圭介とはそんなことをしたことは一度だってないから、改めて私の中でのあの人の立ち位置を確認したようだった。
「そうよ。前はね」
今は違うけど、と思わず小さくなってしまった声でつけ足すと、ふうん、となにかを考えるように呟いて、圭介は膝立ちになって部屋の隅のデスクまで寄っていき、自分のデスクトップパソコンの起動スイッチを押した。仕事の続きをするつもりなのかもしれない。彼のことだから、まさか大学の勉強ではないだろう。
「なあ、ぼくにはひとつ疑問があるんだ」
「なに」
「なぜ別れるでもなく、他の男の相手をするんだ。ぼくじゃなくて、他にもいたろう」
「ああ、そのこと」
圭介はデスク前の椅子に座り、なにかの作業を始めた。私は自分のジーンズをまた履き直して、圭介の足下に座り込んでその左足にすり寄った。特に鍛えられているわけでもない、ひょろっとした脆弱そうな脛だ。必要最小限の筋肉しかついていない。圭介は邪険にするすこともなく、また私の髪を手のひらで撫でた。
別にたいした理由じゃない。
「そんなの、決まっているじゃない。今しかできないからよ」
今の私が相手に困らないのは、今の私がまだ若いからだ。自分を良く見せることに努力を惜しまないからだ。これが歳を取ったら、段々男の人は手のひらを返すように見向きもしなくなってくるだろう。ましてや結婚なんてしてしまえば、今の私がしていることは不貞行為として大々的に咎められてしまう。そんなのはデメリットが大きすぎる。
あの人が私だけではなくなってしまってから、私もあの人だけではなくなった。どう思うだろうか、と思った。でもあの人は、私が変わったことには、私と同じようには気づかなかった。きっと今でも彼は分かっていない。あの人の中では、私は今でも、彼だけを愛している私、なのだ。
「なんだか答えになっていない気がする。ぼくが言っているのは、普通女の子って、好きな人がいたら、他の男とセックスなんてできないんじゃないか、っていうことだ」
「なにそれ、愚問よ」
「そうかな」
「そうよ。だって、そしたら世の中に溢れている浮気男たちはどうなるのよ。そういうことに男も女も関係ないわ。セックスなんて物理的行動の名称なんだから、片方が濡れていて片方が硬くしていれば誰とだってできるわよ、世の中にはローションとか勃起薬なんてものもあるしね。したいかしたくないかで言えばまた違うけど」
「身も蓋もないな……」
想像していた答えと違ったのか、圭介は呆れたような声を出して頭を掻いた。でも今の言動は勘違いも甚だしい。男と女は確かに違うけれども、生き物の欲求としては同じものを持っている。
「でも事実よ。ちょっと女とセックスに夢を見すぎなんじゃない? 性欲なんて男女に差はないし、この人とじゃないとできないなんて可愛らしい考えを純粋に持っている人なんて、そう多くはないと思うわよ。だってそうじゃなきゃ性風俗産業なんて成立しないし、世の中に抱かれたい男ランキングなんて存在しないでしょ」
「なるほどね。極論のような気もするけど。じゃあ、きみの思うしたいとしたくない、の違いは? 強姦魔の彼をお断りなのは、下手くそだから?」
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