コウホネのせい


 ~ 八月六日(火) 天然な子 ~


 コウホネの花言葉 その恋は危険



 男は敷居を跨げば七人の敵あり。

 常在戦場。


 心構えについて。

 かように厳しい言葉を知る我ら。


 ならば、この猛暑も。

 戦況を有利にする道具として捉えることが。

 男子としての正しい感覚なのでしょうか。


「よし。店内を水浸しにしましょう」

「なんで?」

「溢れる水に涼みたいお客さんで、店内がごった返すのです」

「びしょびしょに靴が濡れたお客さんで、店内が怒りに溢れるの」


 ……さもありなん。


 暑さのせいで、冷静さを欠いた俺をいさめてくれたのは。

 俺以上に、暑さに弱いはずの藍川あいかわ穂咲ほさき


 軽い色に染めたゆるふわロング髪を頭の上で器にして。

 そこに洗面器をかぽっとはめて。


 水を貯めているせいで。

 今日は涼しいとでもいうのでしょうか。


 洗面器の中に浮かぶ、緑の葉から。

 にょきっと生える、コウホネの。

 黄色いお花も涼しげなのです。


 ……ん?


「どこかで聞いた覚えが?」

「お店の床、びしょびしょ作戦のこと?」

「いえ、そうではなく。そのお花を見ていたら、何かを思い出した気がするのですけれど」


 なんだったかしら。


 でも、ついさっきまで。

 炎天下で客寄せをしていたせいで。

 

「……頭が思うように回らないのです」

「びっくりなの。まさか、借金をするほど困ってるとは思わなかったの」

「それは首」


 頭の事を、首と言うではないかと。

 屁理屈をこねる穂咲なのですが。


 暑さのせいで集中を欠いていた俺には。

 それが正しい言葉に聞こえるから不思議です。



 ――そう。

 集中を欠いていたのです。



 常在戦場。

 常に気を張らねばならないのに。


 俺が、穂咲の天然ボケのせいで。

 混乱しているその隙に。

 


 とんでもない事件が発生したのです。



「全員動くな!」



 ――突如。

 迷彩の軍服を着た方々が。

 自動ドアから侵入するなり。


 マシンガンをありとあらゆる方向へ向けながら。

 俺たちに命令するのです。


「両手を頭の上に組め!」

「ようし! そのままゆっくり立ち上がれ!」


 はじめは、あまりのことに誰も反応できなかったのですが。

 誰かがその指示に従うと。

 次第に、全員が真似をして立ちあがるのでした。


「客席クリアー! ブラボーチームは厨房を制圧しろ!」

「ブラボー了解!」

「ななな、なんだてめえらは!」

「ひいっ!?」


 そして、カンナさんと店長も。

 なすすべなく制圧されてしまうと。


 その頃合いを見計らったかのように。

 迷彩のカーゴパンツに。

 黒のタンクトップ姿の司令官が入って来たのですが……。


「ゆうさん!?」

「…………久し振りだな、みちこ」


 理知的な目元に二つのほくろ。

 美人なのに、度し難い変態。

 

 この女性は。

 東京で、ミリタリーショップを経営する榊原さかきばらゆうさん。


 でも、そんなとんでもない方が現れたおかげで。

 俺は逆に、平静を取り戻すことが出来ました。


「これ、まさかオプションサービスですか?」

「さあね。どう思う?」

「どう思うも何も。他に理由なんて無いでしょうに」


 この人のお店。

 モデルガンを買う際、オプション料金を上乗せすれば。


 常識はずれな取引方法で。

 商品を受け渡すのですけれど。


 今回もきっと、ゆうさんの肩にかけられたマシンガンの納品なのでしょう。

 呑気に、そう考えていた俺なのですが。


「オプションサービス以外の理由……。思い当たらねえか?」

「……おや? なんで皆さんの銃口が俺に向いているのです?」


 これは一体。

 どういう訳なのでしょう。


 まさか、俺が何かをやらかしたとでも?

 でも、何も思い当たるところがありません。


 俺が理由を探している間にも。

 迷彩服の皆さんが。

 じりじりと半包囲。


 そしてゆうさんが。

 右手をスッと、肩の高さに上げると。


 皆さん揃って、がちゃがちゃと。

 剣呑な音を立てながら銃を構えなおすのです。


「ちょ、ちょっと!? 悪ふざけも大概にするのです!」

「ふざけてねえよ。あたしはいつだって真剣だ」

「どの口が言うのです。結構怖いので、銃口を向けないで欲しいのですけど。あと営業妨害」

「……『れん』に色目を使う奴が現れたとあっちゃ、東京で胡坐かいてるわけにいかねえだろ」


 ゆうさんは、ばきりと奥歯をならす口の端から。

 炎でも吹き出しそうな形相で俺をにらむのです。


 『れん』さん? 色目?

