三献の茶
石田三成が後に天下を統一する豊臣秀吉に初めて会ったのは、秀吉が鷹狩りの帰りに観音寺に立ち寄った時のことである。
この時の三成はまだ若く、その寺で働く小僧であった。
「喉が渇いた。お茶を一杯もらえるだろうか」
鷹狩りを楽しんだ秀吉は観音寺に立ち寄り住職にお茶を求めた。
住職は膝を折って秀吉を出迎え、奥にいる小僧たちに向かってお茶の用意をお願いした。
鷹狩りは上手くいったみたいで、その様子を饒舌に話す秀吉の話を住職は柔らかい表情のまま聞いている。
しばらくすると大きな茶碗に温めのお茶を持って、幼き小僧の三成が現れた。
ゆっくりと秀吉の前に置く。
秀吉は礼を言うと、喉の渇きを癒すように一気に飲み干して大きく息を吐いた。
「上手いお茶だ。もう一杯もらえるか」
三成は短めの返事をした。
そして新しいお茶を運んでくる。今度は先ほどの半分の量にしてある。温度も少し熱めにした。
それを丁寧に秀吉の前に置いた。
茶碗を持ち上げた秀吉は手から温度を感じ取る。
「ほう」
一度、口を付けた後に軽く頷くと、再度口を付けて残りのお茶を飲み干した。
鋭い眼光でお茶を持ってきた小僧を見た。
「もう一杯もらおうか」
三成は少し時間をかけて三杯目のお茶を運んできた。小さな茶碗に熱くしたものだ。作法通りに秀吉の前に置く。
秀吉は一言感謝の言葉を述べてからは無言でお茶を飲んだ。
静かな時が流れ、寺の周りの草木を根城にしている虫たちの声だけが室内に響き渡った。
「小僧。温いお茶を出したり熱いお茶を出したりと、随分こざかしいことをするものだ。温さに叱責をされるとは思わなかったのか?」
秀吉から発した声は重く静かで緊張感がある。
「もちろん叱責される可能性はあります。でも怒られてしまうことよりも、怒られるかもしれないことを恐れて、最善と思うことをやらないことの方が私は後悔します」
三成は頭を下げたままではあるが、はっきりとした声で自分の思いを語った。
変なことを言う奴だというのが秀吉が最初に持った印象だった。
「最善をやらないとはどういうことだ?」
体を休める間の暇つぶし程度に、秀吉は三成と話してみることにした。
「まずは喉の渇きを癒やせるようにと飲みやすいお茶を用意します。三杯目はお茶の美味しさを味わって頂く。きっと誰でも思いつくことでしょう。ここで大切なのは思いついたことを実行できるかであります。人は粗相を恐れて守りの考えになりがちです。無難なことだけをやっていれば怒られることはないと。相手のことよりも自分をかばうように解釈して生きていく人間にはなりたくないと思っております」
三成の発言を聞いて、なかなか人心というものが分かっていると秀吉は感心した。
「それは殊勝な心がけじゃな」
「ありがとうございます」
褒めてもらった三成は、下げている頭をさらに深く下げた。
秀吉はもう少し小僧の考えを探ってみたいと思えた。
10歳を過ぎたばかりにしては、ずいぶんと先のことまで見据えていそうだ。
「もし怒られたらどうした?」
「ちゃんと怒られたでしょう。ですが高みを目指している秀吉様が怒るとは思えませんでした。残念ながら固定観念でお茶は熱いものだと決めつけるような人がいます。そんな才覚のないものが権力を持つから、優秀な人材を失って、保身を考える人ばかりが幅を利かせる世の中になってしまうのでしょう」
「ほほう。ということは、私は才覚があると褒めてもらえたのだな。素直に喜んでおこう。だったら小僧、私の元で働くか?」
三成にその野心がなかったわけではない。織田家の出世頭の秀吉が偶然訪れた好機を逃したくないと思っていた。
「はい。よろしくお願い致します」
「あはは。さては最初からそれが狙いだったな」
即答した三成を見た秀吉の笑い声は寺中に響きそうだ。
「いえ。まずは目の前のことを全力ですることが一番だと思っております。今の私の全力は秀吉様が喜んで貰えるようなお茶を出すことでした。その上で良いお話があれば、即決してもいいと考えます」
一息で素直な思いを三成は伝えた。
秀吉は黙って聞いている。
お互いに数秒間無言のままの時間が流れた。でも気まずい時間ではない。
三成は落ち着いた口調で話し始めた。
「偶然とは希に訪れると思っています。でも多くの人はそれを敢えて掴もうとしません。自分にはまだ早い。次の時にと。もし今回、ここで遠慮してしまったら、私はずっとこの寺で生涯を終えたかもしれません」
「ふっ。常日頃からちゃんと考えているからこその即決というわけか。だったらその志を世の中の為に奮ってみせよ。機会は与えてやる。あとはおぬしの力次第だ」
今日は鷹よりももっと大きな獲物を手に入れたかもしれない。
秀吉はそんな思いを胸に抱いて、誰にも気付かれないような小さな笑顔を浮かべた。
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