アンスリウムのせい
~ 八月八日(木)
おばさんと椎名さん ~
アンスリウムの花言葉
恋にもだえる心
右手にいつも持っていた赤いボール。
大好きだった、赤いボール。
投げてしまうと。
取っちゃう人がいるので。
投げて遊ぶことができないのに。
なぜか一時、ずっと持ち歩いていたことがあって。
大切なものだから。
今まで、大切なものを取られて。
何度も泣いたから。
だから。
ずっと持ち歩いていたのに。
でも、結局は。
泣くことになりました。
別れを意識すると。
手放したくないと願うもの。
そんな当たり前のことを。
小さな頃から
人は学んでいくもので。
……赤いボールをくれたのは。
幼稚園のお友達だったと思うのですが。
どうしても。
誰から貰ったのか。
思い出すことが出来ず。
今だに記憶に残るプレゼントに。
お礼をいう事もできません。
せめてその方には。
幸せでいて欲しいと願うばかりなのです。
と、いうわけで。
結論としましては。
人というものは。
別れてしまった方。
別れが決まったもの。
そんな方を。
応援したくなるということ。
なので。
「別れを知ったお店のために、今日も料理人候補を連れて来たのですが……」
「バッドバッド! 箸にも棒にも引っかからなかったっての!」
「いやあ。文字通りなのです」
いつもの失格者席。
俺の隣でレジに向かうのは。
ぶかぶかなメガネが可愛い。
しかし、彼女の作ったハンバーガー。
ほんとにこれ、箸にも棒にも掛からないのです。
「ハンバーガーを煮込み切ってスープにしてしまうとは……」
「お題が多国籍料理って言うから、ハンバーガーをボルシチにしようかと思ったんだけどね!」
「ボルシチってやつは、もっと具材がゴロゴロとしていません?」
これは、ゴロゴロとは言わない。
ドロドロのクタクタなのです。
俺のツッコミに、照れ笑いを浮かべる椎名さんなのですが。
レジと接客についてはばっちり満点。
穂咲よりもはるかに上手かったりします。
「椎名っち、飲み込み早くて助かるの」
「だからと言って。君が遊んでてどうします」
「グッドグッド! 今日はあたしが頑張るから、藍川ちゃんは休んでてよ!」
「ぜんぜんグッドじゃありません。ホールでボール遊びなんかしなさんな」
「……ホールだけに」
「やかましい」
床に、ボーリングのピンに見立てたペットボトルを並べて。
部屋で発掘されたという、赤いボールで倒して。
子供達と競争しているのは
軽い色に染めたゆるふわロング髪をサイドテールにして。
赤いハートマークでお馴染みの。
アンスリウムを挿していたりするのですが。
今日の髪形は。
まあ、良しとしましょうか。
「……連日のめちゃくちゃを、散々叱って正解なのです」
「道久君はおばさんに厳しいわよね……」
今日から夏休みになった。
穂咲のとこのおばさんが。
テーブルで、コーヒーを飲みながら。
穂咲の様子を、楽しそうに眺めていたりします。
「藍川ちゃんのお母さん? 仲いいのね、二人」
「おばさんとは家族のような付き合いなので」
「そう言われてみれば…………」
「言われてみれば?」
「ごっほごほ! いやいやいや! 何でもない何でもない!」
なにやら、急に慌てだした椎名さんなのですが。
どうしたのでしょう?
「ん? おばさんと、どこかで会ったことがあるとか?」
「ないないない! なに言ってんの秋山は!」
ええと。
そんなリアクション。
絶対にどこかで会っていますよね?
「……おばさん。椎名さんと会ったことある?」
「え? その女の子と?」
「ないないないない! ちょっとあたし、外に水撒いて来るね!」
「椎名さん?」
あれ?
俺、まずいこと言いました?