 聞き慣れないお名前が飛び出しましたけど。

 まったく身に覚えはありません。


 でも、ゆうさんの怒りは本物です。

 なんとか誤解を解かないと。


 俺は、ごくりとつばを飲み込んだ後。

 震える声で……。


「身に覚えはないの」

「……君ではないのです」


 真後ろに立っていたおバカさんへ突っ込みました。


 なんてド天然。

 非常事態にもまったく変わらず。


 そして、洗面器の水がはねてかかるから。

 頭を揺らさないでください。


「れんさんって、どなた様なの?」

「ええい。話に混ざらないでくださいよ、君は」


 俺が、面倒な穂咲を押さえつけると。

 ぐずるこいつの頭から。

 水がバシャバシャとかかります。


「あたしの妹分。……従妹だ」

「会ったことなんかないのです」

「駅向こうの、あいつのアパート辺りでもか?」

「ないのです」

「バイト先の、デパートの屋上でもか?」


 ……………………。


 ありました。


「え? あの美人なお姉さんが、ゆうさんの従妹さん!?」

「なんで会ってねえとかウソつきやがったんだ」

「いやいやいやいや! 初めて知ったのですよ、お名前も、ゆうさんの従妹だってことも!」


 慌てて言い訳する俺に。

 ゆうさんはかぶりを振ると。


 二つの小さなほくろが印象的な。

 怖い目でにらむのです。


「れんからのメールを読むなり、良く知ってる顔ぶれが出て来てな」

「ええと、メールでは何と?」

「可愛すぎてドキドキする友達が出来ましたってよ」


 うぐっ。

 でも、そんな言葉くらいでここまで来ます!?


「じゃあ、いつものサービスでは無くて、本気で俺に報復に来たと?」

「さあ。……てめえはどう思う?」


 そう言いながら、三十センチくらいの警棒を抜いて。

 俺の頬を、ぴたぴたと叩くのですが。


「べ、べつに、ゆうさんに報復されるような事はしていませんよ?」

「……ほう、そうなのか」

「そうなのです。お世話になったお礼に、ちょくちょく顔を出すくらいの大したことない関係ですし」

「なるほど、みちこも大人になったなあ。下着姿を見ても大したことねえなんて」

「むぐっ」


 もちろん下着姿ではないですが。

 あれはあれで、確かに衝撃的なお姿。


 ポーカーフェースなんかできない俺には致命弾。

 思わず目を白黒させると。

 ゆうさんがニヤリと笑うのです。


「……おい、みちこ。またウソをついたのか?」


 どどど、どうしよう。


 頭が真っ白になった。

 俺の口から出てきた言葉は……。


「困っちったの。可愛いとか言われちったの」

「俺は君のボケに困っちったのです」


 突っ込みだったのでした。


「ちょっと、ほんとに黙ってるのです! ややこしくなるから!」

「なんでなの?」

「ああ、そうだな。ちょっと黙ってろ」

「そ、それでですね。俺は別にやましい気持ちがあったわけでは無くて……」

「おい。聞こえなかったのか?」


 ゆうさんは、冷たい瞳の温度をさらに下げると。


「黙ってろって言ったんだ。みちこ」


 ……………………は!?


「おれ!?」

「そうだよ。あたしは咲太郎と話してんだ」

「ほんとなの。最初からあたしと話してたの」



 はああああああ!?



 口をあんぐりと開いたまま。

 試しに、二、三歩横にずれてみれば。


 銃口はついてこず。

 俺の真後ろにいた、穂咲をぴったりマークなのです。


「…………可愛いってよ、てめえのこと」

「照れちゃうの」

「おう。れんと仲良くしてくれや。じゃねえと、エアガンでハチの巣にしてやる」

「もちろん仲良くするから、ハチの巣はかんべんなの」

「よろしく頼むぜ、咲太郎」

「その名前だけはよろしく頼まれないの」


 そんな会話と共に。

 なにやら珍しく。

 ゆうさんが、穂咲に頭を下げていたりするのですが。


「え? じゃあ、それを言うためにこんなことしでかしたの!?」


 いやはや。

 知っていたこととは言え。


 この人やっぱり。

 筋金入りのおかしな人なのです。


 ……でも。


「なに言ってんだ? わざわざそんなこと言うためにここまでやるわけねえだろ」


 意外な返事に。

 思わず目を丸くさせたのですが。


 え?

 だったら何のために?


 首をひねる俺の後ろから。

 さすがに事態を重く見たのか。

 店長が顔を出しました。


「こ、これはやり過ぎですよ……」


 そして、おずおずと差し出す手の上に。

 ゆうさんは、肩から外したマシンガンを手渡しながら。


 一言だけつぶやいたのでした。


「毎度あり」

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