ユウギリソウのせい


 ~ ありし日の八月二十二日 おじさん ~


   ユウギリソウの花言葉 優しい愛情



 田舎の山道と言えば。

 都会の方には随分と特殊な空間で。


 ただの道なのに。

 枝を払い、泥を跳ねさせ。

 肌を切り、服をほつれさせる。


 皆さんが、足を踏み入れるには。

 自らの心と体に。

 準備と装備を課さねばならないと。

 よく聞きますが。


 でも、俺たちにとっての山道は。

 普段着で入る。

 きわめて当たり前な場所で。


 目を、心を楽しむために。

 気軽に散歩するようなところです。


 生命の変化と。

 そして大地の不変とが。


 日常、当たり前のものとして。

 ただそこに横たわっているだけ。



 だから、これも。

 彼らにとっては、ただの散歩。


 家から、滅多に足を踏み入れない方角への。

 ただの散歩に過ぎなかったのです。



 ~🌹~🌹~🌹~



「ふう! ふう! ほ、ほさ……。ちょっと、ストップ……」

「パパ! これなに? しろいのくもが、ゆかにおちてる!」

「え? ど、どれのこと?」

「こっちはむらさきのくもがおちてる! ねえ、パパ! おさんぽたのしいね!」

「道の無い山の斜面を登ることを、散歩とは呼ばないよ……」


 パパとおさんぽたのしい。

 だから、いつもいったことがないほうにきてせいかい。

 いろいろはっけん!


 ……くも、おいしいかな?


「ダメだよ穂咲、今、あーんってしたろ。食べちゃう前に、確認しないと。……さあ、どうするんだったっけ?」

「たべちゃうまえ? ……ああ、あれ! そうね、しってた! いたーきます!」

「ちがうでしょ。匂いを確認しなさい」

「しってる! さきに、びくうをとおるほーじゅんをかぐわしいの! スー……、げほっ! げぶしゅん!」

「ふう! ふう……。やっと追いついたよ。……穂咲。それ、食べていいやつだったかい?」

「んー、かろうじてはんいない?」

「範囲外だろう。げふってなる奴は食べちゃダメ」


 パパ、あせびっしょり。

 いつもよりさかみちだから?

 さかみち、にがてだもんね、パパ。


「穂咲。このお花は食べるものじゃなくて、見て楽しむものだよ。ほら、こんなに綺麗」

「……たべないの? げふってなるから?」

「そう」


 そうかな?

