第11話 マナの転機
翌日私とルツに与えられた仕事は姫様の部屋の掃除だった。
今の私が一番担当したくない仕事だ。きっと夜にミカル様とダビデ様のひと時を思わせるものを見なければいけない。
そう考えると憂鬱だった。
「マナ嫌なら一人でしておくけれど。」
ルツが私の気を察したのか声をかけてくれる。
「ううん。私も掃除させて。大丈夫心配無いから。」
ルツは感が鋭い、そして優しい。
でも、ダビデ様をあきらめる意味でも掃除には行ったほうがいい気がした。
水と布切れを持ち姫の部屋に入る。
「敷布団と掛布団は私が持ってくるから。」
「うん先にやっておくね。」
私は早速敷布団と掛布団を剥がした。敷布団と掛布団には血がベットリとついていた。
私は一番初めに布団掃除を始めたことを酷く後悔した。
夜中にここで何があったのか、この布団を見ただけで明らかだった。
二人はここで愛し合ったのだ。
私は頭をこん棒で殴られたようだった。そして、布団を持ったまま呆然と立ち尽くす。
「あら。これは昨日は姫様も楽しまれたようね。」
ルツさんは冷めた様子で新しい布団を持って言う。
「マナ大丈夫?完全に手が止まってるけど。」
「大丈夫。さあ布団を取り換えよう。」
私とルツは二人でいつものように敷布団を敷いていく
慣れた作業のはずなのに手に大粒の涙が落ちる。あれっおかしいなあ。もうあきらめたはずなのに……。
「マナさん今日は私がやっておくよ。少し休んできなよ。一つ貸しだね。」
「…うん。」
私は通路で目から溢れる涙を拭った。
「ああ、マナ丁度良かった。少し話があるんだが。どうして泣いている?」
「申し訳ありません。顔を洗ったら参ります。」
私は洗面台で顔を洗い。ヨナタン様のところに向かった。もうこのことは考えないようにしよう。
「ヨナタン様お待たせいたしました。」
「マナ、早速だがウリア隊長とバテシェバ様は知っているな。」
「はい、存じております。」
「そこの侍女が足りないそうなんだ。だから、時々手伝いに行ってほしいと思うんだが。」
「かしこまりました。」
「助かる。今日の午後にウリア隊長の家まで行ってくれ。ウリアには世話になっているからな。」
この話は私にとっても助かった。ヨナタン様の近くにいると嫌でもダビデ様のことを考えてしまう。
バテシェバ様のところで働けば、気がまぎれる気がする。
私は昼食を摂ったのちに、バテシェバ様の家まで行く。ヨナタン様の話だと三人いた侍女のうち一人が故郷に帰ってしまって二人になってしまって、私が手伝いにということらしい。
けれど、どうして私なのだろう?
家に着くと、侍女が出迎えてくれた。
「バテシェバ様。マナさんがいらっしゃいました。」
間もなく、奥からバテシェバ様が現れた。髪の手入れに使った香油のいい匂いがする。まるで、ジャスミンのような香りがする。
「マナです。お手伝いに来ました。」
「待っていたのよ。庭園に行きましょう。」
私は言われるままに、庭園についていく。手入れされた美しい花々と小さな池があり、小魚が平和に泳ぎ回っていた。
今日は何をするのだろう。
「バテシェバ様。今日は何をお手伝いしましょう?」
「そうねえ。私の話し相手になって頂戴。」
「話し相手ですか?お仕事はいいのですか?」
驚いて思わず聞き返す。
「そう、今日のあなたはお客様でいいの。マルタ。冷たいお茶を持ってきて頂戴。」
「かしこまりました。」
テーブルを挟んでバテシェバ様と二人。面と向かってみるのも緊張する。
ついいつもの癖で縮こまってしまう。
「あの…私は何もしなくていいのですか」
「今日のあなたはお客様。だから、私とお話ししましょう?」
どうして、バテシェバ様はこんなにも良くしてくれるのだろう。
「あの…。なぜ私のような庶民出身の侍女に良くしてくださるのですか?」
バテシェバ様は私の瞳を覗き込みながら
「そうねえ。あなたを見ていると構いたくなってしまうの。まるで野兎のようにかわいらしいから。でもそれだけではないわ。」
この人に見つめられると心の中まで覗かれているような感覚に陥ってしまう。
「あなたは心が綺麗だから。きっと愛のあるご両親に育てられたのね。」
確かに、町食堂での毎日は幸せだった。別れる数時間前までは。
「それに、神への信仰は、中々持てるものではないわ。だから、あなたはもっと自分に自信を持ちなさいな。」
「私は庶民の家庭の出ですし、美しい方は沢山王宮にはいらっしゃいます。ここにきて自分はちっぽけなウサギだと知りました。」
バテシェバ様は、私が言い終わる前にそれを手で制する。
「ここは王宮だから、美しい女はいるわよ。でもね、信仰と心の美しさを両方もつ人はほとんどいない。だから私はあなたを買っているの。」
侍女は飲み物を持ってきて、それで喉を潤してからバテシェバ様は続ける。
「初めて祭壇で会ったことも天の導きなのよ。だから、あなたは自分を信じていいのよ。」
それを聞いて、自然と涙が溢れてきた。きっと、忘れようとしていたダビデさまのことを思い出したからだろう。ぽたぽたと机に涙がこぼれる。
「きっと、ダビデとミカル様のことね。そうではなくて?」
バテシェバ様は感が鋭い。きっと私のことはお見通しなのだ。私は小さな声で
「はい」
と一言答える。
「恋していたのね。音楽家のダビデに。
彼は少し前まで王族ではなかった。それが一晩で王族になり姫様と結婚した。そして、愛し合う二人のことを考えてしまう。」
バテシェバ様は何でも分かってしまうのか。私はコクリと頷く。
「こちらにいらっしゃい。」
そういうとバテシェバ様は私を抱きしめた。突然のことに驚いたけれど、香油のやさしい香りと優しく包み込む豊かな胸に顔を埋める。
私の中のモヤモヤした気持ちを吸い取ってくれるようだ。
「悲しいときは泣いていいのよ。貴方はダビデのことが好きだったのでしょう?」
私は胸に顔を埋めてワンワン泣いた。どのくらい時がたったのだろう。
しばらくして涙も枯れ心が落ち着いてきた。
「すいません、服を汚してしまいました。」
「いいのよ。今日はもう夕方になってしまったわ。仕事は今度来た時にお願いするわ。」
「また、お手伝いに来させてください、失礼します。」
私は涙を拭い、礼をしてウリア様の家を後にした。
バテシェバ様はの胸の中で泣いたことで、私の心の隙間は大分ふさがった気がする。
イスラエル一の美女―。
バテシェバ様はそう呼ばれているのだけど、そう呼ばれているのは、彼女の美しさだけではないのだと思った。
それはきっと、言葉で表すのは難しいのだけれど……。
傷ついた人を癒す優しさや、相手を癒すことのできる包容力なのだと思う。
ウリア隊長が心を奪われたのも納得だ。
私は、王宮に帰るまで、バテシェバ様のことを考えながらフラフラと歩いていった。
ダビデ様のおかげで難を乗り越えたイスラエル。
しかし、この後ダビデ様とミカル様に降りかかる試練を私は予想だにしていなかった。
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