なんでそこまで否定するのか。
気になるのです。
そして、おばさんも同じように感じたのでしょう。
いつものいたずらっ子な顔になると。
椎名さんを追いかけて。
表に出て行くのです。
……そんな直後の窓の外。
まるで踊るように。
身振り手振りで説明する椎名さんに。
おばさんは。
得心顔で何度も頷いて。
そんな二人が揃って戻ってくるなり。
「「今日、初めて会った!」」
「んなわけあるかい」
呆れながら。
突っ込むことになりました。
「……穂咲、何か知ってる?」
唯一の情報源に質問すると。
こいつは、当然とばかりに頷いて。
「ボーリングは、満点で三百点なの。だから、ストライクは三十点なの」
「そうだね。よく知っていましたね」
こいつに聞いた俺が間違いでした。
もやもやとしたまま。
隣に戻って来た椎名さんを見つめても。
この人、目を逸らしたまま。
口笛を吹いて誤魔化すのですけれど。
……でも。
そんな椎名さんが、何かに気付いて。
小さな叫び声をあげたのです。
「どうしました?」
「んななな、なんでもにゃいにょ?」
「ですから。それはなんでもある時のリアクションなのです」
彼女が見ていたのは。
穂咲のボーリング大会なのですが。
一体、何を見て叫び声を……っ!
「こらーっ! 床にスコアを書きなさんな!」
「だいじょぶなの」
「大丈夫なわけ無いのです!」
「……水性」
「そういうこっちゃ無いのです!」
ああもう!
いそいで拭かないと!
俺はモップを持ち出して。
穂咲に紙と鉛筆を押しつけた後。
床をごしごし拭いていたのですが。
「……ああ! なるほど!」
急に、手をポンと叩いたおばさんのあげた声に驚いて。
きゃあと飛び上がってしまいました。
「目の前で大声上げないで下さいよ!」
「道久君! あのボール、覚えてない?」
「は? …………ああ。俺が大事にしてたやつ。穂咲に取られちゃったのです」
そんな言葉に耳も貸さず。
くたびれたボールを再び転がす穂咲でしたが。
「へこんじゃったボールを部屋で発掘したこいつが、店長に無茶を言って元に戻して貰ったのです」
「ふーん。……誰から貰ったか、覚えてる?」
「いえ。覚えていません」
素直に答えると。
おばさんは、イタズラ顔をさらにゆがめて。
「お誕生日のプレゼントに貰ってたじゃない、『アイちゃん』から」
「…………誰でしたっけ?」
「ちゃんと思い出してあげなさいな。幼稚園の時、一緒だった子よ」
いやいや。
幼稚園で一緒だった子なんて。
穂咲しか覚えてない。
「分かりませんって。……ただ、そのボールは大事にしていて、穂咲に取り上げられて泣いた覚えがあるので。きっと、俺はその子を好きだったのでしょう」
優しい過去予想図を思い浮かべる。
お客の少ない、炎天下のワンコ・バーガー。
静かな音楽が。
ペットボトルの倒れる音で掻き消されると。
直後にできた、一瞬の静寂。
そんなピリオドの次の瞬間。
けたたましい叫び声が上がったのです。
「藍川ちゃん! ちゃんと仕事しなさい!」
「ひにゃ!? 椎名っちが代わりに仕事してくれるって言ったのに……」
「シャラップラップ!! すぐにそれをかたして、床をも一度掃除して! あと、ボールを返しなさい!」
「ひゃいなの!」
急に厳しい指示を出した椎名さんが。
返す相手を間違えた穂咲から。
ボールを受け取ると。
「…………はい。秋山ちゃんのでしょ、これ」
明後日の方を向きながら。
くたびれたゴムボールを俺に突き出したのです。
「ありがとうこざいます。戻ってきて嬉しいのですが……、どうしてそんなに赤い顔してます?」
穂咲が勘違いして。
自分が渡すことになったから?
でも、そんなことで。
ここまで照れますか?
楽しそうな顔で俺を見るおばさん。
その視線を感じているうちに。
……俺は。
気付いてしまったのでした。
「え!? 『アイ』ちゃんって、まさか……」
「ひうっ!? ち、ちがう、あたしじゃな……」
「藍川の『アイ』か! じゃあこれ、穂咲が俺にくれたんだ!」
そう叫ぶと同時に。
店内の至る所から。
ピン代わりになっていた。
空のペットボトルが。
俺を目掛けて飛んできました。
……そして。
俺と穂咲をくっ付けると息巻く椎名さんが。
うずくまって、頭を抱えて。
もだえ苦しんでいたのでした。
……ペットボトル。
当たった?
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