西軍勢力

五大老の一人だった前田利家が亡くなったことで、徳川家康は天下取りの野心を露骨に見せ始めた。

前田利家の後を継いだ前田利長なんていう若造はたやすい。

邪魔な存在は同じ五大老である上杉景勝である。


そこで彼の力を削ぐためにと謀反をでっち上げた。もちろん謀反をする気もなかった上杉軍は堂々とこれに反論した。

これによって上杉軍討伐という理由を作りあげて兵を挙げることができた。

家康の卑劣ともいえるやり方である。

反論しなければ人質を差し出させて屈服させ、反論すれば討伐を行う。

どちらにしても家康に従わざるを得ないやり方である。


家康のこの動きが、豊臣家を裏切り、自ら天下を取ろうとしている決定的なものになった。

これで上杉景勝までが徳川に屈してしまっては、もう誰も家康に対抗できる勢力がなくなる。

強欲な家康を封じる最後の場面であった。



石田三成がこの機に乗じて挙兵することも家康は分かっていた。

ここで挙兵しなければ天下取りの流れは家康で決まる。そうなってはもう二度と挙兵する機会は訪れない。

最後の大仕事である。

これによって西側勢力を潰して、死んだ豊臣秀吉の影響に縛られることは終わりにする。

生きている者たちが時代を作っていくのだ。

佐和山城で謹慎していた三成の兵力は6千人。対する徳川の兵力は8万人であった。


家康は、上杉家討伐の陣中で三成が挙兵した報告を聞いた。

予想通りである。さすがにここまでの地位に上り詰めた男だ。何もしないような馬鹿ではない。

あとは人望のない三成がどのくらの兵を集めたであろうか。

大谷吉継が彼に味方をしたとしても7000。

これに、豊臣の恩顧を受けた断れない者が何人か集まったとしても、1万になれば奴にしては上出来ではないか。

使者からの報告を聞きながら家康は予想をたててみた。


「それで三成はどれほどの兵を集められたのだ?」

使者は口ごもって明瞭な言葉を発しない。

まあ、聞くまでもないか。結果は見えている。

「正義とは何か分かるか?」

家康からの突然の問いに、傍に控えていた家臣が答える。

「弱者を守ることでしょうか」

「違うな」

想定通りの返答を家康は満足げに否定した。そしてそのまま話を続ける。

「正義とは多数決だ。多くの人が正義だと思えば、例え人殺しだって正義になる。事実であるかなんて関係ない。間違っていることでも、皆が事実だと思い込めばそれが真実になる。謀反の濡れ衣で自害に追い込まれた豊臣秀次がまさにそうではないか。三成はそこが分かっていない。だから奴はどんどん孤立していく」


家康の講釈を周りに控える家臣は同調しながら聞いていたが、使者は頭を下げたまま固まっていた。

さすがにその様子をおかしく感じた家康は再度訪ねた。

「ところで三成の兵力はいくつなのだ?」

「はい。それが・・・」


ん? これは三成の奴も兵を集めることに成功したのか?

そうなると1万を超えたか。1万2000くらいであろうか。

さすがに1万5000までは集められないであろう。

ただ1万を超える兵力になるとこちらも真面目に向き合うことになる。作戦をちゃんと練る必要がありそうだ。


まあ、いい。目障りな蠅をこの機会に徹底的に潰しておくことにするか。

「えーい。いくつだ。はっきり言え」

家康は少し苛立って大きな声を上げた。

その大きさに覚悟を決めた使者は、それを上回る声量で数を伝えた。

「はい。大阪城に集結した兵力。およそ・・・10万です!」


「はっ? じゅ、10万だと!?」


家康は兵数をただ繰り返すことしかできなかった。

他に言葉が何も出てこない。これでは総力戦であっても勝てないではないか。


言葉を無くした家康に対して、使者は興奮してまくし立てるように言葉を続ける。

「さらに我々を挟撃しようとしている上杉軍。これに態度をはっきりさせていない真田軍が加わるとしますと、総勢13万人の大兵力になります」

先程は信念を示している三成を馬鹿にしたが、貫き続けているとそこに希望を託す奴が出てくる。

そしてそれはいつの間にか世の中を動かす大きなうねりに変わる。


これはまずい。

家康の頭の中で恐怖と怒りの混ざった様々な思いが錯綜していた。

織田信長、武田信玄の亡き今、10万なんていう大軍勢を揃えられるわけがないのだ。

この家康ですら不可能なことであるのに。

これが毛利や宇喜多だったら、そんな大規模の軍など食料が尽きるなどして持たないだろう。

だが指揮をとるのは石田三成。奴の行軍計画を侮るわけにはいかない。

10万の大軍が、この家康の首を取るために進軍してくる。

このままでは滅ぶのは徳川になってしまう。


青ざめたままの家康は筆と書状用の紙を用意させた。

まだ分からんぞ。

軍を揃えることは出来ても、統率し続けることまでは出来まい。

奴の志しを理解できる者は多くない。流れに乗っただけの者もいる。だから徳川に味方をすれば美味しい思いが出来ることを伝えれば形成はひっくり返るはずだ。


家康は会津討伐どころではなくなった。

全国の大名や武将に東軍に味方をするように書状を送る。

そこには西軍についた場合は、後でどうなるかという脅しを匂わせておくことも忘れていない。

石田三成が国を良くするためという大義で兵を募ったのに対して、徳川家康は自分が有利になるのはどちらに付くのが得策かと、人間の欲と恐怖に訴えかけてのものであった。

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