第2話 マナ王宮に
サウル
神により選ばれた王。若いころは神を信頼する賢い王だったが、このころは彼は神からの力をえることが出来ずに、失策を重ねていた。
うまずめ
子供を産めない女性のことをいう。当時のイスラエルでは子供を、とても重要視したため、子供を産めない女性は強いコンプレックスを持っていた。
「マナ。このヤギ料理を奥のお客さんに。」
私は父親の作った料理を奥のテーブルの商人風の一行に運ぶ。
「ヤギ料理お待ちどうさま。」
「マナちゃん、大人っぽくなったねえ。」
「ああ、前は小さな女の子だったのになあ。」
「褒めても何も出ないですよ。」
いつも通りの和やかな大衆食堂。
私たち家族は、倹しくも幸せに暮らしていた。
けれど、いつも通りの日々は、あっさりと崩れてしまうこともある。
それは、客のいない朝の仕込みの時だった。
「この店でいいのか。」
「はい、この店だと思います。」
店の中に三人の屈強な日焼けした男たちが入ってきた。
彼らは兜と甲冑と短剣をみにまとっている。
「この店の主人はいるか?」
接客をしている母親が対応する。
「はい、お待ちください。」
この店が何か事件に巻き込まれた?
母親は、厨房で働く父と私を大慌て呼んだ。
客間に出た私が見たのは、明らかに軍人。
それもイスラエルの正規軍の人間だ。
よく店にくる軍人よりも明らかに高価な武具を身に着けている。
「すると、この娘か‥‥‥。」
「騒がせて済まない。この食堂の看板娘に用があったのだ。」
「私?」
兵士は無遠慮に私の顔を大きな皮の厚い手で確認し、腰の革袋から用紙を出した。
「王子ヨナタンが侍女を必要としている。この、見目美しい娘を王宮で預からせてもらいたい」
えっなんで私が。お父さん何とかしてよ。
「恐れいりますが、マナは大事な娘です。私達はこの料理屋で倹しく暮らしていきたいのです。」
さすがお父さん。私は父の男らしさに誇らしくなった。
「大事な娘さんを預けるのは不安だと思うが、王からの書類だけは確認してほしい。うちらも一応仕事なんでね。」
父と母が用紙の文章を確認する。顔色が変わる二人。おいっ・‥‥。
「免税特権。そして、娘の働く間、金貨50デナリ…‥」
「母さんこれだけあれば、家ももっといいところに住めるんじゃないか?それに免税特権はとても助かる。」
「はっ?」
両親の態度の豹変に私は愕然とする。
そこは、娘は例え金貨を積まれても渡せないとか言いなさいよ。
「あなた。マナを王宮で働かせれば素敵な男性と結婚のチャンスもあると思うの。
そうしたら、仕送りも期待できるのではないかしら?」
おいっ。家族の愛は?そして、なりより私の意見は?
「マナ。これは神がお前に与えたチャンスだ。よかったじゃないか。」
「…‥‥。」
「それでは、娘さんをお預かりして宜しいのですか?」
「はい、娘を宜しくお願いいたします。」
兵士たちに深々と礼をする両親をみて、私は大人ほど信用できないものはないのだと悟った。
信頼できるのはヤーヴェ(神)様だけだと‥‥‥。
「神の祝福がありますように」
「あなた方にも神の祝福がありますように。」
祝福しあう両親と兵士たちをウジを見るような目で見つめる。
私は馬車に乗り、自分が小さい時から過ごした店を眺めた。
両親が笑顔で手を振っている。
悲しいことに私が見た両親の笑顔の中で一番の笑顔だった。
かくして私は王宮で働くことになったのだった。
間もなく、馬車は王宮にたどり着いた。
私は店での思い出や、最後の両親の笑顔などをひたすら頭の中で繰り返し考えた。
牛が野草を何度も何度も反芻するように。
あの、金貨をみて態度を変えた両親の姿は、しばらくは忘れられそうになかった。
大きな石をくみ上げて作られた王宮を見上げた。
これから、ここで働くのか。
人生って突然変わることってあるのだな。
ヤーヴェ(神)私のこれからの人生が少しでも良いものとなりますように。
私は宮廷から離れた建物に連れられ、部屋に通された。
「ここがお前の住む部屋だ。ミカル色々この子に教えてあげてくれ。」
「はい、かしこまりました。」
「今日からよろしくお願いします。」
「そんなかしこまらないでよ。私もまだ二月くらいしか経っていなかったんだもの。」
「ありがとう、ミカル。」
「なんか元気ないね?疲れた?」
ルツさんは、荒野に儚げに咲く花のように守りたくなる感じ‥‥。
きっと男性にも人気があるのだろうな。
「実は…‥。」
私は今日起こった一連の出来事をミカルさんに話した。
ミカルさんは黙ったまま私の目を見てコクリ、コクリと頷いてくれた。
私は、胸につかえていた感情。例えば切なさとか、失望とか、戸惑いとか。
そういったものが噴出してミカルさんの胸の中でワンワン泣いた。
「そっか、それは切ないね。」
そう言って、ミカルさんは私の頭を撫で、静かに慰めてくれる。
「私は奴隷として買われただけだから仕方ないのだけど。両親はいないし。」
私はそれを聞いて、ふと我に返った。ミカルさんの方が状況は良くないのに‥‥‥。
「私たちのリーダーが曲者でね今年二四歳になるのだけど。産まずめでいらっしゃるの。だから結婚、妊娠とかの話題はダメよ。」
「うまずめ・・・・・。つまり子供を宿せないということ。」
「そう、綺麗な方だから求婚はあったのだけど。うまずめと分かったとたん誰からも相手にされなくなった。だから彼女の前で恋愛や結婚の話はダメよ。」
私は、コクリと頷いて耳を傾ける。
「けれど、それでいてあの方は噂好きなところもあるから、あちらから他のご婦人方の話があったら聞かないといけないの。」
ルツさんはフゥーと深くため息をついた。そのお方は‥‥。結構めんどくさい?
