第2話
「ああそうかい」
段々と会話の内容が面倒になってきて、私は別のことを考え始める。黙っていくらも考えないうちにああそういえば、と思い出して、圭介にねえねえ、と声をかける。私が寝返りをうつようにして腹這いの体勢になると、圭介は伸ばしていた腕枕で代わりに自分の頭を支えるようにして、こちらに横向きになった。
「なに」
「藤堂くんって知っている?」
「藤堂……? 知らん。 ……ああ、分かった、あの背の高いイケメンくんか、知ってる」
「私先週彼に強姦されたわ」
「は?」
聞いてくれる、と前置きして、私は先週のことを圭介に聞いてもらうことにした。
藤堂くんは、彩子の彼氏だ。どちらも私の友人で、別にそこまで親しいわけでもないのだけれど、そこにいれば同じテーブルに着いて話をする、という程度の関係性だ。
藤堂くんは女の子たちにとても人気がある。顔が良くて、背が高くて、頭も良くて運動もできる。身につけるものは洒落ているし人当たりが良くて、気が利いて、ついでに実家は金持ちだ。いつぞや毎年正月に百万ずつもらっていると本人が言っていた。毎月の小遣いは十万らしい。
もしこれで白馬にでも乗って大学まで来ようものなら完全に王子様だ。
そんな素敵な友人だと思っていた人が、ある日突然襲いかかってきたのだ。
やり口はとても卑怯だった。彩子のことで相談があるんだと言われて、私は彼を家に招き入れた。そういう対象としてまるで見ていなかった私にも落ち度はあったし、彩子の相談だと思っていたし、藤堂くんは、あの人のことも知っていたから、まさかそんなことになるとは本当に、まるで思っていなかった。
始めは私の出したお茶を飲みながら床に座って話をしていた。彩子の「あ」の字も出てこず、大学の話や近所の店の話ばかりで、いつまで経ってもなんてことのない世間話が続いた。しばらくして私が「彩子の相談ってなに」と切り出すと、藤堂くんは私の腕を引いて私のベッドに腰かけた。それから、私の髪を指で漉きながら彩子への文句を垂れ流すのだ。趣味が悪い、顔が地味だ、真面目すぎる、つまらない、飽きた、何かが違う……。
私は彩子に対してそんなふうに思ったことはなかったし、仮にも彩子を選んだのは彼だろう、と憤慨する思いもあった。相談なんてなかったことも理解した。藤堂くんが少しずつ距離を詰めてきていることにも気づいていたし、ああしくじった、と思った。だから適当にあしらって早く帰そうと思い、腰を浮かしかけたところで、急に肩を抱かれてキスをされたのだ。
そのまま押し倒された。当然あらゆる言葉を用いて拒絶したけれども、興奮してしまったらしい彼の耳には届かなかった。彩子とは別れる、だから自分と付き合ってほしいと言われ、自分にはあの人がいるのだからと説いてもそっちも別れろの一点張りだった。
「で? そのまま大人しくやられてしまったわけ?」
「そうは言うけどね、体力の差は大きいのよ。男の人に馬乗りになられて腕を押さえつけられてしまったらどうにもならなかったわ。それに、あまり抵抗して、もし殴られたりしたら、って考えたら、そっちのほうが余程嫌だった。だから致し方なく一回だけさせてやったのよ」
「それ、彼氏にはちゃんと言ったのかい」
圭介に尋ねられたことに、私は頷くことができなかった。
「恐くて言えないの。だって、慰めてくれなかったらどうするの。……もし私が悪者にされたら。お前が悪いって言われて、汚いって言われて嫌われたりしたらどうするの」
「きみの男はそんなに信用できないような奴なのか」
違うと言いたいけれども、否定できなかった。近頃は本当に、愛されている自信がないのだ。
「なのに、ぼくには言えるんだな」
「あなた以外に言えそうな相手がいないものだから」
「その彩子さんとやらには言わないのか、自分の男くらいきちんと飼い慣らしておけ、と」
