チョコレートコスモスのせい


 ~ 八月一日(木) 

      美穂さんとおにいさん ~


  チョコレートコスモスの花言葉

            恋の思い出



 蛍を見に行って以来。

 ここ数日。

 妙におとなしいこいつは藍川あいかわ穂咲ほさき


 ……などと思っていたのですが。


「こら、バカ穂咲! 店ん中でスコップなんか振り回すんじゃねえ! 何の真似だ!?」

「悪霊を退治するの! あたしの美穂さんが、悪い男に騙されてるの!」


 偶然、巫女さんのように。

 一つだけ縛ったゆるふわロング髪を振り乱して。


 その結わえ目に括りつけたチョコレートコスモスを落っことしそうにしながら。


 退魔師が対峙する天敵は。


「ちっ……。バレちまったようだな。だが、スコップ女さえ始末すれば、知っている奴はもういねえ」

「そうは問屋が卸さないの! 必ず、美穂さんを救い出すの!」


 カンナさんに羽交い絞めにされる穂咲を。

 呆れながら見つめつつ。


「……美穂さん。おめでとうございます」

「気が早いよ、道久君!」


 真っ赤な顔をして照れながら。

 俺の肩を叩くのは、明石あかし美穂みほさん。


 木の上から降りることが出来なくなったのを。

 二度も助けてもらうという不思議な御縁から。

 工務店のお兄さんと、お付き合いを始めた彼女なのですが。


 いつの間にやら。

 お二人は、一緒に暮らしていたそうで。


 しかも美穂さんが、短大を卒業したら。

 ご結婚されることになったそうなのです。



 なので。

 デレデレな様子で、お兄さんの元へ駆けていくと。


 残念な結果なのに。

 照れ笑いなどしながら報告なさるのです。


「惜しいって言われちゃった!」

「……ってことは、落第じゃねえか」


 ありゃりゃ。


 ご機嫌だった美穂さんが。

 チョコレートコスモスのように赤い顔をして。

 膨れてしまいました。


「お兄さん、穂咲だけじゃなくて美穂さんにも口が悪いのです」

「ちょっと意地悪な方が、楽しいだろうが」


 周りのお客様が。

 眉をひそめて見つめる中で。


 お兄さんは、穂咲のスコップを踏みつけて動きを封じたまま。


 平気な顔をして。

 ポテトを食べていますけど。


「美穂さん! 騙されてるの! そいつは、美穂さんの財産が狙いなの!」

「やだ。無いわよそんなの」

「ウソなの! あたしが探してた徳川の埋蔵金も横取りしようとしたヤツなの!」

「おにいさん、済みません。後で俺から説明しておきますので、いつもの上手い方法でひとまずこいつを追い払えませんか?」


 頭の回転が速いお兄さん。

 顎のデザイン髭をしょりしょりとひと撫ですると。


「……まあ、こいつが何を言っても無駄だ。俺を封印するには、二十枚ものお札が必要……、おっと」


 そして、お兄さんが慌てて口をつぐむなり。

 穂咲は。


「神社やさーーーーん!!!」


 スコップを放り出して。

 頭のチョコレートコスモスを落っことして。


 神社販売店へと駆けて行きました。


「……穂咲ちゃん、なんで怒ってたの?」

「いえ、お兄さんがいつもからかうからこうなるのです」


 休憩のつもりで新商品をトレーに乗せて。

 二人のテーブルに座りながら説明すると。


 ダメじゃないと。

 お兄さんをたしなめる美穂さんなのですが。


 その様子は。

 俺を笑顔にさせる。

 実に微笑ましい光景なのでした。



「しかし、お前の料理美味いのにな。なんで不合格になった?」

「ハンバーガーにチョコ入れてみたんだけど……」


 俺が拾った、穂咲の落としたチョコレートコスモスを見つめながら美穂さんが言うのですが。


「確かに、ハンバーグの隠し味にいいですよね、チョコ」


 コクが出て美味いと。

 俺がフォローすると。


「ちがうよ?」

「え?」

「ハンバーグじゃなくて、ハンバーガーに入れたの」

「どう違うの???」


 美穂さんに問いただした俺の目に。

 渋い顔をしたお兄さんの姿が映ります。


「……ああ。あれ作ったのか。じゃあ落ちるわな」

