4-4 竜人の理由

 空を飛んでいたのは竜人の少女……フィアだった。


 よくよく考えれば当たり前である。僕らは後ろから船を押す彼女の頭を飛び越して船へ着陸した格好になる。フィアにだけは、僕らのスカイダイビングはバレバレだっただろう。船に乗り込むことに一生懸命で、彼女の存在をすっかり忘れていた。


 フィアは羽を広げ、音もなくデッキへ降り立った。粗末な木綿の服が風に揺れる。潮のせいか、白い髪は顔へべったりと張り付いてしまっていた。


「あなたは……」

 レンが困ったように、僕とフィアを交互に見た。彼女は虚ろな目をこちらへ向けていて、何を考えているかわからない。


 僕らとフィアは数歩の間をあけて膠着状態になってしまった。いかんせん、相手が子供で元奴隷、しかも竜人なので攻撃するわけにもいかず、シエとエンリも中途半端な姿勢で止まってしまっている。


 だが、このままの状態でじっとしているわけにもいかなかった。彼女が兄貴を呼べばまずいことになる。正面から戦えばまたこの前のように体を真っ二つにされて負けるだけだろう。


 船が小さな波を超え、わずかに上下した。僕らはバランスをとるために足踏みをするが、フィアはじっと突っ立ったまま微動だにしない。


「あの……フィアさん……でしたよね……」

 恐る恐る、レンが口を開いた。フィアが瞼をぴくりと動かす。


「マーサさんのお屋敷にいたというのは……」

「おい! フィア!」

 レンの言葉は、後ろから飛んできた男の声に遮られた。


 兄貴だ。姿は見えない。声の出どころからして、甲板の前の方にいるのだろう。デッキに突き出しているマストや船室の陰になって僕らの姿は見えていないはずだ。だが、フィアが一言、僕らのことを言えばそれでバレる。


「なんか落ちたような音が聞こえたぞ! なんだ?」

 緊張が走った。シエが姿勢を低くして、飛び出す準備を始めていた。

 フィアは目を細めた。羽を折りたたみ、背中へしまう。息を吸い込み、口を開いた。


「……カモメです。船にあたってしまったようです」

「ふぅん。間抜けな鳥もいるもんだな」


 兄貴の声に続いて、船室の扉が開かれる音がした。中へ入ったのだろう。これで甲板から邪魔者がいなくなったはず。


 僕は大きなため息をついた。同時に、エンリもシエも息を吐いていた。


「どうして、ですか?」

 レンが一歩、フィアへ歩み寄った。フィアはレンのことを警戒する様子もなく、デッキの柵へもたれかかる。彼女はレンの質問には、黙って首を横に振るだけだった。


「なんであんなやつと一緒にいる」

 これはエンリだ。フィアがわずかに顔をしかめる。


「助けてくれたから」

「助けてくれた? 奴隷からってことか?」

 少女が頷く。


「私は生まれたときから奴隷だった。奴隷以外の生き方があるってあの人が教えてくれた」

「でも」

 口を挟んだのはレンだった。


「違和感、あるんですよね?」

「違和感?」

 シエが呟く。エンリもレンを怪訝そうな顔で見た。


「レンさん、違和感って?」

「フィアさん。リョーイチローさんのやっていることに疑問があるんじゃないですか? 好き好んで付き従っているわりには、自信がなさそうというか」


 フィアは首を振ろうとした。だが、その動きは途中で止まる。

 彼女は迷ったように目を泳がせていた。


「私は、ただ……でも、助けられたのは事実だから」

「ほんとにそうか? 実は火事のせいで死にかけたんじゃないのか?」


 シエが茶々を入れる。あながち心当たりのないことではないのか、フィアは苦しそうに顔を歪めた。


「フィアさん」

 僕は彼女へ一歩近づいて言う。


「何か悩んでることがあれば言ってごらん。力になるから」

「でも……」

 フィアは口ごもり、もじもじとしているだけでそこから言葉が続かない。何か言いたそうなのは確かなのだが……。


 塾にいたときを思い出す。こういう子は急かしても逆効果だ。しかし、あまりじっくりと待っている時間もない。こうしている間にも船はどんどん、竜の住むという島へ近づいている。


 何か、彼女の警戒や緊張をほぐすものがあればいいのだが。


「フィアさん、これ見てください」

 レンがバッグをごそごそと探って、液体で満たされた小瓶を取り出す。蓋を開き、中のストローを取り出して吹くと小さなシャボン玉がぽこぽこと生み出された。


「またそれか。好きだな、レンは」

 シエが呆れた口調で言いつつも、目線でシャボン玉を追った。フィアも目を見開いて、自分の眼前へ迫るシャボン玉を凝視した。


 シャボン玉はフィアの鼻先に浮かぶ。つんつんと小さな鼻を小突き、彼女がくしゃみをすると衝撃で割れた。


「寒いですか?」

「少し……」

 レンは自分のコートを脱いで、フィアの肩に掛けた。


 フィアはしばらく、思いにふけるように海を眺め、コートにくるまっていた。体が温まったせいか、強張っていた肩が緩んできていた。


「……リョーイチローさんは、竜を殺そうとしています」

 やがて、波に紛れて消えてしまいそうな声をフィアがあげた。


「森でも殺しました」

「そうだな。おかげで俺の故郷は滅んだ」

 エンリの声に怨恨めいたものを感じて、フィアが震える。コートの前をぎゅっと手繰り寄せて自分を守るように縮こまった。


「リョーイチローさんが竜を殺す理由はわかっています。……悪いことではないとも思うんです。竜のせいでみんな苦しんでますから。でも……えっと」

「でも?」


 フィアの声はどんどん弱々しくなる。ほとんど泣きそうな声だった。レンは彼女の肩を抱き、優しく撫でて先を促す。


「でも……なんだか、嫌なんです。すいません、うまく説明できなくて。でも、怖いというか」

 僕はフィアのそばへ歩み寄った。しゃがんで彼女と視線を合わせる。


「フィアさん、それは当然だよ」

「え?」

 彼女が顔を上げた。白い鼻が赤らんでいる。


「竜人にとって、竜は自分の親なんだろう? 自分の親と同じ種族の生き物が乱暴に殺されるのを見たら、誰だって怖いって思うよ。僕らが殺人を見てしまうのと、きっと大差ない感覚だろう」


「でも」

 フィアが口を開いた。今度は力強い声だった。何か、誤解を解かなければという焦りを感じる口調だ。


「リョーイチローさんは私を助けてくれました。その恩返しはしないと……」

「それは……」

 僕が喋ろうとした瞬間、船が大きく揺れた。僕はバランスを崩してデッキへ転がってしまう。


「あれは……もう着いたのか!」

 シエが甲板から外を見下ろして言った。僕も立ち上がってあたりを見渡す。

 船は小さな島の岸壁にぶつかっていた。竜の住む島へ到達したようだ。


「こんなでかい船を直に着岸させる馬鹿がどこにいる……」

 エンリがもっともなことをぼやいた。

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