アスチルベのせい


 ~ 八月二十一日(水)

    カンナさんと店長 ~


 アスチルベの花言葉

     消極的なアプローチ



 夏はまだ。

 ここからが本番だとばかりに腕まくり。


 そんな陽気は、留まる先を陽炎で隠して。

 遥か彼方と錯覚させるのですが。


 七つに並んだ数字たちは。

 次の列で、夏の終わりが来るのだと。

 秋色を心に楽しむ準備をするようにと。


 時の移ろいを嘆く子供たちに。

 大人びた季節を強要するのです。



 ……別れの季節を。

 強要するのです。

 


 ――駅前の個人経営ハンバーガーショップ、ワンコ・バーガー。

 夏の終わりと共に。

 お別れとなるこのお店。


 だから俺は。

 こんなことをしてみたのですけれど。


「ねえ、道久君。これは何の騒ぎなの?」


 まるでピンクのヤングコーン。

 アスチルベを、二つのお団子にこれでもかと挿すこいつは藍川あいかわ穂咲ほさき


 そんな穂咲が。

 心配顔で見つめるその背中越しに。


 怒りに柳眉を吊り上げた。

 カンナさんが顔を出してきます。


「なんの冗談だてめえ!」

「おや? よく俺の仕業と分かりましたね?」

「ああもう、分かったよ! 貸し切りにしてやるから、せいぜい大量に注文しやがれ!」


 そんなカンナさんが。

 呆れながら見つめる先。


 強制的に貸し切りとなった店内を埋め尽くす。

 俺が携帯で呼び出した、関係者一同。


 この夏休みに入ってから。

 料理人試験に失格となった方ばかりか。


 当店に関係するほとんどの知り合いを集めてみたのですが。


 そんな皆さんも、口々に。

 俺に文句をぶつけてきます。


「道久よ。こりゃいったい、何の真似だ?」

「私たちの勉強に気を使ってくれる秋山の事だから、重大な事情ってことくらい分かるけど……」

「そうっしょ! 理由は話すっしょ!」

「ああ……。とっとと白状しろ」


 同級生から四人程。

 俺を囲むように詰め寄ると。


 あちらこちらで歓談していた皆さんも。

 必然的に、俺の顔を見るのです。



 ……他のお客さんもいませんし。

 店長も、カンナさんもこちらを見ているし。


 貸し切りと言うことで。

 瑞希ちゃんが自動ドアの電源を切って。

 葉月ちゃんがアコーディオンカーテンを下ろしたので。


 丁度いい頃合いなのです。



「ええと、皆様。ご存知の方も多いことと存じますが、この度、ワンコ・バーガーは、大変喜ばしい船出を迎えることと相成りまして。本日は、そのお祝いをしようと思ったのです」


 俺の挨拶に。

 皆さんはようやく納得顔。


 そこには素敵な笑顔ばかりだったので。

 俺は、安心するとともに。


 ……相反する感情が。

 とても寂しい思いが。


 胸にこみあげてまいりました。


「店長の、昔からの夢は多国籍レストランを経営することで。その夢は同時に、カンナさんの夢でもあるわけでして。と、いう事はですね。これは、俺たち全員の夢でもあるわけなのです」


 ここで、調子にのった六本木兄妹が。

 そうだそうだと合いの手を打つと。


 ワンコ・バーガーが。

 温かな拍手で包まれました。



 ……どうしてなのでしょう?

 皆さん。

 お別れが、悲しくはないのですか?



「そんな嬉しい門出です。ひとつ、今日は賑やかに、ちょいと羽目を外して大騒ぎしようではありませんか」


 そして、新店舗でお仕事をする予定の一年生コンビが。

 皆さんへ飲み物を配り始めたので。


 俺は、当惑顔の店長とカンナさんの背を押して。

 皆さんへのご挨拶をお願いしたのです。



 ……でも。

 どうしてなのでしょう?

 お二人とも、なんでそんなに嬉しそうな顔をなさるのです?



