美濃大返し

石田三成は様々な可能性を考える。

そして起こりうるそれぞれの事を想定して、それぞれの対応策を考えておく。

もちろん対応しようがない最悪の状況もありえるが、その時はお手上げと尻尾を巻いて逃げるに限ると思っている。


そんな三成でさえ今回のことは想定できなかった。

秀吉が仕える織田信長が京都の本能寺にて、家臣の明智光秀によって殺害されたのだ。

後に本能寺の変と呼ばれる謀反である。


いずれ天下を取ると思われた信長の突然の訃報に新たな時代が動き始める。

謀反人の明智光秀にはこの流れに乗ることは不可能であろう。

天下の覇権を握れる可能性があるのは二人。共に信長の重臣。柴田勝家と豊臣秀吉であった。

勝家も秀吉も長年織田信長に仕えてきた。

そんな彼等を絶大な力と魅力によってまとめあげていた信長を失った今、二人が衝突することは時代が求めた必至である。


1583年。

近江国の琵琶湖の北東岸で戦いの火蓋が切られることになった。

賤ヶ岳しずがたけの戦いである。



「かかったぞ」

柴田勝家の配下の佐久間盛政が、秀吉の陣の奥深くまで侵入してきた。

もちろん侵入によって城を落とされることになったが、この一報を聞いた秀吉は勝利が近づいたことを感じ取れた。

あとは伸びきった佐久間盛政の軍を強襲すればいい。

ただ現在秀吉がいるのは美濃の国。強襲すべき敵は隣国の近江。そこまでの距離は52キロメートル程ある。

いかに早く移動できるかが勝敗の分かれ道である。


「三成はおるか」

事前にこうなることを想定していて移動の準備を三成に任せていた。

「近江に戻るぞ。準備は出来ているな?」

「はい。5時間で戻れるかと存じます」

三成の言葉に周りの武将はもちろん、秀吉でさえも驚いた。


「ばかを言うな。お前は距離も分からないのか。どんなに急いでも半日、いやこの大軍だ。1日はかかるであろう」

秀吉の横に立った加藤清正が怒鳴りつけてきた。

彼が身にまとう鎧は刀傷が生々しくある。歴戦の勇者である証であり、秀吉の軍で一番の実力者と言える。

「これから日没となる。走ることはおろか、歩くことさえままならんぞ」

次々に三成めがけて声が上がる。

一通りの罵声を三成は黙って聞いていたが、この時間すらもったいない。少し憤りが混じった声で皆に問いかけた。

「人はすぐできない理由を言ってくる。そんなものはいくらでも作れる。それよりもできる理由をなぜ探さない」

三成の一喝は周囲を静まり返させた。

諸侯を前にして感情を出した発言したことで三成自身も高揚した。

ここが雌雄を決する勝負所である。つまらないことで足を引っ張られたくない思いが強かった。


「ではなぜ5時間で行けないと思う」

三成は視線があった者に問いかけた。

「夜の真っ暗な中で無理に決まっている」

三成の剣幕に少しひるみはしたが、正論はこちらにあると言わんばかりの返答だ。

「道には全て松明を用意した。その明かりに沿って進めば問題なかろう。他には?」


「重い鎧を着てそんなに長い距離を移動できるわけがない」

今度は視線が合っていない方角から声があがった。これにも三成はきちんと答える。

「現地に鎧と武器を用意した。皆にはここで鎧を捨てて身一つで移動してもらう」


「馬だってそんな長距離を移動できるわけがない」

ここまでくるとあら探しに近い批判になってくるが、それも三成は想定済みであった。

「途中に交代の馬も用意してある。もちろん食事も用意させて頂いた」


全ての質問に全て答える。

ここまで完璧だと、先ほど騒いでいた者たちも何も返す言葉が出てこなかった。

「部下を総動員して街道沿いを一件ずつまわってお願いしてきた。権力とお金は正しく使うためにある。あとは秀吉様に美濃大返しの号令をかけて頂ければ大移動の開始となる」


今までのやり取りを静観していた秀吉であったが、結論が出たことで軍勢の中心にやってきて一同を見渡した。

「これより全速力で近江に向かう。諸侯も大変だとは思うが、ここまで準備されたのだ。文句がある奴はやってから言ってもらおう。それでは全員位置に付け。美濃大返しの始まりじゃあ!」

秀吉のかけ声で大軍勢が一斉に移動を開始した。

松明によって照らされた街道を人馬が猛然とした勢いで駆け抜けていく。


そして52キロメートルに及ぶ大移動を本当に5時間で完成させ、柴田勝家軍の出過ぎた先陣の奇襲に成功した。

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