ハスのせい


 ~ 八月十五日(木) 晴花さん ~


   ハスの花言葉 休養



「ああ! レジ前って、やっぱり天国!」

「……お客様、そちらは天国らしいので。ご注文でしたらこちらへどうぞ」


 ここ最近、頻度は減ってきましたが。

 未だにこの奇行は治まらず。


 綺麗なお姉さんが、急に弾けるバーガー屋があると。

 ネットで話題になっているほどなのです。


 そんなお隣りのレジ……、もとい。

 お隣りの天国に立つ綺麗な女性はひいらぎ晴花はるかさん。


 一時、睡眠時間もまともに取れないほど忙しくお仕事をしていたせいで。

 こんなダメージを心に負ってしまった彼女は。

 こうして、天国でリハビリ中なのですが。


 本当は、とっても清楚で優しくて。

 理知的なお姉さんなのでありま……。


「ヤバい! いいこと思い付いたよ道久君! このレジ、あたしの家に持って帰ればいつだって天国!」

「…………せん」


 やれやれ。


 晴花さんの。

 社会復帰への道は険しそうなのです。


「おい秋山、そろそろ上がれ。じぇねえと、労働基準法って名前の勇者に店長が殺されちまう」

「はあ。……でも、トリップ中の晴花さんを置いて帰った方が法律違反な気がするのです」


 カンナさんと共に。

 レジへ頬ずりをする晴花さんを見つめながらため息をついていると。


「ふいー。更衣室、あっちいから。ここで着替えるの」


 団扇で顔を仰ぎながら。

 更衣室から着替えを抱えて。

 キッチンへ戻ってきたのは藍川あいかわ穂咲ほさき


 冷蔵庫を開いて。

 白い空気を満足げに吸い込んでから。

 おもむろに着替えをテーブルへ広げて。


「さてと」

「およしなさいな。お客様から丸見えです」


 お隣では晴花さんがトリップ。

 厨房では穂咲がストリップ。


 いよいよ当局の介入待ったなしなのです。


「……じゃあ、明かりだけでも消すの」

「いえ、そういう問題ではなく……、おわっ!?」


 言うが早いか。

 明かりを消してしまった穂咲さん。


「こら! 店中真っ暗にするやつがありますか!」


 そう叫んでおいて。

 はたと気づきます。


 ……店どころか。

 街灯も。

 真向いにある、まーくんの家も。


 まっくらけ。


「なになに? 停電!?」

「お、お客様! ただの停電ですので、慌てずそのまま座っていてください!」


 そう言えば、午前中。

 台風の影響を、もろに受けたこの界隈。


 無茶だと泣き叫ぶ俺が。

 客寄せとして外に放り出された時のこと。


 頭上の電線が、大縄跳びのごとく揺れていたのを呆然と見つめていたのですが。


 随分と時間を置いて。

 どこかの電線が切れたのでしょうかね?


「どうしましょう。お客様にはお帰りいただきます?」

「バカやろう。街灯も消えてるし、復旧するまでここにいてもらった方がいいに決まってるだろうが」

「とは言え、真っ暗ですし。クーラーも止まっちゃってますし」

「クーラー無しでも、しばらくは涼しいだろ。明かりの方は……、おい、バカ穂咲。前に教えたとこからろうそく持って来い」

「がってんなの。……あいた!」


 盛大に。

 何かへ激突する音が。

 バックヤードへ向かって移動していくのですが。


「……急速に発達した穂咲8号が、西へ進路を取るのです」

「ああ、そしてバックヤードに停滞して猛威を振るってやがる」


 真っ暗闇の中。

 俺たち二人のため息を軽々と打ち消す。


 穂咲8号による盛大などんがらがっちゃん。


「明日は、開店の一時間前に入りますね」

「…………二時間だ」


 そして、勢力を落とした穂咲8号が。

 行きよりもおとなしめに戻ってくると。


「ふう。真っ暗で、おっぱいがドキドキしたの」

「俺がドキドキです! そんな言い方する人いないでしょうに!」


 最後に大雨を降らせた後。

 テーブル席を回って。

 ろうそくを、小皿に乗せていくので。


「ろうそくだけ置いてどうする気ですか」


 俺がライターで。

 明りを点けて歩いたのです。


「道久君! 違う違う!」

「なんです晴花さん。そんなに興奮して」

「そこは二人で一本のろうそくを持って回るの!」


 ……なんのこと?


