ヤツシロソウのせい
~ 八月二十日(火) 先生 ~
ヤツシロソウの花言葉 従順な人
駅前の個人経営ハンバーガーショップ、ワンコ・バーガー。
そのテーブルの一つ。
真向かいに座っているのは……。
「先生、感謝なのです」
「何がだ」
「こんな荒唐無稽に付き合ってくれたことに」
「荒唐無稽? 貴様は何を言っておるのだ」
いえいえ、急なお願いだというのに。
しかも、聞いたことも無いようなお話でしょうに。
真剣に資料を集めて下さって。
感謝しかありません。
……ちょっと忙しい時間ではありますが。
無理に休憩を取らせてもらい。
一番隅っこの席で、こっそりと。
先生から受け取った資料を確認していると。
「ばかもん、お前がやりたい仕事なのだろう。自分で
「でも、信用できる話ではないですよね?」
「できるできないではない。生徒のいう事を信じるのは、教師なら誰でも当然のことだ」
いつものいかめしい表情が。
胸を張って言うのですけれど。
誰だってできる話では無いでしょう。
まったく、頭が下がるばかりなのです。
正直、堅苦しくて暑苦しくて。
俺を立たせてばかりの面倒な方ですが。
この人の美徳。
何があっても、最後の最後まで俺を信じてくれる。
だから俺も先生を信じることができるし。
こんなお願いをすることができるのです。
間食どころか。
運動中の水分ですら摂ることを嫌う昭和の遺物。
それが、机を借りるなら当然と。
飲み慣れないでしょうに。
アイスコーヒーなど口にして。
しかも、生徒に金を払わせるわけにいかぬだろうと。
俺にもご馳走して下さるのです。
「見つけて来た資料は数あるが、口を利いてやれるのは三か所しかない」
「なるほど。でも、口添えをいただくと先方の本音も分かりませんし。直接出向いて、本当に一緒に仕事をしたいという場所を見つけたいのです」
この暑いのに。
首が締まるのではと思うほどきっちりと締めたネクタイを、さらに締め直すと。
先生は重々しく頷いて。
余計な口は利かないと約束してくださいました。
そして、環境に気を使えと。
ストローも蓋も拒絶したカップへ直接口を付けたので。
俺も、あまりの飲みにくさに眉根を寄せつつ。
ご馳走していただいたコーヒーを胃に流し込みました。
「で? 進路はどうするのだ?」
「それは……、仕事をしながら専門学校ということになりそうですね」
「学校の選定については、しっかり事前調査していたようだから心配いらんか」
「え?」
「なんだ?」
さっきから、いちいち話の腰を折るなと。
不機嫌になる先生なのですが。
知らないものと思っていたのに。
絶対に無用な学校紹介をされると思っていたのに。
さすが先生。
よく見ていらっしゃる。
「ふむ。……仕事をしながら専門学校へ通うのは、辛いぞ。今までのように、学校を遊び場と考えているなら考え直した方がいい」
「なるほど。専門学校って、どのようなカリキュラムになるのです?」
俺の真面目な質問に。
茶化すこともなく真剣に説明して下さるには。
学校によって、差はあるものの。
実地研修やレポートで忙しいので。
仕事は土日だけと割り切るなど。
まずは学校のペースを掴んでから仕事を始めた方がいいとのことでした。
「なるほど、参考にします」
「参考とはなんだ、曖昧な返事をしおって。本当にいう事を聞くのだろうな?」
「もちろんなのです。俺は従順な男ですから」
正直な所、お仕事の方もすぐに始めたいところではありますが。
でも、せっかくいただいたアドバイス。
無下にできるはずもありません。
「……従順だと? 真面目に授業も聞かん貴様がか?」
背もたれを軋ませながら。
呆れ顔で俺を見つめる先生なのですが。
いえいえ。
それは勘違いなのです。
「先生。この際だから、はっきり言っておきますが。俺は真面目に授業を受けたいのです」
「ならば、いつもどうしてああなる」
「それでは、分かりやすい実例をお見せしましょう」
丁度、実例の方から。
こちらへ近づいてきましたし。
「先生。お話中、お邪魔するの」
「うむ。真面目に仕事しておるか、藍川」
もちろんなのと言いながら。
なにやら、チラシを先生へ手渡しているのは
「追加注文ならいらんぞ?」
「そんなんじゃないの」
「……なんだこれは。モネの『睡蓮』か?」
「その池、見に行きたいの。どこに行けば見れるの?」
軽い色に染めたゆるふわロング髪へぷすっと挿した。
ヤツシロソウをゆらゆらと揺らす穂咲ですが。
「藍川。それは仕事と関係あるのか?」
「これでお金貰えると思うなんて、とんちきなことを言う先生なの」
「立っとれ」