「迷ったんだけど……」
「泣き寝入りをすることにしたのか」
私は頷いた。
「なんていうか、腹は立ったんだけどね、別にいいのよ」
「どうして」
私は、理由についてどう答えるべきか、少し悩んだ。それでも、圭介にはまあ言ってもいいかと思ったので、素直に答えることにした。
「だって彼は下手くそだったんだもの」
「……はあ?」
「下手だったの、すごく。完全にオナニープレイだった。それにあの人の、すごく左に反っていたのよ、オナニーのしすぎよ、絶対」
圭介はしばらく呆けて、言葉の意味を反芻しているようだった。それから、堪えるようにしてゆっくり口元を歪ませた。
「彩子が可哀想になったわ、だってあの子は藤堂くんが初めてだったのよ、いつもあんな下手くその相手をさせられて、他を知らないなんて憐れとしか言いようがない。そこにトドメを刺すようなこと、言えるわけないじゃない」
圭介は顔を背けるみたいにして肩で笑っている。
私はそれを見て幾分か気が晴れた。
「尻の軽さで引く手あまたと噂されているきみなら、自分でもいけると思ったんじゃないか。何せ彼は人気者だ。それなのに……ふっ、下手くそ……」
圭介は可笑しそうに笑いながらも、なんとか同性の味方をしようとしているつもりらしい。尻の軽さも引く手あまたも否定はしないが、あまり気分は良くない。
「本当は一瞬だけどね、乗り換えてもいいかもしれないなーって、思ったりもしたのよ。でも、あれではねえ……。お断りの理由には充分だったわ」
「残念なことだな」
「まあ、いいんだけど」
「それからは何も?」
「まさか。毎日気持ちの悪い言葉を送ってきてくれるのよ。見る?」
私は自分のスマホを拾い上げて、問題の画面を表示した。圭介に渡すと、彼はすぐに顔をしかめた。
大量のハートマークと、テンプレートのような卑猥な誘い文句と、セックスの最中を彷彿とさせる半角カタカナの卑猥な擬音がいくつも連ねられているものだ。勿論一度たりとも返事はしていない。ついでにいうと大学構内でも可能な限り顔を合わせないように気を付けている。うっかり二人きりになってしまったが最後、その場で襲われないとも限らない。ああいう変態はきっと、見られるかもしれないとかいうスリルにも興奮するに違いない。
「これはもう犯罪なのでは……」
「何言ってるの、強姦の時点で既に犯罪よ。相手が私じゃなかったら彼は今頃警察のお世話になっているに違いないわ」
「優しいんだなあきみは」
「私が? 優しい?」
あなたはなんて愚かなの。
「これは後々私の周りの人たちに見せてあげるために溜めているのよ。お喋りな奴らが多いからね。晒し上げのその日が楽しみで堪らないわ」
「そういやきみの薄っぺらな交遊関係はとても幅広いからな。彼は人気者だし、ちょっと話せばすぐにそこら中に拡がるんだろう。ぼくもきみに満足してもらえるように精進しないと恐くなってくる」
「あなたには世話になっているから、そんなことしないわよ」
「世話って、シモの?」
「そうね、シモの」
ふざけてそう言っていると、圭介はなにやらごそごそと体勢を変えだした。私の身体を仰向けに直し、脚を持ち上げて、今さっき履いたばかりのジーンズの上から、私の股に顔を埋めてくる。熱い息がかかって、舌で舐めた感覚が分かる。
「やめて、汚れてしまう。今履いたばかりなのに」
「脱がしたほうがいいってことかな」
「違うわよ」
私が圭介の前髪を軽く掴んで抵抗してみせると、圭介は反対にもっとそこに顔を押し付けてきた。
「でも好きだろう、ここ。舐められるのも、中に入れられるのも」
「好きだけど……。でもやめて、また濡れてきちゃう」
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