「いやあ、まいったな……。みんなには意外だろうけど、こういうのはこいつの方が上手いんだ。全部任せた!」

「あ、うん。……どうやら皆さん、秋山君から何も聞かずに集まって下さったようですね。僕たちも今知ったんだけど、ほんとにありがとうね」


 いつも、おどおどとする店長ですが。

 カンナさんほどではないですけれど。

 俺だって知っています。



 店長さんは。

 決める時は。

 決める人。



 ……そんな素敵な店長さんと。

 もう、お別れなんて……。



「この二年。ワンコ・バーガーにはいろんなことがありました。でも一番の幸せと言えば、これほど人望のある秋山君や、商品開発の要である藍川君や、こんなに優しい皆様と出会えたこと。僕はね、何よりもそれが嬉しくて」



 ……うそだ。

 だったら、ここを離れないで欲しい。

 ずっとここにいて欲しい。


 そしてこんな気持ちが。

 わがままだということは分かっているのです。


 俺だって、学校の都合だったり。

 仕事の都合だったり。


 卒業したとき。

 ここにとどまる保証なんか無いのですから。



 でも。

 それでも。


 ワンコ・バーガーには。

 変わらずに、ずっと。

 ここにいて欲しいのです。



「ワンコ・バーガーはレストランとして、こことは違うどこかで再出発します。……人はね、想像力に限界があって。かつて見た景色で一番素敵な物に憧れるわけでね。僕にとっては、大学生の時に足を踏み入れたステーキハウスがそれだったんだ」



 ステーキ屋さん。

 それでもいいと思うのです。


 別に、ハンバーガー屋である必要なんかない。



「二駅向こうのそのお店。入ったはいいけど、すぐ困ったことに直面してね。……僕、お肉が嫌いなんだよ。……ええっ!? そんなに非難されることかな? ……ああ、そうだよね。ハンバーガー屋なのにね。あはははは……」



 お店だって、別に、ここにいて欲しいわけじゃない。

 どこか、気が向いたらいつでも行けるような場所なら…………。



 ……ん?


 ああ、そうか。


 ここじゃなくても……。




 ひょっとして。

 構わない?




「驚いたことにね。そのお店、メニューにはほんとにお肉しか無くて。困ったから、サラダだけ頼もうとしたんだけどね?」



 店長さんは、以前言いました。

 いつでも遊びに来てくれと。


 と、いう事は。



「その時に、うちのステーキが食えないとはなんだって怒られたんだよ。小学生の女の子に。…………いや。みんな、笑い過ぎだよ」



 ……俺は。

 大きな勘違いをしていたのではないでしょうか。



「でもその子、厨房にうまいこと言ってくれたんだろうね。ちょっぴりのお肉に、山のようなニンジンソテーを添えて出してくれたんだ。それに僕は感動してね。だから公務員への道を捨てて、お客様一人一人の顔が見える、そんなお店を作りたいなと……」