 試しに一本のろうそくへ火を点けて。

 二人で点火したテーブルからにわかに湧いた。


 温かな拍手と、おめでとうとのお言葉。


 やっと意味が分かりました。


「何やらせるんです! あと、お客さん! ノリが良すぎなのです!」


 でも、このイタズラのおかげで。

 不安に満ちていた店内が。

 あっという間に笑いで満ちて。


 そこへ。


「ねえ、道久君。ろうそくって、どこからガスが出てるの?」


 ボケの追い打ちで。

 さらに皆さんを笑わせる穂咲なのでした。


「ガスだったら大変なのです。吹き消したら、あっという間にガスもれです」

「じゃあ、電気? IH?」

「意味が分かりません」


 ボケ倒す穂咲の手を引いてレジへ戻る俺に。

 盛大な拍手が巻き起こるのですが。


 ああもう。

 お笑い芸人では無いのです。


「よしよし。お前ら、よくやった!」

「勘弁してください」


 薄暗がりでもよく分かるニヤニヤ顔で。

 カンナさんが俺の肩を叩いて迎えてくれると。


 その向こうでは、晴花さんが。

 なにやらぼけっとお客様を見つめながら。


「……これ。いい」


 そう、ぽつりとつぶやくなり。

 慌ててキッチンを抜けて。

 廊下へ駆けて行ったのです。


 なにごとでしょう。

 俺はカンナさんと顔を見合わせながら。

 同時に同じ側へ首を傾けたのですが。


「すいませんお客様!」


 穂咲よりもあちこちに激突しながら戻って来た晴花さんの手には。

 愛用のカメラが握られていたのです。


 そして、一番手前のテーブルへ。

 恋人同士らしきお二人へ話しかけるのですが……。


「今、この様子をカメラに収めて欲しいって考えていませんでしたか?」


 は?


 晴花さん、なに言ってるの?

 あなたはエスパーじゃないのです。


 俺は、おかしな事を言い出した晴花さんを止めようと。

 慌ててレジから飛び出したのですが。


「ええ。よく分かりましたね、店員さん」

「でも携帯のフラッシュ光らせたら、この状況が上手く表現できないですよね?」

「お任せください!」


 なんと。

 驚いたことに、晴花さんの言う通りだったのです。


 そしてさすがは元カメラマン。

 ささっとカメラを調整すると。


 時間をかけずに構図を選んで。

 ぱしゃりとお二人の姿をカメラに収めたのです。


「……こんな感じでどうです?」

「へえ! 良いですね!」

「これ、データ貰えませんか?」

「もちろん喜んで! ……あ。停電中じゃパソコン使えないですね。紙焼きにしておきますので、今度いらっしゃったときに声をおかけください」


 そんな言葉に、お客様は大層喜んで。

 よろしくお願いしますと頭を下げるのですが。


 晴花さんが手にしたカメラに表示されていた画像を。

 ちらりと横から覗き込むと……。



「うわ」



 ――思わず声を上げてしまう程。


 美しいその写真。


 儚い光に照らされたテーブルで。

 微笑み合う二人の姿。


 その、数センチ角の世界には。


 少しの不安と

 大きな思いやりと。


 そして、隠しきれないワクワク感が。

 余すことなく詰め込まれていたのです。


「これ……、芸術」

「うん。……久しぶりに、いい写真撮れたかも」


 気づけば、いつもの晴花さんが。

 俺のそばで、優しく微笑んでいたのでした。



 ……やっぱり。

 俺は晴花さんに。


 写真にまつわるお仕事をしていただきたいのです。


 今のように。

 お客様の気持ちを余すことなく汲み取るような写真を…………。


 写真…………。




 ……あ。



 そうか。




「…………見つけた」

「ん? 何を?」



 キャンドルサービス。

 恋人。

 お客様の気持ち。

 そして、写真。


 俺は。

 とうとう。



 見つけたのです。



「道久君。見つけたの?」

「はい。……間違いないのです」


 気付けば隣にいた穂咲が。

 優しい声音で話しかけてくれたのですが。


 その横顔は。

 ろうそくの赤に、淡く染められて。


 すっと一筋。

 赤いじゅうたんへ。

 白い線を引くと。


 羽根よりも柔らかく。

 俺の手を握ってくれたのでした。



 ……嬉しさのあまり。

 俺も、目頭が熱くなったのですが。


 でも。

 それと同時に。


 気付いてしまったのです。



 夢。

 俺の夢。

 穂咲の夢。


 晴花さんの夢。


 そして店長の夢。

 カンナさんの夢。



 自分の夢が叶うかもしれない。

 そんな俺が。

 店長とカンナさんの夢を邪魔するなんて。



「応援したげるの」



 穂咲の優しい言葉に。

 胸を張って答えることができる唯一の返事が。



「……俺も。真剣に応援しなきゃ」



 必然的に。

 俺の口から零れ落ちたのでした。



 ………………

 …………

 ……



「……夢、叶うと良いの」

「はい。小さな小さな夢ですが、叶うと嬉しいのです」

「あたし、ドキドキするの」

「こんなに小さいのに?」

「うん。ドキドキするの。おっぱいが」

「……合ってて済まん」


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