4-3 船に乗れ!
もう一度目を覚ましたときには、腹部の傷はほとんど完治していた。痛みはまだあるが、切断されていたときに比べればずっとましだった。
服も一緒に切られてしまったのでどうしようかと思っていたけど、枕元に新しいものが用意されていた。広げてみると木綿でできたローブで、エルフたちが身に着けていたものと同じだった。きっとエンリが持ってきてくれたのだろう。
身に着けてみると、サイズはぴったりだった。強いて言うなら少し肩幅が広いか。ごわごわした見た目に反して軽く動きやすく、空気を通すので着心地はよかった。
ローブの裾にはクワイの名前があった。
部屋から出て、一階に降りた。早朝の宿屋はまだ眠りについていて、受付に座った恰幅のいい中年女性が舟をこいでいた。
僕は彼女を通り過ぎて、入り口の木戸を開いた。扉はスムーズに音もなく開き、太陽の光を宿屋へ招き入れた。
「おぉ……」
僕は思わず感嘆の声を漏らしていた。
宿屋の目の前は海だった。白い砂浜に押し寄せる波がさざめきを響かせる。カモメに似た白い鳥が連なって空を飛んでいた。
僕は外へ歩みだした。砂浜に沿って視線を右へ流すと、大きな船がいくつも停泊している港が目に入った。船は全て木造の帆船で、船主にいかつい竜の飾りや女神の彫刻が施されている。
遠くで小さな人影が、ひっきりなしに船へ出入りしていた。大きな荷物を抱えて、船と港を何往復もする。出航の準備だろうか。静かな朝の中で、その港だけが騒がしかった。
「おはようございます、セージローさん」
後ろから声をかけられた。振り返るとレンとシエが立っていた。
「おはよう。怪我はもう治ったよ。大丈夫そうだ」
「便利な体だよな、本当。私もそのチートなら欲しいかも」
「碌なもんじゃないよ」
僕はそう言って笑った。まだお腹が引きつるように痛んだが、顔に出すまいと耐えた。
「そうだ。朝ごはん食べましょう」
レンが嬉しそうに弾んだ声で言った。昨日の疲労はすっかり回復したようだ。彼女には不死チートがあって正解だっただろう。でなければここまでの過酷な旅にとても耐えられない。
「隣にあるごはん屋さんのニシンサンド、すごくおいしいんですよ」
「ニシンサンド……ニシンを挟むのか? パンに? っていうかニシンって」
「セージの世界にはいないのか? ニシン」
「いるよ。こっちの世界にいるのがびっくりだよ……」
ていうかパンもあるんだよな、この世界。いままで口にしたものは、リザードマンの肉を除けばほとんど現世と違いがない。食事をしているときは自分がどこにいるかちょっと混乱してしまう。
僕はレンとシエに連れられて、宿屋の隣の食堂へ入った。中はテーブルが雑多に並んでいて、ぽつぽつと朝食をとる人の姿があった。薄着に分厚い肩幅という見た目からして、港で力仕事をする労働者だろう。
僕らは適当なテーブルについた。レンが「いつものください!」と元気よく声を張り上げる。厨房から腰の曲がった老婆がニコニコ顔を出して「ちょっと待っててね」と言った。
「それで、海の状態は?」
「貨物を乗せた船は出るって港で聞いた。転覆すれば大損害の船が出るんだ。まず大丈夫だろう」
シエが声を潜めて言った。別に誰かに聞かれても問題ない会話なのだが、こういう企みをしているときは自然と声のトーンが落ちてしまう。
僕も声を低くして応じた。
「そうか。じゃあ兄貴も船を見つけたらすぐ出るかもしれないな……どうしよう。僕たちも船を見繕うべきか。ただ費用が……」
「マーサさんからもらったお金はありますけど、船を借りるほどではないですからね。目的の島へ渡るにはそれなりの大掛かりな船がいるようでして」
「別に船なんて借りなくてもいいだろ」
シエが机を指で叩く。
「リョーイチローが借りた船に密航すればいい。これなら絶対に見失わないし、追いつけないなんてことも起こりえない」
「名案だな」
「でも、そもそもリョーイチローさんたちはどうやって船を借りるつもりなんでしょうか」
レンが小さく首を傾げる。
「大金を持っているとも思えませんし……」
「チート能力の中にあったりしてな。都合よく金が降ってくる力とか。ははっ」
シエが乾いた声で笑った。案外馬鹿にできない可能性だったので、僕とレンは笑えなかった。
「はい、おまちどう」
僕らへ割り込むように、老婆が皿をテーブルへ置いた。木でできた皿の上には、焼いた魚を挟んだ丸いパンが乗せられている。こっちのパンはシエの小屋で食べたものとは違い、柔らかそうだった。
ただ。
「いただきます!」
レンが喜んでかじりついているその魚は、紫色で平べったい形状をしていた。口には鋭い牙がある。
魚に詳しいわけではないが、これがニシンではないことくらいわかる。
「食べないのか? セージ」
「あぁー……」
シエも自分のサンドイッチを掴んで口へ運んだ。どうしたものかと悩んでいると、食堂の扉が開いてエンリが駆け込んでくる。
「ここにいたか……おわっ!」
エンリはレンとシエが食べている魚を見て硬直した。
