豊臣秀次 切腹

豊臣秀吉は子供ができなかった。そのため後継者として甥の秀次ひでつぐを養子として迎え入れた。

しかし秀吉が57歳の時に待望の子供を授かった。そうなると養子よりも実子を跡継ぎにしたくなるのは当然のことであろう。

秀次が邪魔だ。何とかして自害させる手立てはないだろうか。

表立ってそんな本心を示すことは出来ないため、失脚させる罪状を作り上げる必要があった。

1595年。

一度目の朝鮮出兵が終わり、諸将が日本へ戻っているときに計画が動きはじめる。

鷹狩りに出かけた秀次は、そこで謀反の打ち合わせをしているという噂をたてられた。



「秀次は毛利家の力を借りて謀反をしようとしていたそうだぞ」

「そうらしいな。寄付は仲間を集めるための買収工作だったらしい」

秀吉陣営ではそんな噂話で持ちきりになっていた。加藤清正もその話題に入ってくる。

「今度は試し切りと称して町人たちを刀で切りつけまくっているらしいな。卑劣な野郎だ。秀吉様からの命令があれば俺がたたき切ってやるんだけどな」

豪快な笑い声があがった。

そんな根も葉もない噂話に加わらない石田三成に対してからかうように声を掛けてくる。

「三成殿は確か、秀次と会って謀反はなかったと言っていたな。お前だけだな。そんなことを言っているのは」

「謀反の証拠はなかったと報告しただけです」

三成は余計なことを言わないように気持ちを抑えた。

関白にまでなった秀次がわざわざ謀反を起こす必要がない。謀反を起こす理屈の方こそ無理がある。そんなことに疑問を感じることなく、噂話を鵜呑みに出来る人間というものをどうすればいいのか。

昔からこの壁がいつも立ちはだかるなと三成は感じた。


その後も謀反の話は収まるどころか日に日に大きくなっていく。

秀次は潔白を訴え続けてはいたが、もう謀反を信じ込んでいる人々は聞く耳を持たない。

「ばれたから嘘を付いている」「言い訳をするなんて見苦しい」などと言われてしまう。

まともな判断力を持つ者もいたであろうが、秀次の味方だと思われることに何の得もないから声を挙げることはなかった。


こうして秀次は追い込まれた。

こうなったら直接、豊臣秀吉と話すしかないと伏見城ふしみじょうへ向かったが、それすら秀吉の会わないという作戦によって封じられてしまった。


無実の罪を着せられ、出向いても会うことすら避けられる。この扱いの酷さは秀次陣営の我慢の限界を超えた。

「どうせここにいる皆が死ぬことになるんだ。だったら戦うべきだ。無実の罪を着せた豊臣秀吉を討って、秀次様にその跡を継いで貰う。これ以外に助かる道はない」

秀次はそんな家臣たち意見を聞いて考える。その顔は難しいものではなく、まるで雲一つ無い晴天の空を見ているかのように穏やかなものだった。

「さあ決断を。戦となれば私の命を喜んで殿に預けます」

他の家臣からも声があがる。良い部下を持てたことを嬉しく感じる。

秀次はそんな部下からの熱意を受け流すかのように口を開いた。

「うん。止めよう」

言葉が出ない家臣達を前にしておもむろに立ち上がると理由を説明することなく命令を一つ出した。

「石田三成を呼んでくれないか。出来るだけ早く話がしたい」


秀次は石田三成に正対してゆっくりと頭を下げた。額が床に付くほどに。

豪快で明るくていつも笑っている男が最後に見せた真剣な姿である。そして頭を下げたまま三成に頼み込む。

「切腹するのは俺一人でいい。できるだけ家臣達は死なないようにしてもらえないだろうか。みんな俺が後継者になるから従ってくれたわけではない。こんな状況でも俺の無実を主張して立場を危うくしている馬鹿共だ。こんな馬鹿共の面倒を見て貰えるのは三成しかいない」

もはや秀次が死ぬことは避けられない状況である。三成は言葉少なく承諾した。そこで秀次は安心したようにいつもの笑顔を戻す。

「根拠がないのに、俺が謀反を企てた罪人だと思い込めてしまう人間というのは怖いものだな。いくら説明したところで、一度信じてしまうと不道理が正義となるように話が作られていく。ただそんな中、三成だけが最後まで中立で居てくれた。聞かせてくれないか。どうして周りと同じように俺を謀反犯だと思い込まなかったんだ?」

秀次の問いに三成の頭の中に色々な理由が浮かんだ。でもそんなことを口にするのは止めようと思った。ただ一言で十分である。

「だってやっていなのでしょ?」

三成の言葉に秀次は軽く口角を上げた。

「ありがたい。三成がいてくれなかったら俺は無念のまま死ぬところだった」

石田三成が聞いた豊臣秀次の最後の言葉であった。


それから数日後、秀次が高野山にて切腹を行ったという知らせが三成の下に届いた。

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