落水の会見

1585年。

上杉景勝うえすぎかげかつの下に驚くべき知らせが舞い込んできた。

織田信長亡き後、破竹の勢いを誇る豊臣秀吉が、自国である越後にやってきたという報告であった。

以前から何度か手紙のやりとりはあったが会ったことがない。

天下取りに一番近い男の突然の訪問である。



落水城おちりみずじょうの奥の間で4人の接見が実現した。

上杉家当主の上杉景勝。腹心の直江兼続なおえかねつぐ

そして豊臣秀吉と石田三成であった。

景勝は口数が多くなく、直江兼続がこの場を取り仕切るように話を進めていた。


「天下統一に向けて協力して欲しいと、言葉にすれば最もらしいことを仰っているが、その実、上杉は豊臣の支配下に入れということか?」

兼続は単刀直入に真意を問いただしてきた。

語気の強さから憤りを内心に秘めている事が分かる。要は上杉家丸ごと豊臣の部下になれということなのだから、その感情は当然のものである。

上杉側が当主の景勝よりも家臣の直江兼続が話しているため、秀吉側も石田三成が会話を進めた。


「戦国の世を終わらせるには誰かが日本を統一しなければならないでしょう」

「それは理解できない話でもない」

お互い冷静であるが、一触即発となりそうな緊張感はある。それほどまでに真剣で本音での話し合いであった。

「だが統一したら終わりではない。その先が大切ではないでしょうか。国家としてまとまっていくには景勝殿は必要な人材だと思っています」

「我が主君の能力を買って頂き感謝致します。でしたら豊臣家が上杉家に協力するということでもよろしいのではないか?」

兼続はうやうやしく頭を下げつつも、視線は三成を捉えている。

「名君と言われる景勝殿でしたら、そうであってもいいのかもしれません。もしかしたらその方が更に良くなる可能性もあると私は考えています」

秀吉よりも景勝の方が上のような表現を三成はしたが、当の秀吉は怒ることはしない。

交渉中につまらないことで腹を立てる程の無能ではない。三成はそのことを分かっているので、秀吉のことは気にせず話を続けた。


「だからここからは現実的な話をしたいと思います。秀吉様はあと数年で中国地方、九州、四国を完全に手に入れるでしょう。その後関東へと支配を進めます。一方、東北地方には伊達政宗がおります。景勝殿といえども、名将の伊達政宗を簡単に破ることは難しいのではないでしょうか。そうなると、西日本から関東を制圧した秀吉様が配下になるのは、いささかかっこ悪いのではないかと考えます」

三成の先見性が的外れとは兼続は言えなかった。おそらくその通りになるだろうことは予想できたからだ。

上杉家に敬意を払ってくれながら、それでも核心をずばりと言う。

後はもう景勝の判断に委ねるべきであろう。


一段落付いたところで今まで黙っていた景勝が口を開いた。

「どうして天下を取りたいのだ? 秀吉殿の意見が聞きたいものだ」

名指しされた秀吉は深く腰掛けた姿勢を崩さないまま、余裕を持って語り出した。どちらが立場が上なのか分からせるためにも。

「戦国の時代に生まれたからには当然のことよ。負ければ死ぬ。そして勝ったものが時代を作る。日本をまとめることができれば、死ぬかもしれないような苦労もなくなる。家臣に苦労をかけさせることもない。戦いのない平和な時代が訪れる。これを願わない者がいるのだろうか」

秀吉の話を黙ったまま聞いていた。

最もな理由なのだが、特に心が動かされることはなかった。

景勝は今までのやり取りを頭の中で整理する。微動だにせず思案する姿は王者の風格が備わっていた。


納得できる部分はあるのだが、どうも素直に支配下に入る気にはなれなかった。

せっかく出向いて頂いたわけだが、今日は何も決めない方がいいように思える。まだ秀吉が天下を取るとは決まったわけではない。


最後に秀吉の側近の意見も聞いてみることにした。

直江兼続と対等に意見交換できる若者に惹かれるものを感じたからだ。

「石田三成殿は天下を取りたいのか?」

「天下を取るには私よりもふさわしい人物がおります。ただ出世はしたいと思っています」

三成は即答した。まあ、出世したくない者などいないだろう。

「どうして出世したいのだ?」

理由を聞くまでもないであろうが、三成の凛とした佇まいを見ていたら何となくではあるが質問したくなった。

「出世をしたら、万民の暮らしを豊かにする政策が実行しやすくなります。賄賂をもらう不届きな役人を処罰できる規則も作れる。戦いでも死者が少なくて済む戦略を実行できる。だから私は偉くなりたいのです。そしてそれらの規則を作って戦いの世が終われば、私は隠居して平民に戻りたい。平民に戻っても困らない世の中を作る為に私は出世をする」

三成は景勝の顔を正面から見据えた。


景勝は言葉を発することはなかったが、短い唸り声のようなものが口から漏れた。

隣にいた直江兼続が少し驚いた態度を取った。突然の訪問者に興味を持ったことが感じ取れたからだ。

天下統一に向けて邁進する秀吉。それを支える聡明な青年。良い組み合わせではないか。


数秒の沈黙が訪れた。

景勝がどういう決断を示すのか残された三人が注視する。

「秀吉殿は良い部下をお持ちのようだ」

呟くように景勝はそれだけを言うと、帰り支度を始めるために立ち上がった。

数歩、足を進めたところで背中越しに言葉を放つ。

「来年になったら大阪に向かわせて頂く」

短い一言であったが、兼続も三成も真意をつかむことができた。

上洛と同時に大阪城の豊臣秀吉に挨拶に行く。それはつまり秀吉に恭順することを示していた。

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