「ちょ……、ちょっと待て!」



 確かに、環境というものは大事。

 ワンコ・バーガーは、俺の居場所。


 それが無くなるなんて。

 きっと、胸にぽっかりと穴が開くことになると思う。



「ど、どうしたんだい、カンナ君?」

「そ……、その店、まさか、ニャンコロ・ステーキ?」

「え!? 知っているのかい? そりゃ偶然……」

「バカ言ってんじゃねえ! それ、あたしの実家だよ!」

「え? ………………えええええ!?」



 でも、真新しいレストランで。

 夢の叶ったその場所で。


 笑顔で働くお二人の姿を見てみたいと思うこの気持ちは。

 想像しただけで緩む、この頬は。



「じゃ、じゃあ、あの時の子供……」

「た、たぶん、あたしだ……」



 一体。

 これは何なのか。



「な、なんてこった……。あたしが店長の人生を狂わせた元凶だったとは……」

「いやいやカンナ君! 何を言い出すんだい!? 僕の人生は、君のおかげでこんなにも幸せなのに!」



 そう。


 俺は、二人の門出を。

 こんなにも。

 ちゃんと祝福できているんだ。



「お、おまえ、なに言い出したんだよ!? どう考えてもあたしの存在がマイナスにしか働いてねえじゃねえか!」

「この際だから、はっきり言おう! 僕は……」



 良かった。

 土壇場ギリギリで。

 俺は、心から。


 別れを祝福できるようになれたんだ。



「き、君が、君のことが……」

「あ、あたしのことが?」

「…………ここにいてくれて、助かってます」

「だーーーーっ! この期に及んで、なんて消極的なアプローチ! やり直せ!」

「わ、分かった! はっきり言おう! 僕は、カンナ君のことが……」

「……道久君?」

「え? ……なんだ、穂咲」


 店内中。

 みんなが呆然と。

 店長たちと俺とを。

 交互に見つめているけれど。


「そんなに悲しいの?」


 ……悲しい?


 いやいや、何を言っているのかな。

 おれはこんなにも晴れやかに。

 二人の門出を祝福する気持ちになっているのに。


 さあ、パーティーの司会。

 楽しい気分で続けましょうかね。


 俺は、ジュースを片手に。

 元気に乾杯の音頭をとりました。


「う……。こ、ここにいてください……。ワンコ・バーガーは、ずっと、ここにいてください……」


 誰でしょうか。

 泣きながら。

 子供のようなことを言う方がいます。


 俺が教えてあげないと。

 これは素敵な別れなんだよって。

 いつでも二人に会えるんだよって。


「帰って来た時に……。もう、お店が無いなんて嫌だ……。ここは、俺にとって、大切な場所なのです……」


 ほら、店長もカンナさんも。

 困ってしまうから。


 気持ちは分かるのです。

 さっきまで、俺だってそう思っていたのですから。


「秋山君。……ありがとうね。君に、そこまで言ってもらえるなんて、こんなに嬉しいことはないよ」


 店長も涙ぐんで。

 カンナさんも、鼻をすすってしまいました。


 さあ、いつまでも子供のようなことを言わないで。

 みんなに笑われてしまいますよ?


「でも……。もう、明後日には……」

「うん、そうだね。でも、安心して。秋山君たちは家族同然だと思っているから」


 ほら、もう泣き止んで。

 頑張って……、素敵なお別れを祝福…………。



 ワンコ・バーガーは。



 どこにもなくなっちゃうんだ……。



「やっぱり、無理なのです……」

「安心して、これからもワンコ・バーガーに来てくれていいんだよ?」


 そう言ってくれたって。

 もう、ワンコ・バーガーはどこにも……。



 …………ん?



「多国籍レストランなのに。その店名は無い……」

「ええ!? さ、さすがにお店を出す時にはかっこいい名前を考えるよ!」

「…………お店を?」

「うん、出す時には。あと何年かかるだろうねえ、資金が貯まるの」

「うそ。何年かかるのです?」

「さあ? ……秋山君、卒業したら何年か僕の隣でハンバーガー焼いてくれる?」


 は?

 え、ちょ。


「だって! 夏休みいっぱいでお別れって!」

「えええ!? そ、それは秋山君がバイトできるのも夏休みまでだろうって……」

「うそ!?」

「ほんとだよ! ……ああ! ご、ごめんね! それで勘違いしてたのかい!?」



 …………あ。


 これは、もしかして。



 やっちまった?



 冷静を通り越して。

 冷たくなった俺の頭。


 そんな俺を。

 皆さんは、温かい目で見つめてくれるのですが。


 でも、これほどの視線に囲まれると。

 さすがに恥ずかしくなって。


「あ、秋山道久! 本日をもってワンコ・バーガーを卒業します!」


 俺は、制服を脱ぎ捨てて。

 家へと逃げ帰ったのでした。



 ……その、三十分後。



 ワンコ・バーガーの、レストランへの転身を祈願するパーティーは。

 俺の家に、河岸を変えて。

 夜通し続くことになったのでした。


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