「どういうこと? 美味しいって言ってくれたじゃない! 板チョコ挟んだバレンタインバーガー!」

「あれ、口が合うのは俺ぐらいだからな。覚えとけ」


 おやおや。

 お兄さん、優しいじゃありませんか。


 もし、穂咲がそんなものを作って来た日には。

 俺だったら、はっきりまずいと言いますよ。



 …………全部食べたあと。



「それより道久君。もう一つお願いがあるって言ってなかった?」

「ああ、はいはい。お二人に、思い出に残るものとか、旅の行き先とかをお聞きしたいのです」


 そんな台詞に。

 二人揃って、自動ドアの向こう。


 この世のどこにあるのやら。

 神社やさんを探しに行った子の方を見つめるのですが。


「違うのです。俺と穂咲で行こうというのではなく……」

「初めて出会ったとこに行くとか!」

「ああ。あるいは、最初に二人で行った場所とかどうだ」

「じゃなければ、初めてキスした場所とかじゃない?」


 急に盛り上がり始めたお二人さん。

 ちょっと落ち着きなさい。

 穂咲とおばさんの話ですってば。


「ストップストップ。そんな場所に、思い出も何もないのです」

「なに言ってるの? 恋の思い出は、どんな場所だって特別でしょ?」

「ですから、恋とかではなく」

「じゃあ、初めて二人が会った場所は?」


 おばさんと穂咲が。

 初めて会った場所?


「病院でしょうね」

「初めて行った場所は?」

「自宅へ帰っただけでしょう」

「じゃあ、初めてキスした場所は?」

「そんなの。二人とも、覚えてないでしょうよ」


 俺の返事に、ぎゃーすかと怒り始めた美穂さんなのですが。

 困ったな。


「だったら、美穂さんにとってはどれも思い出の場所なのですか?」

「そりゃそうよ! しっかり覚えてるわ、初めて出会った場所!」

「ほう」

「夕焼けに染められた、海の見える丘!」

「こら」


 ウソおっしゃい。

 美穂さんちのそばの公園でしょうが。


「小僧、覚えておけ。女の記憶ってやつは、自分に都合よく変わるもんなんだよ」

「はあ。……いやいや、それにしたって」

「いいから。放っておいてやれ」


 乙女だから。

 仕方ない。


 なんだか最近。

 そんな事ばかりを耳にしますけど。


 納得のいかない俺の目に。

 もっと納得のいかない光景が。


「あれ? 美穂さんがかじってるパネチキンホットサンド、お兄さんの分では?」

「え? あたしのよ?」


 いえいえ。

 あなたが買ったのは、ドリンクだけ。


 お兄さんが、こういうの待ってたんだよと珍しく大喜びで運んだトレーには。


 ポテトしかないのですけど。


「えっと、これも……」

「記憶って、変わるもんなんだよ」

「便利な言葉ですね」



 相手が乙女だから。

 乙女じゃない俺たちは。

 我慢する。



「ふう……。暑いの。こんな日に全力疾走とか、バカみたいなの」


 この世の真理になんとか抗おうとしていた俺の隣に。

 汗だくになった穂咲が帰って来るなり腰かけるのですが。


「あれ? なんで平気な顔でここに腰かけているのです?」


 あれほどお兄さんを退治するって。

 大騒ぎしていたのに。


「……なんで?」

「は?」

「あたし、なんで走ってたの?」

「これか」


 記憶が都合よく書き換えられる。

 その事実を目の当たりにして。

 青ざめていると。


 お兄さんが。

 無言で一つ頷いたのです。


 しかも。

 へろへろの穂咲がかじっているのは。


 俺が買って来た新商品。

 パネチキンホットサンド。


「…………これか」


 お兄さん。

 またも無言で首肯。



 ……しかも、こんな思い出も。

 穂咲の中では。

 勝手に都合よく書き換えられるのですか?


 そんなのって。

 そんなのって…………?


 いや?


「いつものことか」


 よくよく考えたら。

 ただの日常なのでした。


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