俺たちが小さな頃に使っていたという。
白黒印刷の、お花屋のチラシを握りしめつつ。
今、立ってますけど? って顔で。
先生を見下ろすのです。
「以上。証明終了なのです」
「分かった。今更かもしれんが、少しだけ考え直してやる」
よかった。
こいつが不真面目だということを認識させることに成功です。
でも。
そうと知った先生が。
黙っているはずもありません。
「藍川! 仕事はどうした! 社会を甘く見るんじゃない!」
「ほんとに厳しい仕事中なの。厳しすぎて、身も細る思いなの。でも、新人二人が責任をもって仕事ができるように、涙を呑んで丸投げしてサボってるの」
「それを世間では仕事をしていないというのだ!」
そして再び。
何で? という顔で先生を見下ろすのですが。
こっちがどういうことなのか。
説明して欲しいのです。
「それより、これの場所教えるの」
どうあっても。
仕事をしないこいつの態度に。
先生の額が。
青筋で感情を表しているのですが。
やれやれ。
これ以上はまずかろう。
俺は、勉強しない仕事しない。
お気楽人生を満喫中のこいつへ。
しぶしぶ助け舟を出してあげました。
「しょうがないやつなのです。先生、休憩中の俺からと言うことで、この絵の場所を教えていただけますか?」
そんな折衷案に。
憮然としたままの先生の青筋でしたが。
長い長い溜息と共に怒りを吐き出すと。
ようやく俺の思惑に乗ってくれたのでした。
「……モネの池は、ノルマンディー地方にあるものだ」
「あ、知ってるの、そこ」
「有名な土地ですからね」
「うん。……なまはげで」
どうなっているのですかね。
君の中の世界地図。
「わるいごいねがーって言いながら上陸作戦をしたのですか? 連合軍」
第二次世界大戦中。
ドイツ占領下にあったノルマンディーに。
連合国軍が大規模な上陸作戦を行ったのですが。
「……連合軍?」
「おじいちゃん先生から、世界史で習ったでしょうに」
「そんな覚えないけど。アニメで見た覚えならあるの」
……君の教師は。
あくまでもテレビなのですね。
「戦争アニメなんか見ましたっけ?」
「ううん? ロボが戦うの、宇宙で」
「それ、ほんとに連合軍って名前?」
「たしかそんななの。ドイツっぽい軍服の方、イケメン多いから応援してたのに、連合軍に負けちゃうの」
「結果は正解なので、もうそれで覚えなさいな」
俺は呆れてさじを投げたのですが。
それではいかんと。
大真面目に第二次世界大戦のお話を始めた先生。
でも。
都度、ロボはどうしたとか。
なんで宇宙空間なのに爆発音が響くのかとか。
余計な事ばかり聞いて。
邪魔をする穂咲に。
いちいちムキになって説明を続けていらっしゃいますが……。
「先生、罠にはまっています」
「なにがだ?」
「今こいつ、仕事中」
「…………しまった」
結局、客観的に見れば。
五分程度、穂咲のサボりに付き合う先生と言う図柄。
「藍川! 貴様のせいで、俺まで悪人になってしまったではないか!」
「そりゃおかしいの。あたしは悪く無いのになんで叱られるの?」
ムムムと唸って。
にらみ合う二人。
そんなお二人が。
何かに気付いて。
ポンと手を叩くのです。
……ああ。
はいはい。
従順な俺は。
この不条理にも素直に従って。
不快極まりない屋外で。
道行く皆様へ、不機嫌顔を振りまいたのでした。
~🌹~🌹~🌹~
「では、しっかりな」
先生は、帰りしなに。
俺の肩を叩くのですが。
俺の不機嫌。
半分は、あなたで出来ているのですけど?
「……学生は、なぜ勉強をするか分かるか?」
そんなストレッサーが。
妙なことを聞いてきます。
「必要な知識だからですよね?」
「無駄なものがほとんどだ」
え?
この人の口からそんな言葉が出て来るなんて。
信じがたいのですが。
では。
なぜ勉強するのです?
首をひねる俺に。
先生は、ノートを二冊押し付けて。
「……お前が真剣かどうか、これで見てやろう」
「はあ。なんですか、これ?」
「夏休みの宿題と言えば、絵日記に決まっているだろう」
「はあ!?」
高三で?
冗談じゃない。
でも、先生は勉強する理由も。
絵日記を書く理由も言わず。
穂咲と俺に、夏休みの宿題を押しつけて。
蒸し暑い田舎道を。
背筋を伸ばして帰って行ったのでした。
……宿題、か。
そうですね。
俺はこの夏の宿題。
まだ、一つも片付いていませんね。
せめて、一つは終わらせましょう。
そんな思いで。
携帯を手にしました。
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