「少し休んだら、仕事を教えるわ。その時に会うことになるから、今の話忘れないでね。」
「わかったありがとう。」
私たちは、お互いのこと。生まれ育った町のことを話して楽しんでいた。
そこに、私を王宮まで連れてきた兵士がノックもなしに入ってきた。
「ヨナタン様が来られた。挨拶をするから二人ともきなさい。」
「かしこまりました。」
ミカルは慣れた様子で頭を下げると。私もそれに習って頭を下げる。
「ヨナタン様って確か‥‥。」
「サウル王の息子。つまりヨナタン王子ね。マナさん粗相のないようにね。相手は高貴な方なんだから。」
とは言われてもなあ。
私の店に来るのは庶民か兵士だし、王宮での作法とかわからない。
もし何か大変なミスをしたら…‥。
私は考えるだけで、寒さに震えるスズメのように全身をプルプルと振るわせてしまう。
「マナさんはなるべく私の真似をしてくれたらいいと思う。名前を聞かれるから元気にね。」
そうさせて貰う。里に入りては里に従う…‥。祖母が言っていた気がする。
兵士と私たち二人は広い王宮の中を歩く。
サンダルが大理石にあたりカツカツと音を立てる。
昨日の今頃は私が王宮にいるなんて、信じなかったろう。
けれども、私は紛れもなく王宮にいるのだ。
金に目のくらんだ両親のおかげで。
「マナさん、キョロキョロしすぎ。」
ルツさんが小声で注意する。
「ええっ。私そんなにキョロキョロしてた?」
「してたよ。田舎者と思われるよ。」
贅沢な置物や見事な造りの王宮につい目を奪われてしまった。
私は、やっぱり村の食堂の娘くらいが丁度良かったんだよ。
「この部屋にヨナタン王子がいるから粗相のないように。」
「はい。」
私は緊張しながら部屋にゆっくりと入る。心臓の鼓動が聴こえる。
それに引き換え、ミカルは落ち着いて一礼する。
私も慌てて一礼してから部屋に入る。
「神の祝福がありますようにヨナタン様。
早く戻られて驚いております。」
兵士の先にいたのは三〇歳くらいの髭を蓄えた。男性だった。
「貴方にも祝福がありますように。
預言者ダニエル様の言ったとおり、少年は、すぐに見つかったよ。
さっき、王に会わせたところだ。」
彼がヨナタン様…‥。男らしく包容力のありそうな方だな。
身に着けた剣や甲冑は金属でできた丈夫なものだ。
おそらく相当高価なものだろう。
「あの者たちは?」
「はい、侍女のミカルと今日連れてきた新しい娘です。」
「はじめてお目にかかります。マッ‥‥マナと申します。今日から侍女として王宮で使えることになりました。」
「ハハッ。さすがに緊張しているようだ。気を楽にしてくれていい。私はヨナタン、王の息子だ。」
楽にするように言われてもなあ。私はどう楽にしたらいいかわからないよ。
「ルツ。マナに仕事を教えてあげてくれ、あまり急がなくていいから。」
「はいかしこまりました。」
彼女は視線を下に向け軽くお辞儀をした。さすがに慣れているなあ。私とは違う。
「もうお前たちは下がってよい。」
私たちは礼をしてから部屋を出る。
「ヨナタン様、例の少年は本当に羊飼いだったのですか?」
兵士の声が聞こえる。羊飼いとか言っていたような‥‥‥。
私とミカルは王宮の通路を歩きながら話す。
「サウル王は具合が悪いのよ。」
「へえ、そうなんだ。」
「それで、預言者ダニエル様から少年を連れてくるように言われたらしいの。」
「なるほどね。それは、わかったのだけど。少年とサウル王が具合が悪いことに何の関係が?」
「さあね。まあ私達には関係ないことよ。」
サウル様は具合が悪いのか。
そういえば、うちの両親が話していたな。サウル王は昔は良い王だったと言っていたけれど、最近は財政が良くないとか、贅沢だ、税金が高すぎるとか言っていたな…‥。
「あとで食事の支度について教えるわ。水を運んだことは?」
私も元小料理屋の娘。その辺は心得ている。
「あるよ。たぶん大丈夫。」
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