「お前らまたそんなもの食ってるのか? 絶対にニシンじゃない変な魚掴まされてるぞ」
まさかここで、エンリと意見が合うとは。山育ちの価値観が共通したか。
一方、二人はエンリの言葉に耳を貸さず美味しそうにサンドイッチを頬張っていた。
「……ったく。まぁいい。いまは魚の話をしてる場合じゃない。急いで出発するぞ!」
「どうした?」
ようやくエンリの口調が切迫したものであることに気づいたシエがサンドイッチから口を離す。
「港を見張っていた仲間から連絡だ! リョーイチローが船を一隻強奪した! すぐにでも出港する気配だ!」
エンリの一報を聞いた僕らは、怪しげな魚サンドを放り出して食堂から飛び出した。シエがレンを背負い、僕と一緒になってエンリの後を追う。
「まさか強奪するとは……」
「だが、よく考えれば当然だな! 金がないなら船を奪う。奴らのやりそうな短絡的な作戦だ!」
歩を進めるたびに腹部へ鈍痛が走った。僕は歯を食いしばって、エンリやシエに遅れないように何とか足を動かす。
「見てください! 船が!」
シエの背中で、レンが前を指さした。停泊している船のうち一隻が動き始め、いままさに港から滑り出そうとしているところだった。
風雨に晒され船体が黒くなった木造船だ。船主には長い髭を持った竜の彫刻がほどこされている。これから竜を殺そうとする人間が乗り込む船としては皮肉が効きすぎている。
「あの船だ! 見ろ! 後ろで竜人が船を押している!」
エンリの言葉通り、兄貴と一緒にいた竜人の少女が羽を伸ばして空を飛び、船を後ろから押していた。竜人の筋力はかなり強いのか、ぐんぐんと速度を上げている。
「まずい……どうやって乗り込む?」
「まだ港から完全に出ていない! ほかの船を伝えば追いつけるぞ! セージ!」
エンリが叫んで手を振るった。赤い魔力が腕から迸り、僕とシエの体を包む。
魔力に包まれると、周囲を風船で覆われたように体がふわりと浮き上がった。プールの底を蹴って歩いているような感覚だ。地面を強く蹴ると体が空を舞い、一蹴りでエンリを飛び越してしまう。
「おおっと!? これは?」
「体重を軽くした! それで停泊している船へ飛び移れ!」
「よし! 捕まってろレン!」
シエがレンを背負いなおして飛んだ。自分の身長の三倍は高い船のデッキへ一気に飛び乗ってしまう。僕も彼女の後を追って、船へと飛んだ。
デッキには船乗りが何人かいて、モップがけをしているところだった。突然の乱入者に、船乗りたちの手が止まる。
「くそっ、間に合わないか?」
エンリが歯噛みした。兄貴の乗る船はもう港から体半分を出そうとしていた。僕らが周りの船へ辿り着くころには、港から完全に出てしまっているだろう。そうなれば飛び移ることもできない。
「いや、まだ間に合う!」
「シエさん、一体なにをぉぉっ!」
レンが最後まで言う前に、シエがまた飛んだ。今度は上だ。マストの横に張り出している柱へ器用に飛び移り、あっという間に頂点へ登っていった。
上から飛び降り、兄貴の乗る船へ乗り移る気だろう。確かに、それしか手はない。
僕もシエに倣って上へ飛んだ。エンリも続く。さすがに柱からか柱へ飛び移る技量はないので、マストから伸びるロープを足場にして上がった。途中、サルのように飛び上がったエンリが僕を追い越す。
船の頂点は見張り台になっていて、港を出ようとする船がはっきりと見下ろせた。ただ……高い。高さにして八メートルほどだろうと思われたが、現代と違って周りに高い建物が全くないので、体感の高さは倍近い。
同じ感想をレンも持ったようだ。見張り台の上で、自分のスカートをぎゅっと握りしめている。
ゴブリンから逃げるために崖から飛び降りたり、竜に地面ごと打ち上げられて木にしがみついたり……飛びすぎだろう。僕らの旅路は。
「俺が合図しよう。着地も魔法で補助する」
エンリが口を開いた。シエが黙って見張り台の縁へ足をかける。
レンの右手はシエの左手に繋がれていた。彼女の左手が僕のほうへ伸びる。僕はそれを握って、見張り台から乗り出した。
「行くぞ!」
エンリが叫ぶ。同時に、四人そろって見張り台を蹴り、飛んだ。
潮風に体が浮く。エンリの魔法のおかげか、パラシュートを使ってスカイダイビングをしているように体がぐんぐん前へ進んでいく。
船の黒々とした甲板が迫る。シエがレンの手を引いて抱き寄せ、自分が彼女の下になった。
エンリが短く呪文のようなものを唱えた。甲板へ激突する寸前、体が空中で静止した。
一瞬の間。僕らの体は甲板へ無事に着地した。
甲板には誰もいなかった。無人の船を奪ったらしい。兄貴は船内にいるのか、ここからは見えない甲板の前側にいるのかわからない。とりあえず、密航には成功したようだ。
「……よしっ」
「怪我はないか? レン」
「はい、ありがとうございま……」
レンの言葉が止まった。彼女の視線が空へ釘付けになっている。
僕たちは彼女につられて、空を見た。
空に白い少女が浮いている。
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