マツバボタンのせい


 ~ 八月二日(金)

    あなたのお名前は? ~


 マツバボタンの花言葉

         温和/賑やか



「あれ?」

「いないの?」


 本日、新商品開発主任は興が乗ったようで。

 試作を大量にこさえた所。


 まったく食べきれなくなりまして。


 ……カンナさんにどやされまして。


 余った試作品を持って。

 以前お世話になったビンボウお姉さんへ差し入れるために。


 デパートの屋上まで来てみたのですが。


「さすがに、こう暑いとお休みなの」


 そんな試作品を詰めたバスケットの籠を提げて。

 あご先から汗を垂らすのは藍川あいかわ穂咲ほさき主任。


 軽い色に染めたゆるふわロング髪を。

 麦わら帽子の形に結って。


 そこに赤白黄色。

 華やかに、にぎにぎしく。

 マツバボタンをこれでもかと突き立てています。



「確かに、俺もお休みだと思いますね」

「じゃあ、お家に届けてあげるの」

「そう言われましても。どこにお住まいなのか知りませんし……」


 せっかく持って来たのですが。

 いないでは仕方ない。


 俺たちは、あまりの暑さのために人っ子一人いない屋上を後に。

 エレベーターへと引き返したのですが。


「うおっ!?」

「……なんか、挟まってるの」


 エレベーターのドアが。

 がちゃこんがちゃこん。


 大きな緑色の塊が挟まって。

 閉まらなくなっているのです。


「なんて迷惑な。すぐどけなきゃ」

「……あれ? もしかして、お姉さんなの?」

「は!?」


 穂咲に言われてよく見てみれば。

 確かにあれは、ネコの着ぐるみ。


 俺たちが、おっかなびっくり近づくと。


「すずしいぃぃぃ。エレベーター、マジ天国」


 呆れた言葉を着ぐるみの中でつぶやいたのは。

 紛れもなくお姉さんなのでした。


「こら。子供たちが見たら泣きますよ?」

「おおっと!? その声は、いつぞやの少年? 恥ずかしいとこ見られたし! これ、誰にも言わないでちょ!」


 慌てながらも。

 器用に素早く立ち上がったネコさん。


 でも、素早過ぎて。

 首が右斜め後方に向いてしまいました。


「……ほんとに泣くから。子供が見たら」

「慌て過ぎなの」

「ありがとうね~!」


 穂咲がぐりぐりと首を直すと。

 お姉さんは、陽気なポーズで元気にお礼をして。


 ……そして。

 あっという間に息切れです。


「無茶ですよ。一旦、日陰に逃げましょう」

「た、助かるし……」


 俺と穂咲は、ぐったりとするネコさんを両側から支えて。

 先日利用した、屋台の裏の休憩所へ運ぶと。


 急いでネコさんを座らせて。

 頭を外してあげました。



「どっはぁぁぁ! 超涼しい!」


 お姉さんが開口一番おっしゃられた言葉に。

 さすがにびっくりなのです。


「ウソでしょ!? ここ、日陰とは言え屋外ですよ?」


 着ぐるみの中って。

 そんなに暑いの?


 でも、汗で髪が顔にべっとりと張り付いたそのお姿が。

 真実を語るのです。


「ふああ……。もうダメ……」


 そして、自力で着ぐるみから出れそうにないほど。

 ふらふらなさっているのです。

 

「穂咲、俺がお姉さんを引っ張り出すから。君は着ぐるみを押さえておきなさい」


 まず、ネコを地べたに仰向けに寝かせて。

 穂咲が足を掴んで、俺に頷いたことを確認した後。


 お姉さんのびしょびしょの腕を掴んで。

 ずるりと着ぐるみから引っ張り出してあげたのですが。


「!!!!!!!!!!」


 ちょっと、これは予想外。

 慌てて顔を背けましたけど。

 不可抗力なのです。


「Tシャツが、汗ですけすけなの。……道久君、見たの?」

「みみみ、見てませんのでおじゃるよ!?」

「……何色か当てたら、罵声を浴びせないであげるの」

「…………ピンク」

「変態の道久君は、お姉さんから一メートル離れるの」


 くっ!

 策士め!


 罠に引っかかった俺は。

 素直に一メートル離れたうえ。


 穂咲とお姉さんから顔を背けて。

 直立不動の姿勢を取ったのでした。


「あはははは……、見苦しいもん見せちゃったし~」

「いえ! 見苦しくなんかなかったのでおじゃるよ!? それはもう可憐なピンク色でした!」

「……どスケベのエロ久君は、もう一メートル離れるの」


 しまった!

 フォローしようとして、おかしなことに……!


「あはは……。気にしないでいいよ……」

「いいから、お姉さんは黙って横になっとくの。そして水分補給なの」


 デパートの入り口で。

 無料で配っていた経口補水液。


 穂咲は、籠の中からペットボトルを取り出して。

 お姉さんに飲ませてあげながら。


 これまた、籠に入れていた団扇で。

 お姉さんをパタパタと扇ぎます。


「ありがとうね~。お花ちゃん……」

「大人なのに考えなしなの。あのままもっと汗かいてたら、着ぐるみも透けてエロエロになるとこだったの」

「そうか~! そしたら逮捕されて、かつ丼貰えたかもな~!」

「ウソなの」

「またウソかー!」


 どういう訳か、お姉さんには意地悪な穂咲なのですが。

 今は大人しくさせときなさいって。


「それに、かつ丼はおごりじゃないの。自腹なの」

「またまた~! 故郷のおふくろさんが泣いてるぞ? あっしがやりました! からの七百七十円になりますとか言われたらブチ切れ確定だし!」

「これはホントなの」

「今度はホントか~!」


 穂咲がからかっても。

 具合が悪くても。


 温和なのに。

 賑やかなお姉さん。


 このお花が、実に相応しい。

 俺は、穂咲からマツバボタンを一本抜いて。

 お姉さんに差し上げました。


「え? これくれるの? 食べれるかな!?」

「ビンボウすぎなのです!」


 ほんとに呆れたお姉さん。

 穂咲から試作品を受け取ると。

 涙を流して喜んでいるのですが。


 それでもこのお仕事が大好きで。

 こんな思いをしたとしても。

 やめる気など無いのでしょう。



 ……ああ。

 俺は、そんな職業に。


 出会うことができるのでしょうか?


 そのためには。

 ちょっと急がないと、まずい?


 穂咲とおばさんの思い出作りも大切ですし。

 ワンコ・バーガーの料理人探しも大事ですが。


 しっかりしないといけません。


「……よし。ちょくちょくたるむ自分にカツを入れるため、お姉さんの写真を一枚下さい!」


 こんなお姿になっても頑張るお姉さんの姿。

 俺はそれを見る度、仕事探しの事を思い出すでしょう。


 そう思って携帯を出す俺に。

 穂咲は、ネコの頭を反対向きにかぶせたのでした。


「もがっ!? いったい、何を!?」

「あはは……、ほぼ下着姿なんで、勘弁してちょ?」

「あ! そうでした! すっかり忘れてて……」

「ウソなの」

「ほんとですってば!」


 慌ててネコの頭を外すと。

 今度は胴体部分を頭からかぶせられて。


「脳内ピンク久君は、そのかっこで風船を配ってればいいの」


 めちゃくちゃなことを命じられました。



 ……そしてこの日。

 突如デパートの屋上に現れた「上が下か下が上かマン」は。


 意外にも話題になって。

 屋上は夜に向けて、大いににぎわったのでした。



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