 でも、おいしーのもあるの、しってる。


「ママがつくったぶぶたさん、げふってなるけどおいしー!」

「ああ、そうか。たしかに酢豚は、げふってなるよね……。じゃあ、何でも食べちゃう君の癖、どうやって治したものか……」


 パパ、いつものこまったさんだ。

 かおがとおいけど、ちゃんとわかるもん。


 こまったさんなときは、いーこいーこされると。

 しょうがないからこまってないふりするかーってなるけど。


 だからパパを、いーこいーこしたいけど。

 とどかない。


「ねえ、パパ! くもたべちゃっていい?」

「だから、それは食べちゃダメ。ユウギリソウっていうお花だよ」

「たべれないならきょうみない」

「そんなこと言わないで。綺麗だから、名前を覚えてあげようよ」

「いいの。だってわかんなかったら、パパにきくから」


 おうちのそばなのに。

 こっちにはこないから。


 はじめてみた、たのしいがいっぱい。


 パパといっしょに。

 もうちっと、とおくにいこう。


「こら、穂咲。危ないからダメだよ。パパを置いてかないでくれよ」


 あぶなくないよ。

 だって、パパがいるし。


 だから、はしってみたら。


 きゅうにくだりざかで。

 ずるっとおっこちちゃった。


「穂咲っ!」

「あははははは! やまだったのにうみ! ちめたい!」

「沢になってたのか……。怪我してない?」

「うみだと、けがしないんだよ?」

「その理屈は分からないけど、痛いところは無いんだな?」


 わかんない。

 でも、ては、まっくろいになっちった。


 これ、ママがおこったさんになるやつ。

 ちめたいうみで、ごしごししよう。


 そうおもってたのに。

 あたしをもちあげたパパのたかいたかい。


 こまったさんなかおがみえたから。

 いーこいーこしてあげたら。


 すてきなきせきがまいおりた。


「…………パパ、まほう? どうして?」

「え? 魔法?」

「なんでかわかんない。ふしぎ」

「不思議なことがあったのか。なにが起きたの?」

「これならママがおこったさんになんない」


 おはしのほうのて。

 まっくろいだったのにぴっかぴか。

 なんでだろ。


「さあ、着替えなきゃな。お家へ帰ろう」

「なんで? もっとおさんぽ!」

「ダメだよ、こんなびしょびしょじゃ」

「うみにはいったから? おさんぽおわり?」

「これは、川だよ」

「そっか。おはながさいてたから、うみだとおもった」


 えほんでみた、うみのちゅーりっぷ。

 おんなじのがあったから。

 うみだとおもった。

 これ、かわか。


「お花が咲いてたの? どこに?」

「ほら! ここ! ちゅーりっぷ!」

「……驚いた。裏山にこんな珍しいものがあったなんて。でも、チューリップじゃないよ?」

「パパ、びっくりぎょうてんさん?」

「そうだね。……しかし、綺麗だ。こういうの、ママ、きっと好きだろうな」

「ほんと!? げんきになる? にこにこさん?」

「そうだね。にこにこさんになるだろうね」

「じゃあ、つれてこなきゃ! パパとおさんぽいってくるっていったら、おこったさんになったの! かわいそう!」」

「いやあ……。ママは、こんな藪を歩くの嫌がるだろうな……」


 パパは、ふたつのにこにこさんがあるけど。

 いまはどっちのにこにこさん?


 ……ああ、それ、しってる。

 さみしいときのにこにこさんだね。


「なんで? パパ、さみしいなの?」

「え? さみしいなんて思ってないよ?」

「そうなの? じゃあいいや」


 さみしいのは、さみしいから。

 たのしいじゃなきゃいやだから。

 さみしいじゃないならいいや。


 パパのたかいたかいもおしまいになったし。

 おててつないで、おうちにかえろ。


 でも……。


「ねえパパ! これ、ママにみせたげたい!」

「そうか。穂咲は優しいね」

「やさしいねだと、いいこ?」

「ああ、いい子だよ。……その調子で、もっとママを愛してあげなさい」

「うん! ……どうやるの?」


 それ、わかんない。

 やさしいねをするにはどうしたらいい?


「そうだねえ。……ママが、おこったさんにならないようにするといいよ」


 はっ!

 

 おちゃわんのて、まっくろいだった。

 ママ、おこったさんになっちゃう。


 パパからてをはなしてみてみたら。


「……あれ? まほう?」

「またかい? 今度は何が起きたの?」


 あたしの、おちゃわんのてのまっくろい。

 ぴかぴかになってる。


 でも、パパのてが。

 まっくろいになってる。


 ふしぎ!


「ねえ、穂咲。何の魔法なのか教えてよ」

「……あたしがママにおこられないで、パパがおこられるまほう」

「ええ!? それはちょっと嫌だなあ。一緒に怒られようよ」

「だって、あたしはぴっかぴかだからおこられないから。……でも、パパがおこられるの、かわいそう」

「だよね。なんとかしてよ、穂咲の魔法で」


 くだりざかははやくって。

 もう、おうちについちゃう。


 パパがママにしかられないように。

 でもあたしのまほう、おててのまっくろいをなくすかわりに。

 パパのてがまっくろいになっちゃうから……。


「そうだ! あたしのわるいこなまっくろい、うつせばいいの! おとなりさんに!」


 かんぺきなあいであで、パパがよろこぶとおもったら。

 さみしそうなにこにこになっちゃった。


「それは……、道久君が可哀そうだなあ」

「でも、そしたらパパがしかられるよ? わるいこだよ?」

「今日はパパが叱られるから。なにを移すのか知らないけど、道久君にそういう迷惑をかけちゃダメだからね?」

「……おとなりさんならいいのに」

「よくないよ。ほんとに困った時だけ、道久君に頼りなさい」

「そしたら、パパがおこられない?」

「……ほんとに困った時だけにしなさいよ?」


 そうか。

 こまったときはみちひさくんのせいにしていいんだ。


 やっぱり、パパはだいすき。

 こんないいことおしえてくれる。


 こんど、またおさんぽにいったとき。

 かわのちゅーりっぷの。

 おはなのなまえ、おしえてもらおう。


 からすがないたから。

 からすのうたで。

 はやくかえらなきゃ。


 ……びしょびしょになっちゃったけど。

 ママ、にこにこさんにもどってるといいな。


 にこにこさんならいっしょに。

 からすのうた。

 うたってくれるから。

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